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 私は思わず目を見開いて、そのまま動けずに体を固めてしまう。

 ・・・・この、静かな声は―――――――――――

 目の前を数人の友達がお皿を手に通り過ぎる。その笑い声に勇気を貰って、私はゆっくりと振り返った。

 私の席の後ろには、絶世の美男子がいるはずだ。そう予想して。

「・・・高田、君」

 艶やかな黒髪を後で整えた美男子は、私の予想通りに静かな微笑を浮かべていた。記憶の通りの佇まいで、だけれども記憶の中よりは遥かに色気も雰囲気も増量したいい男になって、そこに立っていた。

 ちょっと体つきがガッシリとして髪が長くなっている。私はまずそれに驚いて、彼の背中で束ねられているらしい黒髪をじっと見た。私が知っていた頃の彼は、黒髪の短髪だったのだ。

 彼のその外見の変化で、流れた月日をとても意識した。

 高田篤志、私の元夫の一つ下の幼馴染で私たちと同じ大学出身の彼が、静かな声で私に言った。

「久しぶりですね、潤さん」

「あの・・・そうね。高田君も元気そうで・・・」

 何とかのろのろだけど、私も言葉を返す。そしてテーブルの下で転がしていたパンプスを足で探した。

 捻った状態の体が苦しくて、しかも彼も背が高いので、遅ればせながら立ち上がる。

「――――――・・・こんにちは」

 会ったら、絶対に笑おうって、心に決めていた。


 元夫である平林孝太はここにはいない。それは知っているけれど、高田君はくるかもしれない、そう思っていたのだ。

 なぜなら、彼はいつまでも私達のことを心配してくれていたから。

 今の私の生活を知らない、だから、顔を見に来るのではないかと思っていた。そして元夫の代わりに私と話し、元気だったよ、と伝えるのかも、と。

 周りがそうすすめるのではなくて、高田君本人がそれを望むのではないかって、思っていたのだ。

 やっぱり、来ていた。

 ・・・本当に真面目なんだから。

 私はつい微笑が苦笑に変わる。この人、まだ孝太君の世話を焼いてるのかしら、そう思って。

 高田君が、少しばかり身を屈めて小さな声で言った。

「ちょっと、席外せない?ここでは話しにくい」

「あ、そうよね」

 私は頷いて自席を出る。

 何せ輝くばかりの美男子なのだ。私のテーブルを通る女性達が、そわそわと彼を見ていくのが判った。女性が多い昼の部のパーティーで、彼は目立ちすぎているのだろう。大学時代の人間しか彼のことは知らないわけだし。何だ何だ、あの美形は!と思ってそうな視線をアチコチから感じた。

 私とテーブル近くで話しこんでいたら、皆何事かと思うだろう。無駄に目立つのは勘弁願いたい。

 席を立つには丁度食事奪取戦で込み合っている今がチャンスなのはよく判った。

 昔も綺麗な男性ではあったけれど、ここまで目立たなかったと思う。ただやたらと外見が整っている男の子、程度だったはず。どちらかと言えば地味な印象まである。それが今、30代になった高田君は、前よりも存在感が増している。その理由は年齢を重ねたってだけではないはず――――――――――

 私はそっと移動する彼の後ろを追いながら、ピンときた。


 手に注目―――――――特に、左手。

 そこにキラリと光るリングを発見して、つい私は口元を綻ばせた。

 会場を出てすぐのソファーまで彼は私を誘導して、改めて会釈をした。

「潤さん、ごめんね呼び出して」

「ううん、いいの。高田君は来てるだろうとは思ったんだけど、判らなくて。どこのテーブルにいるの?」

 一応は探したのだ。だけど久しぶりの女友達に囲まれて、話に夢中でしばらく忘れていたのだった。高田君は簡潔に、一番後ろのテーブル、と答える。きっとそこには男性陣が集められているのだろう。

 私はソファーに浅く座って、高田君に笑ってみせた。

「それよりも、おめでとう。高田君も結婚したのね?」

 彼の左手薬指には白く光る指輪がはまっている。これはまさしく結婚指輪だ!というような、控えめだけど隠しようもない高級感を放っていた。

 珍しく、無表情で有名な彼が微笑のようなもの、をした。若い時よりはハッキリと微笑みになっている。私はそれを驚いて見詰める。・・・あらまあ、完璧な美男子ね、って。きっと彼の結婚生活は上々なのだろう。これだけの人間らしい微笑が出来るようになったのだから。

