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「シズちゃんはさ、」

それまで、静雄が髪を梳いても一向に何の反応も示さなかった臨也が声を発する。

数時間ぶりに空間に響いたそれは、いつもと変わらず涼やかではあったが、常と同じ余裕に満ちてはいなかった。

例えるなら、懐いてくる子どもにどう対処していいのか分からない大人のそれ。

狼狽えるのと、呆れるの中間に、隠しきれない嬉しさという甘さが追加されている。

「なんだよ」

その声に、もう慣れ切ってしまったという態度で返事をした静雄。そんな彼が、臨也にとっては、いい迷惑としか言いようがない。

突然仕事場に現れたと思えば、まるでペットボトルを持つくらいの手軽さで臨也を持ち上げて。そのまま膝上に置いたかと思えば、髪を撫でるは、頭を擦り付けてくるは…。

新手の嫌がらせかと初めこそ抵抗を試みたが、どんなに辛辣な言葉をぶつけても、どんなに暴れてみても拘束が緩む事は一切なかった。

諦め半分でパソコンを使用したい旨を伝えると、やけにあっさりとデスクの上のモバイルPCを取ってもらう事に成功したのだか…。

「…シズちゃんは、突然過ぎて何がしたいのか分からないよ」

「ーー別に。仕事も終わったから、お前の顔が見たかっただけだし」

「……え?」

静雄の手が、やや乱暴に臨也の前髪に触れる。
そのまま露わになった額に、キスが落ちてきて。

「………仕事。早く終わらせろよ」

不貞腐れたような声音。

「えっ、シズちゃ…え、偽物??」

思わず素で聞き返した臨也を、静雄はポカンと見つめていたが、しばらくすると、くつくつと笑い出した。

「ばぁか、何言ってんだ」

それはそれは楽しそうな笑い声。
初めてではないだろうか、こんな声も、こんな、顔もーー

「しずちゃ……んっ…!!」

ガクンっと、
例えるなら階段を踏み外したような感覚

不意の衝撃に、臨也の身体が硬直する。



「あ…れ…?」

瞑っていた目を開くと、そこにはやりかけの仕事と、おかしな態勢で眠っていた所為か、節々が痛む身体が待っていた。


「…夢」

ぽつりと響く、一人きりの声。

「……だよねぇ、俺とシズちゃんであんなの…ありえないし…」

ずいぶんと長い夢だった気がする。

それでも時計を見れば、眠っていたのはほんの少しの間らしい。ならば、もう少しだけあの中に居ても良かったのに。

そんな考えを振り払うかのように、臨也は数度首を振る。
追い出してしまおう、甘やかなだけの夢の欠片を。

「……ダメだ」

早く仕事を終わらせ、コートを着て、あの眩しいだけの金色に会いに行こう。


夢と現を混濁する、生温い期待。


振り払うには、本物の彼が必要だった。





(優しいだけでは、物足りないから)