あの日、君とベンチの時間 1
車の揺れが気持ちよくて、眠ってしまった。
あーあ、と呟く声は小さかったはずだけど、同時に車が止まったことで私は目を覚ます。
「んー・・・?」
恥かしげもなく大きな欠伸をしながら隣を見ると、彼が起こしちゃったな、と眉毛を下げてみせた。
「ごめん、煩かった?」
「ううん、大丈夫。私こそ寝ちゃってごめんね」
私はよいしょ、と体を起こしてちゃんと座りなおしてから運転席で困った顔をしている彼に笑いかける。
「つい風が揺れと気持ちよくて寝ちゃったねー、どうして止まったの?もう着いた?」
「いや、このカーナビ結構古くてさ、道が変わっちゃってるみたいで迷っちゃったんだ。ホラ」
そう言って彼はお父さんから借りて運転している古いステーションワゴンのカーナビを指差した。薄くなった色が混ざり合った画面の中で、車のアイコンは宙に浮いているように止まっていた。本来ならば走っている地面が現されているはずの場所は真っ白な空間になっている。
「・・・あらま、これって空飛んでるの?」
「うん。まだここには道がないことになってるんだろうな。どっちかってーと俺達、空飛んでるというよりは建物の中を通過中になってる」
「おんや〜?」
「ほんとそれだよ〜。とにかく、ここはどこだって話だ。俺達はここからどうやって行けばいいんだ〜」
彼はヤレヤレと言いながら運転席でスマホを取り出し、道路の検索を始めた。私はまた欠伸をしながらカーナビの画面をじっと見る。本当だ。元々ここにあったらしい何かの建物に車ごと突っ込んでいるようになっている。何てこと。
「かなり広い敷地だよね。大きな施設があったのかなー?」
私はそう言いながら開いたままの窓から顔を突き出し、外を見回した。隣で彼がそうだなと熱意のこもらない相槌を返す。
「こんな駄々広い場所、普通に考えて工場とか何か・・・」
その時、ハッとした。
何かが頭の中でチリンとなったような感覚。
窓枠を右手で掴んで、私はゆっくりと視線を走らせる。新しく作られたらしい黒々とした道路、それに沿って走る街路樹とフェンス、その向こうには標高の低そうな山が3つ連なって見えていて、長年その場所から動いてないような古い外灯が風に小さく揺れている――――――――――――
・・・あ。
私はここを、知っている。
ここは、あの時の――――――――――・・・・・
**************************
「え、ココアちゃんが逃げ出して、怪我をしたの?」
私は携帯電話に向かって素っ頓狂な声を上げる。少し離れた場所で同じように携帯を耳にひっつけている武田君が、ちらりとこちらを見た。
「大丈夫なの、ココアちゃん?」
私は彼に背中をむけて、携帯電話を抱え込むようにして電話の向こうに問いかける。電話の相手は小学校からの友達である、アユミ。アユミの家が結構前から飼っているパピヨンの名前がココアで、そのパピヨンが今朝、玄関のドアが少し開けたままになっているのに気がついて、そこから逃げ出してしまったらしい。それに気が付いて家族が探しにいくと、用水路に落ちてしまって足を怪我していたんだとか。
『うん大丈夫〜。血が出てて皆でパニックなったけどね〜。まだ病院なんだよね、だからごめん、今日はあたし行けないや〜』
「え」
『ほんとごめん!みんなにも謝ってくれる?とにかくココアを連れて帰って様子みたいしさ』
「・・・あ、うん。でも、あの・・・」
『じゃあね〜、あたし居ないけど、折角だからマミは皆と楽しんでよ〜!ごめんね、また明日!』
そのままで何も言い返せない内に、電話は切れてしまった。
私はそのままで少し途方にくれてしまった。だって・・・皆って・・・。
