・金と消えたストーカー@



「さて、ではまず説明願おうか」

 滝本さんが社長をつとめる調査会社について、ビルの二階、その部屋に眠っている二人を運び込んだら、滝本さんが私達を振り返って言った。

 ふう、とため息をはいて、桑谷さんがネクタイをむしりとる。私は桑谷さんの隣で会釈をする、この事務所の縁の下の力持ちである湯浅女史に挨拶を返していた。

「お久しぶりですね」

「はい、お元気でしたか?」

 私と湯浅女史はにこやかに話す。

 この人がいないとこの事務所は潰れていた、そう聞いたことが何回もある、事務員の湯浅さん。50代になるかならないか、という年齢で、沈着冷静の素晴らしく安定した人だ。この人は怒れる滝本さんにも怯えないし、怒れる桑谷さんに意見を言える、多分唯一の女性だろう。

 ジャケットも脱いで腕まくりをした桑谷さんが、話し出す。

「出版社のパーティーに出ていた。帰ろうとしたところでまりが蜘蛛という何でも屋と鉢合わせをしたらしい。手刀で気絶させられた妻を発見して起こしたら、彼女が───────」

 ここでその場の全員が私を見た。にっこりと微笑むべきかを考えて、結局笑顔を見せるのはやめておいた。今晩はもう十分疲れてるのよ。

「彼女が、是非仕返しをしたいと言ったので───────」

 異議有り。私はパッと手をあげながら桑谷さんの言葉を遮った。

「ちょっと違います。友人の華やかな舞台を台無しにするのかと思ったら止めなくては、と思ったのよ」

 じろりと睨むと桑谷さんは露骨に視線をそらす。もう。

 私は滝本さん、飯田さん、湯浅さん、ついでに誉田さんも見回して説明を引き取った。結局蜘蛛に目的を聞こうとしたけどうまく行かなかったこと、夫が蜘蛛野郎からマネージャーの名刺を掏り取っていたことで狙いは歌手達かもと思ったこと。それで戻ってくる歌手達を狙って蜘蛛男も控え室にくるかと思って潜んでいたこと。

「すると、控え室に戻った二人が飲んだお茶に何かが入っていたらしいんです。この人達はすぐに眠ってしまったの」

 今はソファーに寝かされている二人を指差す。

「で、何事だと思って二人に近づくと、蜘蛛野郎・・・失礼、あの何でも屋が部屋に入ってきたので、桑谷さんと喧嘩になったんです」

 滝本さんが器用に眉をひゅっとあげて、面白そうな顔で桑谷さんを見た。

「喧嘩?」

 桑谷さんがぶすっとした声で答える。

「まりにはそう見えたんだろう。俺としては美しい格闘のつもりだったんだけどな。とにかく、部屋にきたヤツはすでに俺達に対して怒っているようだった。散々邪魔されたと思ってるんだろうし、それは仕方ない。ヤツが怒って構えたからこっちも相手することにしたんだ。何か格闘技の経験があるようだった。構えや目線で。だから、先手必勝で荒っぽくいったんだ。そうしたら逃げられた」

「うお!桑谷さんから逃げたんすか!!それは凄いかも!!」

 誉田さんが大声でそう言って、部屋中の人間が顔を顰めた。本当に、ボリューム調節ボタンがあるなら連打したい人だ。

「で、こっちに電話した」

 滝本さんがあとを引き取って、桑谷さんが頷いた。それから二人で意味深な視線を私に向けてくる。どうせこの女のせいだ、とでも思ってるのだろう。私はその面倒臭い視線をあっさりと無視して、眠っている二人に屈みこむ。

「いつまで眠るのかしら。起こせないんですか、これ?」

 飯田さんが滝本さんを見て、上司が頷くのを見てから事務所内のミニキッチンの方へと歩いていく。

 滝本さんがいつもの柔和な微笑を口元に浮かべて私に言う。

「起きてもらいましょうか。話を聞かないとどうにも判らないし。ちょっと彼らには気の毒ですけどね」

 え、何するの?私がぎょっとして夫を見ると、桑谷さんは無表情で肩を竦めた。

「気付だ。ショックで、あとで吐き気に襲われる」

 うわ〜、それは可哀想に・・・。

 飯田さんがコニャックを瓶ごと持ってきて、それをハンカチに含ませる。傍らで誉田さんがビニール袋を用意しているのを見て、私はくるりと壁の方をむいた。

「どうぞ」

 横を見ると何やら差し出す湯浅さん。その手の中には耳栓があったので、遠慮なく使わせていただくことにする。拷問の音は聞きたくない。私がそれを耳に差し込んで湯浅さんが換気のために窓を開けにいった間に、可哀想な歌手とそのマネージャーは強制的に薬から目覚めさせられたらしい。

