人は僕のことを真面目な優等生だと思っている。
養父の教えを守り、神に尽くし、悪魔と戦い、最年少祓魔師の称号を賜って、他人に優しく自分に厳しく、清廉潔白、文武両道。微笑みは穏やかで性格は慎ましく、叱咤は激励であり努力と実績を積み上げる。人はまるで神童のように僕を祀った。
未成年でありながら昼夜問わずあくせく働き、労働基準法も裸足で逃げ出す社畜街道まっしぐらで今日も今日とて長期任務に当てられて、特別手当もなく大人たちのよくやっただのさすが藤本さんの息子などと上っ面の賛辞を与えられてようやく帰宅したのにこれだ。
目の前ではなまえさんと兄さんが喋っていた。
生憎僕は兄さんのように悪魔ではないので、この距離からふたりの声を聞きとることはできない。しかし見るからに親しげで会話は弾んでいるように見える。
そこに兄さんはなまえさんに何かを手渡した。なまえさんは顔を赤くしながらそれを受け取り喜んでいるようだった。
他人から見た僕は割と完璧で、順風満帆の満ち足りた人生を送っているように思われるが実際はそんなことはない。分刻みのスケジュールに詰め込まれた山のような任務。暴走する兄の尻拭いにまだ使えない訓練生たちに教鞭を振るう毎日。
僕は、人が思っているほど穏やかな人間でも優しい性格でもなんで。
恋人が他の男と笑い合っていれば嫉妬もするし、顔を赤らめていれば激情にも駆られる。
硝煙と悪魔の血が染み付いたコートを脱ぐことも忘れ、僕はつかつかと二人に歩み寄った。

「お、雪男おかえりー」
「あ、雪男く」

話は最後まで聞かないでなまえさんの手首を掴む。細い、力を入れれば折れるんじゃないかと一瞬恐ろしい考えが浮かんで消えた。

「兄さんは後で」

それだけ言ってなまえさんを引きずり寮の食堂から離れる。
雪男くん痛い!というなまえさんの控えめな悲鳴は一切無視して、僕はなまえさんを部屋に連れ込んだ。

「説明は?」
「ゆ、雪男くん何で怒ってるの?」

少し怯えて肩を震わせるなまえさんはすごく可愛いんだけれども連日続いた任務と寝不足であまり頭が働かない上に理性のタガが外れかけている。
なまえさんの口から弁明が聞きたくて、僕は右手を強く壁に押し当てた。

「なんであんなに嬉しそうにしてたの?」

声は、思ったよりも低く出たのでなまえさんもやっと僕が不機嫌だということを受け入れたらしい。
視線を泳がせる姿に腹が立った。図星か、なにかやましい事でもあるのか。
こう見えて容姿には自信がある。実績は言わずともだし性格だって表面上悪くない。
兄さんと僕は二卵性でそっくり同じ顔ではないが、似ていないわけではない。だからこそ、なまえさんの想いが兄に傾くなど許せなかった。

「なまえさんは僕じゃなくて、兄さんが好きなの?」
「なに、言ってるの?雪男く・・・きゃっ!」

とぼける姿に腹が立って、兄さんから受け取っていた何かをひったくる。
薄いノート。勉強関係ではないだろう。擦り切れたノートと可愛げのない単色のそれは兄の持ち物だとよく知っている。一瞬、交換日記だなんて甘酸っぱい単語が脳内に浮き上がって吐き気がした。
ノートを乱暴に開いてページをめくる。暴れ馬のような豪快な文字は、見た目に反して丁寧に調味料の量や料理の手順が書き記してあった。

「なにこれ」
「ゆ、雪男くん。最近任務たくさんで疲れてたから、だから、元気になってほしくて。それで、奥村くんに相談したら魚料理好きだって聞いて。そしたら、雪男くんの好きな料理のレシピ教えてくれるって。それで・・・」

怯えたせいで涙目で、真っ赤になって震えるなまえさんを見て後頭部を鈍器で殴られるような衝撃を受けた。
僕は、馬鹿だ。
なまえさんを勝手に疑って、傷つけて、怖がらせて、怯えさせて。
しどろもどろに言葉を繋いで今にも泣き出しそうななまえさんに心臓が押しつぶされる。
募った激情や疲れは一気に押し流されて、残ったのはどうしようもない後悔だった。

「す、すみません、なまえさん。僕が勝手に苛ついてて。本当に、すみません。どうしよう、僕・・・」

嫉妬したんです。
だなんて恥ずかしくて言えなかった。言ってしまえば誤解を解くことは簡単なのに、彼女の前では、優しく完璧な彼氏でありたかった。その願望がまだ残っている。歯痒く邪魔をする矜持に謝罪さえもままならない。情けなくて泣きたくなる。

「雪男くん、ごめんね、私、馬鹿だから雪男くんが何で怒ってるかわからないの。ごめんね、疲れてるのに、ごめん。私、雪男くんに元気になってほしくて、迷惑、だったかな・・・」

必死に許しを請うなまえさんには一切の非もないのに。
その姿にまた心臓が締め付けられた。可愛らしい。愛されているという満足感と、罪を許される安心感。
ゆっくりと体温が上がる心地。
手の内から滑り落ちたノートを無視して、僕は壁際に追い立ててしまった震えるなまえさんを引き寄せて抱きしめた。

「いいえ。嬉しいです。すみません、急に声を荒げたりして。なまえさんの料理、楽しみです」

洗髪剤と石鹸の香り。優しい女の子の匂い。抱きしめた彼女の笑う気配。
醜い嫉妬も溶かしてしまう。愛したいという気持ちが膨れ上がる。

僕は、他人が思っているほど真面目でも穏やかでも真っ当で優しい人間でもない。
僕はもう、なまえさんがいないと駄目なんだから。


20130109 最後の楽園