「河口さん」
その時後から呼びかけられて、思わずその場で小さく飛び上がる。パッと振り向くと、ちょっと驚いた顔をした武田君がいた。
「・・・あ、えっと、はい?」
きっと赤面していたはずだ。あたしはみっともなく上ずった声で聞き返し、頭の中でそんな自分をスリッパで殴りつけていた。
「篠原、何だって?もう来るって?」
武田君がそう聞くのに、あたしはがっくりと肩を落として首を振る。それを見て武田君はうー、と困ったような声を出した。
「マジか。そっちも?岸岡達も来れないっていうんだよ。岸岡は親に外出禁止くらって、三波は風邪ひいたとかで」
「えー!外出禁止って、岸岡君一体何したの?てか、て言うか、なんと、全滅・・・?」
「そういうことに・・・なるよな。俺達以外は」
つい二人で顔を見合わせて呆然としてしまった。
ちょっと離れた山間の町にある大きい遊園地に、日曜日に皆で遊びに行こうって最初に言い出したのは、クラスでもお調子者で通っている岸岡君だった。
俺、いいとこ知ってんだよなー、って彼が大きな声、大きな笑顔で話していたのが一昨日のこと。昔っからあるらしいけど、最近も新しい乗り物とかガンガン出来たんだってー、と。
その時、つい先週行われたばかりの文化祭でしたクラスの出し物の反省文を、放課後までに担任の先生に提出しなくてはならず、机でまとめていた私とアユミ、鈴の3人にも声がかかったのだった。
『ねー、そこの女子3人も一緒に行かね?クラス皆でっていいたいけどそれは現実的じゃねーから、とりあえず今ここにいるメンバーで懇親会を兼ねて、皆で遊びに行こうぜー』
岸岡君はそう言いながら自分の周囲にいて彼をぽかんと見上げている武田君と三波君の肩を叩いたのだ。
机を囲む女子3人で、最初ににやりと笑ったのはアユミだった。すぐさま私と鈴に日曜日の予定を聞き、二人が何もないと答えたのを聞いてから同じくらい大きな声で答えていた。
『オッケー、あたしら参加するよ〜』
え、マジで?
そう思ったけれど、特に予定もなく男女混合での遊園地に嫉妬してくれるような彼氏もいなかったので、それは口には出さないで置いた。
そんなわけで同じ高校の同じクラスの男女6人で、急遽田舎の大きな遊園地にいくことになったのだった。午前中に一緒に待ち合わせていくのは小学生みたいで面白くないから、現地で待ち合わせしようぜって岸岡君がいって、それも面白いね、ってアユミがのってしまったからまさかの現地集合になった。
・・・なのに。
なーのーに。
今朝、その現地に来ているのは私と武田君だけなのだ。
岸岡君は何かをしでかして親を激怒させた結果の外出禁止をくらい、三波君は急な発熱を伴う風邪、鈴は重い生理痛で、アユミはまさかのペットの災難。初めてきた場所、大きな遊園地の前で、私達二人は10分ほどただ突っ立っていただけだった。
武田君が手持ち無沙汰そうに周囲を見回して、ぼそっと呟いた。
「・・・人、結構多いな」
「あ、うん」
山に囲まれた盆地のような町の端っこにある大きな遊園地。恐らくここら辺で集客施設と呼べるのはこの遊園地だけなのだろう。最寄駅からはさほど遠くはなく、駅の方から歩いてくるカップルや家族連れがどんどん入口へと吸い込まれていく。
空が青くて高く、涼しい風が強い日で、太陽の光は温かいという絶好の行楽日和。
普段あまり男子と喋ることもない私は、急遽決まった男女混合の遊びを朝から緊張しつつも楽しみにしていたのだった。
だけどこれじゃあ―――――――――・・・
「行く?」
「え?」
振り返ると、武田君は入口の方を指差した。
「交通費払って折角ここまで来たんだし、俺達だけでも遊ばないか?」
え。私と君で?二人だけで?
