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龍さんは私と付き合う宣言をしてからというもの、週に2回、我が家まで来るようになった。勤め先の居酒屋「山神」が休みになる月曜日と土曜日だ。
他の予定は大丈夫?と私が心配して聞いても、ダイジョーブダイジョーブ、と笑ってやってくる。そして私と一緒にゴミ拾いをし、私が何か外に用事があればついていき、昼食を作ってくれるのだ。
どっかにデートにいくには、もうちょっとジュンコさんが体力つけてからね、そう笑って、彼は私の日常を同じように過ごして夜に帰っていく。
龍さんはあの人懐っこさで、朝の公園の人達とも夕方の川原の人達ともすぐに仲良くなった。私は他の日には「あの格好いい子はどうしたの?元気?」などとおじいちゃんやおばあちゃんに聞かれるようにすらなってしまった。
私が1週間かかってやることを、彼はほんの1日で成し遂げてしまう。それはやっぱり羨ましくもあったけれど、それよりも先に感動がくることの方が多かった。
私が憧れる世界、そこに彼は気軽に手を差し出して連れていってくれる。
いつか、追いつきたい。
そして自力で到達できるように。
彼に連れていってもらうのではなくて、一緒に並んで行けるように。
そう心の底から思えるようになった今の私が、成長したじゃあないの!と思う夜もあるのだから。
私達はそうやって1ヶ月ほどを過ごしていて、私は龍さんが隣にいること、そうして一緒に笑ってくれることに慣れてきた。あの3連の青い輪のピアスが視界で揺れる。それが自然なことだと感じるほどに。
「すんご〜〜〜い、便利」
姉がそう言って、ほお、と満足のため息を零した。
季節は夏で、カーテンをしめて窓を開けた状態で、窓際で麦茶を飲んでいた。今晩は風があって涼しく、二人とも苦手なクーラーをつけずに済んで助かっている。
「何が?」
私はうちわを使って風を顔に送りながら聞く。判ってるのだけれど、聞いて欲しそうだったのだ、姉が。チラチラとこっちを見ているんだもの。
予想通りに姉が質問に食いついた。
椅子の上で私の方へ体を向けて、うきうきと話し出す。
「右田君よう、あったりまえでしょ〜!!男が一人家にいるって、本当便利。高いところ手が届くしさ、重いものも持ってくれるしさ、物の簡単な故障ならすぐ直してくれるし、それに彼は、ご飯まで作れる!」
興奮してそう言った後、それに〜!と叫ぶ。
「目の保養まで出来るじゃないの!神様ありがとう!」
私は呆れたため息を零した。一応、言っておこうかな、一応ね。
「お姉ちゃん、龍さんをこき使ったらダメよ。彼はあくまでも赤の他人なんですよ、お客様、おーきゃーくーさーま、なんだから」
「判ってるっつーのよ。でも実際便利でしょうが!」
憤然とそう言いながら姉が開き直るから、私は苦笑する。
まあ、言いたいことは判るけれど。
龍さんは確かに女だけしかいないこの家の、あれこれをしてくれている。背が届かないから面倒臭くて替えてなかった廊下の電球や、玄関先の伸びすぎた木なんかを切ってくれたりとか。
元々じっとしていない性格というか、気になることはその場で処理したいと願う性格なのだろう。ねえ、あれ俺がやっちゃっていい?って彼から聞くことも多かった。
恐縮する私に、いーのいーの、と手を振って、右田くーん、と呼ぶ姉のお願いをはいはいと聞いている。
姉がちらっと私を見て言った。
「もうちょっとあんたが彼と仲良くなってくれたらいいんだけどねえ・・・」
ため息までついた。私はむっとして言い返す。
「かなり仲良くなったでしょ。公園でもカップルだって皆思ってるようだし!」
「でも手を繋がないし」
「家で繋がないでしょ!」
それともあなたは家で彼氏と手をつなぐのか?私は腰に手をあてて唸る。姉は私からうちわを奪い取って風を自分に送りながら続けた。
「遠慮せずにベタベタしてくれていいのにちっともしないし」
「そういう訳にいかないでしょ!」
「旅行も行かないし」
「龍さんだって忙しいし、彼は大体連休じゃないでしょ」
「ホテルでも泊まってきたらいいのにさ」
「・・・お姉ちゃん・・・」
がっくり。言い合いに疲れて私は頭を垂れる。姉はそんな私を伸ばした足先でつんつんとつついて更に言った。
「いつでも家にいるからさあ、可哀想でしょ、あの子。二人っきりになれるとこ行きなさいよ、いい加減」
私は無礼な彼女の足をよいしょ、と退けた。・・・だって龍さんがそれでいいっていうんだもーん。呟くのは心の中だけにしたんだけれど。
俺のやり方でやらせて貰う、そう宣言したけれど、龍さんはやっぱり私に合わせてくれているようだった。希望を聞いても言わないので私もそのままで過ごしているけど・・・やっぱり、問題?