 飯田さんや桑谷さんの同情的な顔を観察してから、終わったのねと振り返った。

 青い顔のマネージャーと、まだ袋に顔を突っ込んでいる歌手。ああ・・・可哀想に。

「ありがとうございます」

 湯浅さんに耳栓を返したところで、滝本さんが口を開いた。

「さて、今晩は。あなた方には何が何だか判らないでしょうから説明します。ここは私の会社で、主な業務は調査です。私は責任者の滝本、それから社員の飯田、湯浅、誉田。彼らは桑谷夫妻です」

 完全に柔らかい雰囲気をまとった外面モードになった滝本さんが、驚いて目を見開いている彼らにゆっくりと説明を始める。マネージャーの新井という男は口を開いたままでキョロキョロしていたが、とにかくと滝本さんの方を凝視した。

「あなた方は歌手の北川ミレイさんとそのマネージャーの新井優斗さん。間違いないですか?」

「え・・・あ、はい」

「そう、です」

 二人はまだ吐き気の残るらしい苦しそうな表情のままで、頷いた。

 湯浅さんが二人にコップに入れた水を持ってくる。白湯です、飲んで、と言われて二人は顔を見合わせたけれど、しばらくしてコップを空にした。

「大丈夫ですか?無理やり薬で眠らされていたのを起こしたので、吐き気があるでしょう」

 滝本がそう言うと、歌手の方がはっとした顔をした。青ざめていて汗がうき、舞台化粧で濃い目のアイシャドーが崩れて横にのびてしまっている。それでも綺麗な顔だと思った。

「そうだ、私達、あのお茶を飲んで─────────」

「この男をご存知ですか?」

 歌手の声を遮って、桑谷さんが携帯電話を差し出した。そこには先ほど撮っていた蜘蛛の顔がうつっている。二人は一斉に携帯電話に目を落とし、怪訝な顔をして首を振った。

「・・・いえ。知りません」

「僕も」

 パタンと携帯を閉じた桑谷さんに代わって、椅子に座った滝本さんが話しを続ける。

「この男がペットボトルのお茶に薬を仕込んだようです。あなた達が眠ってしまったあと、この桑谷夫妻が控え室にいきました。そして眠っているあなた達を見つけて驚いていると、この携帯の男がやってきて、暴れ、逃げたんです」

 多少事実は違うけど。私はこっそりと心の中で呟いた。だけど、起こったことは間違いないわよね、うん。

「夫妻はあなた達が何か事件に巻き込まれたのだろうと考えた。それは、桑谷夫妻の知り合いである私達があの男のことを知っているからです」

 私達、のところで調査会社のメンバーを片手で示して、滝本さんは微笑んだ。

「さっきの写真の男は犯罪のプロです。彼がやるのはいわば裏の世界の仕事。そんな男に眠らされるような覚えはありませんか?特に覚えがないのであれば何か込み入った話なのかもしれないし、もしかしたら──────可能性はかなり低いですが──────人違いということも有り得る。そうなれば私たちでは到底力になれませんから、今から病院と警察へお連れします。あったことを話し、保護なり調査なりしてもらうべきですよ」

 他のメンバーは黙って待っていた。歌手とマネージャーは不安そうに顔を見合わせて、しばらく無言で考えているようだった。

 その内に、歌手の方が口を開ける。

「ええと・・・すみません、突然のことで混乱してます」

 滝本さんが頷いた。

「それはそうでしょうね」

「私達は・・・あの人が誰かは知りませんが、とにかく眠らされたんですね?」

「はい、恐らく。他にそんなことをしそうな不審者はいませんから」

「で、皆さんが助けて下さった」

「助けたというのはちょっと違うかもしれませんが、まあ、放置はしませんでしたね」

 私の言葉に歌手はちょっとだけ微笑んで、座ったままで頭を下げる。

「私には・・・覚えがないです。だから、その・・・警察へ行きます。そしてパーティー会場へも連絡をとらないと。私達は急に消えたことになっているんですか?それとも主催者側はこの事態を把握してますか?」

