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「ん?」

 私は首を傾げる。すると、痛みに顔を歪めながらも彼がにやりと笑った。

「飯田が、スタンガンをもっていた」

 蜘蛛と桑谷さんが取っ組み合いをしている時に、それまで黙って観察していたようだった飯田さんがヒョイと近づいて、いきなり蜘蛛にスタンガンをつきつけたらしい。

 びりびりと電気が走って蜘蛛が痺れる。それで、あえなく勝負はついたと。

 蜘蛛がスタンガンに破れて地面に倒れた時、ちょうど滝本さんがやってきた。それで男3人で蜘蛛を車に突っ込んで、調査会社に戻った。そこには誉田さんと湯浅さん。それから、私も過去にお世話になったことのある、生田刑事が待っていた。

 生田刑事は失神した蜘蛛をみて目をふさいだらしいけど、とにかく蜘蛛は寝かせたままで、皆で判っていることを照らし合わせたらしい。一日中調査に走っていた誉田さんと飯田さんが集めた情報、それからシャンソン歌手の北川ミレイさんからの相談で、警察が調べて知っていることを非公開で。

 判ったことはこれだけ。

 北川ミレイには過去に執拗に求婚をしてきていた男がいる。

 マネージャーの新井には、借金癖があり、現在も借金がある。

 パーティー会場だったホテルに残されていたマネージャーの新井のコートの中に、二人に使われた睡眠薬と思われるものの小瓶が入っていた。

 急に消えたストーカーの存在。

 数点の事実だけを照らせば、自ずと怪しいのはマネージャーの新井ということになる。だけれども、犯行当日桑谷夫妻が絡んだせいで調査事務所で目覚めたマネージャーは、全くの素で驚いているように思えた。それに、度胸や行動力という点において、彼が所属歌手を罠に嵌めるようなことをするとは考えられない。

 それに、蜘蛛はどこで絡んでくる?

 それを皆で考えたとき、滝本さんと桑谷さんと刑事が頷いた。

 マネージャーの新井の、新しい借金を作ることになった原因を調べるべきだ、って。

「徹夜で調べたよ。蜘蛛を生田さんが見張っていてくれたから、とにかく急いだんだ」

 夫は時折コーヒーを飲みながら淡々と話す。

 私は素敵な朝食を一瞬で平らげてしまって、身を乗り出して聞いていた。

「それで、判ったの?」

「ああ。やはり同じ人物に行き着いたよ」

「ん?」

「歌手に求婚していた男と、新井の借金元は同じ男だ」

 どうしても北川ミレイを手に入れたい。だけど、本人には断られている。諦め切れない。こうなったらどうやってでも──────

 と、思ったらしい男は、一計を案じた。

「土地成金の沢森という初老の男だ。ヤツが北川ミレイの誘拐を企て、マネージャーの新井をその犯人にしたてようとしたらしい。蜘蛛はそのために働いていた」

「・・・あら、まあ」

 眠らせた歌手の北川ミレイを海外の沢森の別荘へと送る。そこで無理やり結婚を済ませ、マネージャーの新井は金目当てで所属歌手を売った男として日本で逮捕される、そういう予定だったらしい。

 金に困ったマネージャーが金目当てで担当歌手の海外渡航権を沢森に売り、そのために本人をパーティー会場で眠らせる。そういう筋書きをして、実行犯の蜘蛛があの日パーティーで決行した。

 二人を眠らせ、歌手だけを運び去る。歌手が消えて慌てた出版社が警察に電話をする。残された新井は事情を聞かれるだろう。

 新井本人が目覚めたあとにそんなことは知らないと言っても、状況証拠が山ほど揃っている状態だったんだ。新井のコートからは使用された跡のある睡眠薬の瓶、借金の借用書。契約更新をしたばかりの北川ミレイの契約書は、新井も入ることの出来る事務所に保管され、それはつい最近盗み出されている。新井の口座には借金返済に使える多額の振込み。

 警察は、間違いなく新井を逮捕するはずだ。そう考えた。

「・・・で、私達がその邪魔をした」

 桑谷さんはひゅっと片眉を上げる。それは反対声明をあらわしているようだった。

「・・・君が、に訂正しないか?俺は反対したはずだな、あの夜も、それからも」

「でも一緒にやったでしょ?蜘蛛を殴ったし、追いかけたし、写真までとったのはあなた」

「─────」

 彼が低く唸った。

 だけどカップを揺らして続きを催促する私に、大きなため息をついてみせて話を再開した。

 英男が今朝一番に、沢森という男にコンタクトを取った。全部判っている。蜘蛛はこちらが捕らえている。歌手一人を諦めるなら、煩雑な出来事から解放してやれるが、どうする?そう聞いたんだ。

 蜘蛛に関してはこちらは立件できるが、沢森という男には法律では手を出せない。だけど、今回の事件を知っている人間がわんさかいる、中には刑事もいる、というのはこれからの事業展開にも面倒臭いことが付きまとうのがヤツには判った。

 沢森は蜘蛛を売った。北川ミレイには近づかない、金の回収はしない、それから、そんな男は知らない。そう言って電話を切ったんだ。

「・・・と、いう事は?」

 夫は朝日の中、にっこりと大きく笑った。

「歌手は無事、マネージャーは借金ゼロ、蜘蛛野郎はご用となる」

 ───────おおおお〜っ!!!