元夫の時はどうだったっけな?どういう風に付き合いを濃くしていったんだっけ?つい、そう考えてしまうほどに、スローペースで清純なお付き合いをしているのだった。
考えることに少々うんざりして、私はだら〜っと言った。
「行きたければ言うんじゃないの?」
それは私としては至極最もなことを言ったつもりだけれど、姉は即行でブーイングをかました。
「超スローなあんたにホテル行こうぜ〜!って言うのはよっぽどの勇気が必要なのよ!可哀想に、右田君!まだ若いのに!」
「・・・私と彼は2歳しか変わらないんだけど」
「あんたが年上なんだから、ホテルや外泊くらい誘ってあげたらいいでしょうが!何なら私がプレゼントして―――――」
そのとき、ダイニングテーブルに置いた私の携帯が振動した。二人で同時に注視して、姉が嬉しそうに、おお!と言う。
「噂をすれば右田くーん!よっしゃ、潤子!今日はあんたから彼をデートに誘うのよ!」
拳を振り上げてそう主張する姉を無視して、私は立ち上がって携帯電話を取った。
開いた画面にはメールの着信を知らせるアイコン。
そして――――――――――
「・・・あら」
私の小さな呟きを、耳をダンボにしていた姉が聞き逃すはずがない。え!?何、何?とすぐに後ろで叫び声を上げていた。
私は振り返って、姉に困った顔を見せる。
・・・この人の返事は、聞かなくっても十分判ってる。
だけど、今私と一緒に住んでるのは姉だけだから―――――――――・・・一応・・・。
「お姉ちゃん」
「はいっ!?何?」
「私・・・明日、旅行に行ってきてもいい?」
姉の目が、サッと私の手の中の携帯電話を見た。それから私の顔に戻る。にんまーりと大きくて気持ちのわるい笑顔を作って、姉がぐっ!と親指を天井に突き上げた。
いいとも――――――――っ!!!
その叫び声を聞く前に、私は自分の部屋へと走って逃げていた。
・・・全く。
『明日、一泊で高原に行かない?』
それが龍さんが私に送ってくれたメールの内容。
私は実に久しぶりに、遠足前夜の気分を味わった。
ワクワクして頭が興奮して眠れないような、そんな感じ。
姉にからかわれないようにと自室に避難して、行きますとの返信メールをしてからずっとそんな感じだったのだ。
昨日の土曜日に会ったときにはそんなこと全然言ってなかったのに、一体どうしたのだろう。だけど明日は月曜日で彼はお休み、きっと火曜日の昼過ぎ、仕込み開始の時間までに戻るってことなのだろう。
龍さんからは、良かった、という言葉と朝9時に迎えにいくという内容のメールが来た。
私はそこでやっとハッとして、明日明後日出来ない分の仕事をしようと机に向かった。だけど中々集中出来なかった。
高原?ちょっとでも涼しいとこにってことかな?龍さんは何となく海の方が好きそうだけど・・・山が好きなのかな。そんなことを考えてしまって、中々作業が進まない。
「これじゃ、ダメよ、しっかりしなさいってば!」
そう自分に気合を入れて手を必死に動かしだしたのは、夜の10時過ぎてからだった。
私にしては新レコード更新の勢いでだだーっと事務作業を終わらせる。明日の発送の分、それから更新分、メールを出して、口座を確認するのは朝一番、メモに書いてテーブルに貼り付けた。
起きたらやらなくちゃならないことはこれでいい。明日着る服は・・・・。
私はガックリと肩を落とす。・・・ああ、まだその問題があったー!
凹んでいる暇はない!それからバタバタと旅行準備。
4年ほど使っていない小型のボストンバックを押入れから引っ張り出して、あれやこれやと入れていった。元々私は必要なものが少ないので、バックはすいた状態でチャックが閉められる。
さて。
ドキドキしたままでベッドに入る。
・・・私今晩、ちゃんと眠れるかな・・・。
目を閉じて、しばらくごろごろするけれど中々眠れない。無駄かもしれないと思って羊まで数えてみたけど324匹数えたところで疲れてやめてしまった。
疲れたのに眠れないってどういうことよ、ほんと。
・・・うーん・・・今晩ちゃんと寝ておかないと、明日は朝から疲れた状態になってしまう・・・。それだけは避けたい。元からよく倒れるのに、それでは折角の旅行も台無しで、龍さんをがっかりさせてしまうかもしれない。
それに・・・旅行となると・・・。
今晩姉が色々言っていた言葉が私の頭の中を駆け巡る。大人なんだし流石に私だってそのくらいは判っている。龍さんのことは確かに好きだし、手を繋ぐだけでは物足りないって思うことだって、正直私だってあることもある。だけどだけど・・・彼のあの手に触られる――――――――――
きゃー!
布団の中で一人で悶えて、余計に目が覚めてしまった。
だからだから、もしそれまでに私が疲れきって倒れてしまったり、熱を出したりしてしまったらちょっとなあ!と思うのだ。何としても睡眠は取らなければ、そう思っていたのだった。
どうなるかは神のみぞ知る。だけど、努力もしませんでした、では龍さんに申し訳ない。
考えに考えた私は、とっておきの秘策を出すことにした。
あまりお酒に強くない私は、ワインを一杯ほど飲めばリラックスするはずだ、と考えたのだ。
だけど折角起き上がって台所に行ってみると、ワインは姉が全部一人であけた後だった。恐らく、私達の旅行に興奮してまた酒盛りをしたのであろう。テーブルは散らかったままで、何とかベッドまではいったらしい姉の姿は既にない。
・・・もう、お姉ちゃんたら。
私は仕方なく、戸棚を色々あけて日本酒を取り出した。以前うちで料理を作ってくれるときに、この家には酒がない!と唸った龍さんが買ってきたものだ。
それをコップに半分ほど。
ぐいーっと飲み干した。
「・・・わお」
私は瞬きをしてシンクを掴む。
ぐら〜っと来たのだ。・・・このお酒、強いのかな、もしかして。
真っ暗な台所ではそれ判らず、私はとりあえずと片付けて部屋に戻る。その時には足元はよたついていた。
体が熱をもつのがわかる。顔も熱くなってきていて、指先から湯気が見えるかのようだ。
・・・とりあえず、成功だわ。
ぼんやりした頭でそう考えて、私は布団の中に潜り込んだ。
いい夢を見たい。そして、明日はちゃんと笑顔で――――――――――・・・・
すぐに眠りに落ちた。
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