 桑谷さんが片手をゆらりと振る。それから低い声で話した。

「誰が敵で味方かわからなかった。だからこっそりとあなた達を運び出しました。警察にいくのなら、その間に連絡を入れるといい」

 歌手が頷く。そして立ち上がろうとして──────マネージャーに、腕をとられて動きを止めた。

「ミレイさん、待って。・・・もしかしたら・・・」

「新井君?」

 歌手が怪訝な顔で振り返る。どうやら歌手より年下らしいマネージャーは、青い顔をして床を見詰めている。

 ・・・ははあ、この人、何か覚えがあるんだわ。

 そこにいた全員がそう思ったようだった。にわかに緊張感が走った調査会社の中で、青い顔をして脂汗を浮かべたマネージャーの新井さんは俯いている。

「どうしたの、何か・・・知ってるの?」

 歌手が屈み込んでマネージャーの肩を控えめに叩いた。

 しばしの静寂がその場を支配する。

 私は壁の時計を見上げてうんざりしてきた。今は11時半をすぎている。予定では家に戻って素敵なバスタイムを過ごし、もし体力があれば、ちょっと夫と仲良くなっておこうかな、なーんて考えていたのだ。

 だけど、どうよ?実際はまだ余所行きの、しかも化粧が崩れた顔とヨレヨレの姿で滝本さんの調査会社の真ん中にいて、たった今吐いたばかりで顔色の悪い青年が口を開くのを待ってるわ!

 だけど、ちゃんと判っていた。

 こうなるように仕組んだのは私だってこと。判ってます、人のせいにはしませんとも!

「うーん?何か話すことがあるんですか?」

 桑谷さんが彼特有の、低いけれどひょうきんな言い方で話しかけた。その言い方で一瞬、場の空気が和らぐ。ヒョイとしゃがみ込んで、夫はマネージャーににっこりと笑いかけた。きゅっと大きく口角を上げたその笑顔は、普段はやたらと威圧感がある彼の雰囲気を一気に幼くて無邪気なものへと変える。

 その変化は劇的で、例えるなら強面のヤクザがいきなりお笑いタレントになるような感じだ。

 マネージャーの新井さんは、目を瞬いた。それから、口をあけてぽかんとしたような顔でそろりと頷く。

「やっかいごと?」

 桑谷さんの言葉にまた頷く。

「なら」

 人差し指で鼻をこすって、桑谷さんが肩をすくめた。

「言ってみてくれ。もしかしたら、力になれるかもしれないからさ」

 マネージャーは頷いた。

 わお。

 私は素直に感心して、拍手しそうになる。思案していたマネージャーを、あっさりと陥落させたその手口に驚いたのだ。彼がしたのは至極簡単。シンプルな直球の問いかけで、考える気を失わせることだった。ひょうきんな物言いと、あの無邪気な少年のような笑顔で。俺は、敵じゃないって。

 すったもんだの挙句恋愛をして結婚にいきつき、彼の息子まで産んではいるけれど、未だにこの男の深いところを私は知らない、そう思うのだ。

 そう思う時が、彼といるとたまに起こる。

 そしてそれが、夫の魅力でもあるのだろう。

 いつまでも辿り着けない深い闇を背負った男─────────


 誉田さんが嬉しそうな顔をしている。滝本さんと飯田さんはわかっていたような顔をして、軽く頷いていた。湯浅さんは微かな笑みを口元に浮かべ、彼らの飲んだコップをキッチンへ運んでいく。

「新井君、何なの?どうしたのよ?」

 それどころでない歌手が完全に彼の肩を掴んで揺さぶった。マネージャーが唾を飲み込む音。滝本さんが歌手を彼からゆっくりと引き離し、促した。

「さて。・・・どうしたんです?若いあなたが巻き込まれそうなトラブル・・・。女性関係か借金、どちらですか?」

 マネージャーが目を見開いた。その顔は、怯えているようだった。





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