2、大介の場合A
「・・・ああ・・・本気でびっくりした。どうしたんすか?」
まだドキドキ言っている胸を押さえて俺が聞くと、何といきなり泣き出した。
「――――――・・・えーっと、何事ですか?大丈夫ですか?」
目の前に立った妙子さんは、ごめんね〜と言いながらぼろぼろと泣いていた。
俺はモップを脇において、困って立ち尽くす。
・・・何で泣いてんの、この人。俺、どうしたらいいんだろ・・・。
「・・・だっ・・・ダンナと喧嘩したの。家を飛び出して来ちゃって、ここなら一人になれるかと・・・思って・・・まだ、大介君が、いる、と、は・・・思わなくて・・・」
泣きながら言うから判読に苦労した。
でもとりあえず、一人になりたくてここにきたらしいって事は判った。
しゃくりあげながら言う妙子さんを、とりあえずソファーに誘導した。
「・・・・俺、消えたほうがいいですか?」
ぶんぶんと首を振る。
そしてまた切れ切れに言った。
「ごっ・・・ごめんなさい・・掃除途中だったのよね・・・私のことはいいから、やってちょうだい」
――――――――――いや、無理でしょ。
この状況で、俺、仕事に戻って掃除するの。
困って頭を掻いた。
「・・・泣き声響く中で掃除なんか出来ないっす」
すると一生懸命涙を拭いて、そうよね、本当にごめんなさいって繰り返す。
俺はため息をついた。
そして涙の止まらないらしい妙子さんをソファーに座らせたままで事務所に入り、キッチンで、支配人のだけど昆布茶を入れる。
お茶の入れ方は居酒屋で仕込まれてる。とりあえず、落ち着いて貰わなければ。
妙子さんに手渡すと、化粧の取れた顔で驚いて、呆然と湯のみを受け取った。
「・・・・大介君・・・優しい」
所在ない俺は仕方なく、少し離れてソファーに座り、お茶をすする妙子さんを見ないようにしていた。
はあー・・・とため息が聞こえた。
「本当にごめんなさい。掃除の邪魔までしてしまったわ」
・・・・いいとも悪いとも、返事のしようがない。俺はただ頷いた。
「美味しい。私が淹れるより上手だね。どこで習ったの?」
「居酒屋です。あがり淹れるの俺の仕事でした」
ふーん、と言いながらお茶を飲む。落ち着いたようで、泣いたあとの顔のままで隠しもせずに座っていた。
「・・・お陰様で、落ち着きました」
「よかったです」
コトン、とチラシを置いているテーブルの上に湯のみを置いて、妙子さんがこっちを見た。
「・・・・何も聞かずにいてくれるのね」
俺は妙子さんを少しだけ見て、また下をむいた。
「聞いても、何も出来ませんから」
「・・・うん、大介君らしい返事だわ・・」
そしてソファーの背にもたれて座り、目を閉じた。
「・・・顔がもう少し元に戻るまで、居させてね。もう泣かないからどうぞ仕事の続きをして」
目を閉じて静かに呼吸をしている妙子さんを見ていたけど、やっと立ち上がって、掃除の続きを開始した。
もう音楽は聴けないからウォークマンは外して鞄にしまう。
手順通りに、静かな映画館の掃除をしていく。妙子さんも黙ったままなので、俺が立てる音と時計の針の音だけが響いていた。
ぐしゃぐしゃになって泣いていた。その顔が頭から離れない。
話を聞いてしまったら・・・・俺は間違いなく、妙子さんの味方をするんだろう。そして、その発展性のない状況が、突然、いやと言うほどハッキリと判った。
塵取りや箒、モップを片付けて、事務所の電気を消し、鍵をしめてホールに戻った。
妙子さんはそのままの格好でだらりと座っていた。
「・・・・・妙子さん」
声をかけたら、目を開いた。
「俺、帰りますけど」
ぼーっとしているようだった。
しばらく俺を見ていて、その内ゆっくり微笑んだ。
「・・・・終わったのね。じゃあ、私も・・・帰ろうかな」
立ち上がって歩いてくる。
そして俺を見上げて、笑った。
「本当に、今日はごめんなさい。ビックリさせたし、迷惑だったでしょう。でも大介君のお茶で復活出来たわ」
その笑顔を見下ろしていた。
胸のところがざわざわした。
ほとんどスッピンの、目元と鼻を赤くした妙子さんの、瞳の色が焦げ茶であることも判ってしまった。
こんな表情はきっと、俺だけしか知らない―――――――――
俺はパッと視線を外し、いえ、と首を振った。
「・・・大丈夫です。帰り、気をつけてください」
はい、了解です、そうふざけて妙子さんは、先にドアを出てシャッターをくぐる。
俺は入口に鍵を閉めて、シャッターを勢い良く下ろした。