そう思った。思わず駅の方を振り返る。こちらに歩いてくる、それなりに多くの人達。その表情は明るく、これから楽しいことをするぞ、といった決心みたいなものが溢れていた。
折角、ここまで来たんだし―――――――――
風が通って帽子が飛ばされそうになり、武田君はパッと押さえつける。私はそれを見ながら、ゆっくりと頷いた。
「そうだよね、よし、何か悔しいから楽しもう!」
「あははは、そうだよな。だって入口目の前だしな」
「うんうん」
だから私達は歩き出した。もうこっちも覚悟を決めて、楽しむぞって。
遊園地はほどほどの込み具合だった。
乗り物に乗るために長時間待つ必要はないけれど、20分ほどは待たなくてはならないというくらい。それくらいだとうんざりもせず、人が少ないことでの興ざめもなく、またほとんど話したことのなかったクラスメイトである武田君とも適度にお喋りをすることが出来て、気まずい思いをせずに済んだ。
だから私は楽しんでいた。
やっぱり緊張していて、会話を続けるにはどうしたら良いのだ!などと苦しむ瞬間もあったけれど、武田君は無言でいる時にも雰囲気の悪い男の子ではなかった。
口元が笑っている。黙っていても、瞳が優しい光を持っている。そんな男子だった。
いやぁ、知らなかったなぁ〜、君、実に感じの良い人ではないか!そんなことを、私はこっそりと心の中で思った。クラスでも特に目立つ生徒じゃなかったから、こんなことでもなければ気付けたかはわからない。
久しぶりにジェットコースターに乗り、叫ぶ。お互いに乗っている間になにかと話が出来るような穏やかな乗り物は慎重に避けて、とにかく絶叫マシンを優先して乗りまくった。
だからその間は良かったのだ。
お昼を何とかしなくてはならないという問題に直面した時にも、色んなものを歩きながらつまむということで二人で面と向かって食べなくてはならない状況は上手に回避したのだし。
だけど―――――――――――
「あ、待って。俺喉が渇いたから」
そう言って武田君が飲み物を買いに行った時、疲れてベンチに座っていた私に、ついでにと飲み物を買ってきてくれたのだ。
「ほら、これどうぞ」
「え?買ってきてくれたの?」
うん、と言いながら、武田君はニッと笑う。私は受け取る前にと慌てて財布を出そうとした。
「お金はいいよ。ついでだったし、そんな高いもんじゃないし」
「うわあ、ありがとう〜」
男の子にジュースを奢られてしまった!そんな経験はちっともなかった私はちょっと照れつつも嬉しく、笑顔で両手で受け取って・・・一瞬、真顔になってしまった。
両手の中の大きなカップで揺れるその液体は緑色をしていて、微かに発砲している。
あ。と心の中で思った。
これ・・・メロンソーダってやつでは。
・・・炭酸、私飲めないんだけど・・・。
だけどまた、すぐに私は笑顔を作る。だって折角買ってきてくれたんだもん。気を使ってくれたわけだし。大体一気飲みする必要なんてないんだから、ゆっくりでもちゃんと飲まなきゃ。もしかしたら美味しいかも。もしかしたら、気に入るかも!
私はそう思って、喉を刺激する炭酸に目を瞬かせながら少しずつストローで飲んでいった。・・・甘い。そんでもって、喉が、痛い・・・。
「あー、やっぱり炭酸だよなー、すんげー美味しい」
そう言いながら武田君は、本当に美味しそうに飲んでいく。好きなんだなあ、炭酸が。喉をのけぞらせて飲む武田君の姿を、私はついぼけっと見詰めてしまっていた。
お昼の太陽が彼の向こう側に見えていて、まだ線は細いけれどくっきりとした喉仏を強調する。
私にはない、それが。
うわあ、男の子なんだなあって、じっくりと思ってしまった。
かなり悪戦苦闘したけれど、それを何とか悟られないようにして飲み終えて、再び絶叫系に挑戦したのだ。だけどそれは良い考えではなかったらしい。
ぐるんぐるんと回転し、何度も宙返りをするコースター。やはり無理に苦手な甘い炭酸飲料を飲んだのがたたったようで、私はなんと完全に乗り物酔いになってしまったのだった。
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