ねえちゃん、と舌足らずに私を呼ぶ小さな子供。
柔らかい黒髪と、水面が揺らぐような青い瞳。綺麗な子供。悪魔の子供。この子は誰よりも無垢で純粋だったけれど、その魂は半分が悪魔で出来ている。そう告げられた時はなんの冗談かと思って信じられなかったが、時折目にする子供の怪力は、確かに悪魔の血を継いでいると確信させるのに十分な役目を果たした。

「なぁなぁねえちゃん!こんどはどれくらいまでいれる?」
「うーん。一週間くらいかな?」
「おれさ!おれさ!またあたらしいりょうりおぼえたからくわせるからな!」
「うん、楽しみだな。ありがとう燐」

へへ、と破顔する小さな子供。悪魔の子供。私の姉の胎を破って生まれた子供。忌むべき悪魔の落胤。
それでも、それでも。私はこの子を憎めないでいる。

「なまえねえちゃんってなんでじじいみたいにずっとしゅうどういんにいないんだ?」
「えっとねー。上司の人が厳しいから。お仕事大変なの」
「なんだよそいつ。そのじょーしってやつのせいでなまえねえちゃんがここにいられないなら、おれがぶんなぐってやるからいつでもいえよな!」
「ふふ、そうだね」

優しい燐。可愛い燐。私を好きだと言って、膝に乗る。甘えた仕草で抱きついて、別れの日にはいかないで欲しいと泣きじゃくる。
可愛い子供。小さな子供。
たとえその身に流れる血が青焔魔のその血だとしても、私にとっては姉の血と肉で出来た可愛い甥に違いないのだ。
抱きしめてみれば心臓の鼓動が響く。自分のものより少し早い速度と暖かな体温。まだ少し遠い春の寒さを和らげる熱。

「ねえちゃん」

胸に擦り寄る小さな体を、求められるままに抱きしめ返す。
父も母もいない、それでも健やかに育つこの子供はまだ世界に愛されている。
傍にいられない時間が長い分、随分甘やかしてしまって獅郎には叱られているのだがこればかりはやめられない。燐は贔屓目抜きにしても可愛らしい顔をしているし、姉と同じ青く丸い瞳が愛くるしい。

「どうしたの燐。眠たくなった?」
「ねねーよ。ねえちゃんいるのにねたらもったいないし」

こうしてまた人の心を掴むのだ。悪魔的甘言にくすぐられつつ、柔らかな髪を撫で梳く。飾らない言葉は、心臓の底から熱を上げさせる。まったく将来が怖い子供だ。

「なぁ。ねえちゃん。どうしたらずっといっしょにいられる?」
「うん?私はずっと燐と一緒だよ?」
「ほんとか?」
「本当だよ。私が嘘ついたことある?」
「ない!」

ぱっと晴れ間に覗く太陽のような笑顔。
燐は笑う。ほんの少しだけ尖ったように見える八重歯をむき出しにして。

「じゃあ!なまえねえちゃんおれのおよめさんな!そしたらずっといっしょだろ!」

ぐい、っと近づく丸い顔。ああ、青い目が煌めいている。そんなことを悠長に考えている暇に、唇のあたりにむにっと柔らかいものがぶつかった。

「だいすきのちゅーな!」

喜色満面弾む声音でそう言うませた五歳児相手に、悔しいかな赤面してしまった自分が情けなかった。

「そうだね、私も大好きだよ。燐」

いつかこの子が大切な人を見つけるまでの短い間だけだとしても。この嘘偽りのない優しい愛情が心地よくて、私は燐が潰れない程度の力でその小さな体を抱きしめた。


20130301 溺藍