また明日ね〜と手を振って妙子さんが遠ざかっていく。
俺はしばらくそれを見ていて、妙子さんの姿が視界から消えた後、シャッターに頭を打ち付けた。
ガシャン!!と凄い音がした。
「・・・いってぇ・・・」
何してんだ、俺は。
手の届かないものを好きになったって、どうしようもないんだぞ。
まだ10%だ。今は、まだ。
でもその内どんどん膨らむ予感がしていた。
この10%が・・・・。
一度深呼吸をして、歩き出した。
時間も遅くて、駅前は閑散としていた。
暇で暇で暇な大学の講義中、円形教室の一番後ろの席に座って、ぼーっと窓の外を見ていた。
一夏中強烈な太陽にさらされたままだった樹木が、残った力を振り絞って立っているように見えた。
もう夏も終わりで、そろそろ雨が降るだろう。そうしたら、判りやすいくらいにハッキリとあの緑は生き返るんだろうな、などとつらつら考えていた。
この9月が終われば、同級生は就職活動に入りだす。
俺はそれをいつでも人事みたいに眺めているだけだけど。
昨日はバイトは休みだった。
朝から夕方まで一応大学に行って、ほとんど参加実績のないサークルの飲み会に強制的に参加させられた。
同じ3回生だけどサークルで顔を見かけるだけだった女子の恋愛相談に乗っていた。
――――――いや、違うか。
あれは相談とは言えない。向こうが一方的にベラベラ喋るのを、俺はたまに相槌を打って聞いていただけだ。
他にやることもないし話す相手もいなかったから、隣に座った子の話を聞いていただけ。
かなり惚れている男がいるが、どれだけアプローチしても振り向いてくれない、とか何とか言っていた。
ジュースみたいな甘ったるいカクテル2杯で酔っ払って、目を潤ませながら色々話していた。
「どうしたらいいと思う!?」
っていきなり聞かれて戸惑った。
「・・・好きでいるのが辛いなら止めれば」
そう言うと、違うの!と激しく首を振った。
「好きでいるのは楽しい。でも手が届かない感じが悲しい。応えてくれなくて、でも優しくされるのが、もどかしい」
「――――――・・・そりゃあ、まあ、お客さんには冷たくはしないよな」
相手は水族館の従業員らしい。一目ぼれなど、俺には理解出来ないが。
ううーっと唸った。
「あたしって・・・・迷惑な子なのかなあ?」
「・・・さあ」
「もう!佐藤君、ちゃんと考えて!」
なぜ、俺が。
面倒臭くなって逃げようかと腰を浮かしたが、斜め前に座る先輩が睨んでいるのに気付いたから、仕方なくまた腰を落として答えた。
「・・・職場に毎日来て、あなたが好きですって言いまくっては付いて来るんだろ?そら、迷惑だよな」
ガーン!!!と叫んでのけぞり、更に目を潤ませた。
「やっぱり、やっぱり迷惑うううううう!??」
――――――・・・ああ、やべ。マトモに答え過ぎたか。
ショック〜と叫んでぎゃあぎゃあ騒ぐのを出来るだけ聞かないようにして、もう泡のなくなったビールを飲んだ。
俺、もう帰ってもいいかなーと思い出した頃、名前も思い出せない隣の女子は、急に黙って俯いた。
「――――――・・・・でも、行かないと、あの人には会えない。だから・・・」
きっと顔を上げて、唇をかみ締めていた。
「だから、迷惑だって言われるまでは通い続ける。絶対無理だって判るまでは」
そして小さな声になって、だって好きで仕方ないんだもん、と呟いた。
俺はぬるくなったジョッキを持ったままで彼女を見ていた。
・・・・・どうしたらこんなに強い想いがもてるんだろう。赤の他人に。
同僚や、友達なんかじゃない。言ってみれば外面しか知らない男に対して。
何で、こんなに強く、好きだと思えるんだろう――――――――
俺がじっと見たままなのに気付いて、パッと顔を上げた。
「・・・呆れてるんでしょ。しつこい女だなーって思ったでしょう!」
まだ何も言ってないのに、勝手に怒って膨れていた。
たらたらと教授の声が続いていく。
俺は頬杖をついてやっぱりぼーっとしていた。
・・・・人を好きになるって、結構ミラクルなことだよな・・・。
昨日の、名前も思い出せない子、どうなるんだろ・・・。
パッと頭に妙子さんが浮かんだけど、目をきつく閉じて追い払った。
俺は、不毛な恋なんて嫌だ。
人のものに手を出すなんて馬鹿げてる。
俺は、俺は―――――――――
Tシャツを無意識に握り締めた。
この10%を、失くしてみせる。
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