「わお!」

 私は今度は両手で盛大に拍手をした。その音で雅坊がおきてしまったくらいに、大きく。

 凄い凄い、素晴らしいじゃないの!?ちゃああ〜んと、世の中の役には立ったってことでしょ!それ。

 様々に糸を巡らせて目的に近づき、罠にかける。そう豪語した何でも屋・蜘蛛は、結局は自分の糸に絡まったのだ。

 いや、違うか。

 私はボロボロの外見で起きてきた息子を抱き上げる夫を見て笑う。顔が酷いことになっていて、息子は父が判らなかったらしい。顔をみるなり泣き叫び、体をよじって逃げている。

 糸なんてかけたって、関係ない。そう言いきれるこの人に捕まっちゃったんだから、無理って話よね───────

「とにかく、ご苦労様でした。おかげさんでハッピーエンドよね、皆」

 私がニコニコとそう言うと、彼は、うん?と首を捻る。

「ハッピーエンド?皆が?」

「・・・何よ」

 一体誰が不幸だというのだ。私は逃げる雅坊をとっつかまえて自分に引き寄せる夫をじっと見た。

 すると桑谷さんは器用に片眉を上げて言ったのだ。

「俺は、君に巻き込まれて大変な思いをし、仕事に支障をきたし、睡眠不足でボロボロになって、英男に金も払う上にデカい借りを作るはめになったんだぞ」

「うん」

「なのに、ご苦労様、の言葉だけ?」

 私は下から彼を掬い上げるように見た。朝日の中で、実に痛そうな外見をした夫はにやりと笑って私を見下ろしている。

「・・・望みは何?」

 彼は更に嬉しそうに、口の左端を持ち上げた。

「バニーガールの格好をして、俺に奉仕してくれ」

 ──────は?

 一瞬口をぽかーんとあけてしまった。夫はニヤニヤしたままでまだ暴れる雅坊を拉致している。ぎゃあぎゃあ喚く息子を助けることには考えが及ばなかった。それほどに、私は呆気に取られていた。

「・・・バニーガール?って、あの兎の耳つけるやつ?」

「そうそう、ぴっちりしたミニスーツに尻尾もつけるやつ」

「それ、誰が着るの?」

「君がだろう。俺が着てどうする」

 がっつり想像してしまった。私は噴出さないようにだけ努力をしながら、何とか言葉を続ける。

「それで何をするんだって?」

「俺に奉仕活動」

「・・・具体的には?」

 夫は、にーっこりと笑った。

「それを今、息子の前で俺に言わせるのか?」

 ・・・・何てこったい!

 私は一瞬で様々な成り行きを想像してしまってクラクラする。健全な朝の光の中で、一体なにを言い出すのよこの男は!いきなり18禁だ。それも、結構濃い内容の世界の。そんなことを堂々と、朝っぱらから言わないでよ〜!

 だけど、最後には苦笑してしまった。バニーガール?そんな衣装、一体どこで手に入れるのよ────・・・

 夫は息子を抱き上げて、ようやく、これは父だ!と理解した息子にその小さな手で傷口をなでられている。

「とーちゃ?とーちゃ?」

「そうだぞ〜。雅、痛いからぺたぺたはやめてくれ」

 その痛そうな苦笑をみて、ついに私は声を出して笑った。

 ああ、今日も我が家は平和だわ。

 そう思って。

 衣装も、探しにいかなくっちゃ───────




*******************

 後日談がある。


 事件の全てを聞いて、調査会社に歌手とそのマネージャーが大量のお土産を持ってお礼にきたらしい。その中には彼女のCDが何枚か入っていて、珍しく飯田さんがそれを欲しいと言ったとか。彼が仕事のこと以外で口にするのが余りにも珍しく、全員が同時に頷いて「持って帰れ」と言ったらしい。

 桑谷夫妻にもお礼を、と年末のコンサートのチケットをくれたので、私はまた夫をデートをするつもりでいる。

 それから、顔がボロボロになったままの桑谷さんが翌日百貨店に出勤すると、会う人会う人の全員が『奥さんとバトったんですか!?』と嬉しそうに聞いたとか。その話はデパ地下にまで瞬く間に広がり、その次の日に出勤した私をやたらと色んな人が好奇の目で見詰めてきたので、私は一日中弁解に走るはめになったのだ。

 あれは私の仕業じゃありません〜!なんて、どうして私が言わなければならないのだ。自分で言え、自分で!

 全く、一体どういう夫婦だと思われてるのかしらね?!私が夜にそう発言すると、彼は苦笑して両手を上げた。

 夫に暴力を奮う妻だ、と思われてるんだろうな、って。

 ムカついた私は、じろりと睨んで家事を放棄することを宣言した。暴力は奮わないが、放棄は喜んでしてやる。

 そんなわけで、夫は今も、テレビの前で洗濯物を畳んでいる。




・「女神は蜘蛛の巣で踊る」終わり





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