落ち着いた美しい旋律が部屋に響く
ピタリと音が止み、俺は閉じいた瞼を上げた

「上手くなったね」

「本当ですか…!」

「中学生になって音色が安定するようになった」

俺がそう言えば拓人くんは嬉しそうに笑う

彼とはもう五年の付き合いになる
幼少期からバイオリンとピアノのレッスンを受講生どうも俺の前のバイオリン講師と反が合わなかったらしく、彼が小学五年の時に俺が受け持つことになった
最初の一年は人見知りなせいもあってか控え目な様子であったが、話してみると素直で可愛らしく努力家であり、それでもどこか抜けていて面白い子だと分かった

「学校忙しいのにしっかり練習してくれてるんだね」

「基山先生のバイオリンを聴く為ですから」

拓人くんはいつも笑って恥ずかしげもなくそう言うのだ
きっかけはたしか、彼が俺にバイオリンを習いはじめて二年目の夏
何かご褒美があった方がやる気が出るという話を俺から振ったのだ
本人には、そんなのいいです、僕が好きに弾いてるだけですから、と小学生らしくもないことを言われたのを覚えている
半ば強引に何が好きかと問えば気まずそうな顔をしながら顔を真っ赤に染めて、じゃあ僕がうまく弾けた日は基山先生のバイオリンを聴かせてください、と言ったのだ
あれから三年経った今もまだそのご褒美制度は続いている

「思いの外続いちゃってるなあ…」

「なにがですか?」

いや、こっちの話、と苦笑いをすれば拓人くんは小首を傾げたが、すぐにハッとした顔をして焦ったように口を開く

「も、もちろんそれだけの為に弾いてるんじゃないです、すごくバイオリン好きですし」

取り乱す拓人くんが可愛くてついくすくすと笑ってしまう
すると少しだけムッとして、本当の事ですからね!と言われた
君が嘘をつくのが下手なことも俺は知っている、端からそんな疑いはかけていないのに
そんなすれ違いが可笑しくて余計に笑えた

「それに、今は弾くことが楽しいんです。バイオリンが俺の心の拠り所なんです」

そう言う拓人くんは嬉しそうに笑っていたけど、どこか淋しそうだった
思わず手が出て彼の頭を撫でると、はにかんだ表情が見えた

「あ、だけど先生の演奏はしっかり聞かせて下さいね」

…、約束は約束だ
拓人くんが頑張ったのなら俺はそれに応えてあげなければ駄目だ
本当は俺も長年彼の講師を勤めているのだから、いい加減慣れなければいけないのだけど

「…恥ずかしいんだけどなあ…、未だに緊張もするし」

バイオリンケースから愛用のバイオリンを取りだし、自分の耳で調弦を合わせる

「だけど、綺麗です。チューニングの音でさえ、僕には美しいものに感じられます」

「小さい頃からたくさんのバイオリニストの演奏聞いてるだろ?」

「…一番好きです」

真剣な目でそう言うから、思わずどきりとした
俺が唖然としていると拓人くんは俺に言った言葉が今更恥ずかしくなったのか、顔を赤らめて、だけどしっかり俺の目を見る

「僕は基山先生のバイオリンに…恋をしたんです」

俺は、彼が愛しくなってくらりと目眩がした






さあ、恋心を旋律にのせて
ふる様より