 元々綺麗だった男の子は、愛する女性を手に入れて更に格好良くなったのだろう、そう思ったのは当たっていたようだ。

「・・・そう、去年、結婚したんです」

「良かったわ、本当に。高田君には私達のことで苦労ばかりかけたから。自分の幸せを追いかけて欲しかった。住所、聞いたら教えてくれる?」

 彼は微笑したままでゆっくりと首を振る。

「お祝いはいりません」

 ・・・バレたか。

「貰ってくれないだろうなあとは思ったんだけどね。でも私があなたに出来ることって本当にないから」

「潤さんが元気そうで安心した。それで十分」

 相変わらず、口数は少ないけれど優しい人だ。私は彼から視線を外してすうっと息を吸い込んだ。

「高田君・・・まだ会社は同じなの、あの・・・」

「孝太と?」

 言いよどんだ私の後を引き取って高田君は静かに聞く。私は頷いた。

「そう、まだあの保険会社です。俺は去年本社に異動して、もう営業はしてないんですけど。あいつは頑張ってますよ、営業のままで」

 あら、異動――――――――ってことは、彼は元夫から離れたのだな、そう判った。

 結婚している間、夫はよく言ってたものだ。この美形の幼馴染について、あいつは営業向きじゃないのになんだっていつまでもひっついてくるんだ、って。

 あいつはまだ頑張ってますよ、その言葉に心が揺れた。

 私はちょっと懐かしい気持ちになって言う。

「・・・また倒れなきゃいいけど」

 高田君が、しばらく黙った。その間、私は視線を感じていた。彼の、この静かな視線も懐かしいものだった。当時は怖かったそれが、今では何でもないってことに驚いてもいた。

 高田君の静かな声が聞こえた。

「孝太にも、付き合いだした女性がいます。今のあいつはちゃんと仕事もセーブして、家にも帰ってる。・・・大丈夫ですよ」

 私はパッと顔を上げた。

 高田君と今日会えば、彼の、元夫のその後を聞けるだろうって思っていたのだ。彼は再婚しているのだろうか、それともまだ一人でいるのだろうか、どっちにしろその現状を聞いた時、私は動揺しないだろうかって。

 私は一体どういう反応をするのだろうか・・・そう思っていた。喜ぶか、傷付くか、自分でも予測が出来なかった。

 電車の中でつい色々考えてしまって、ちょっとうんざりもしていたのだった。

 だけど――――――――――


 実際にその言葉を聞いた今、私は、スッキリしていた。

 彼に――――――――孝太君に、新しい恋人が。それは私をガッカリなどさせずに、じんわりとした温かさを生み出した。

「良かったわ、本当に」

 そう自分が喋っているのが聞こえた。

 高田君が見ている。心の底まで見透かすような、あの綺麗な黒い両目で。だけど、私は大丈夫だった。そして心の底から、思ったことを言えたのだ。

「彼に・・・大切な人がいるのね、それは本当に良かった」

 彼の愛嬌たっぷりな、あの明るい笑顔を曇らせてしまったのは私であると判っていた。だけど・・・ちゃんと新しい出会いがあって、彼がそれを拒否せずに受け入れているのならば。

 ・・・こんなに安心することって、あるかしら。そう思ったのだ。

 すっと肩の力が抜けたのが判った。

 高田君にもわかったらしい。ちょっとよろめきかけたのを見て、大丈夫?と静かな声で聞くから、私は急いで頷いた。

「安心したの。それで・・・力が抜けちゃったわ」

 うふふ、と笑い声が出た。ああ、良かったなあ、そう思って涙ぐむかと思ったほどに、大きな安心を感じていた。

 会場の中から、皆ご飯とった〜?って幹事の声がマイクで大きくなって聞こえる。戻らなければいけない時間だった。

「もう時間がないわね。・・・あの、私にもやっと恋人が出来たんです」

 高田君が頷いた。私はもう一気に話すことに決めて、身を乗り出して話す。

「仕事も始めて、まだまだだけど一応自立って形は取れてるし、その・・・まだ体は弱くって笑っちゃうくらいだけど外にも出ているし、病院のお世話にはなってないし、それにこの間男性にお付き合いを申し込まれて――――――――――」

 そこまで喋ってから、私はいきなり照れる。やはり自分のことをこれだけ話すのは照れくさかった。しかも、目の前にはやたらと綺麗な男性。ちょっと不思議な感覚だ。

 コホン、と空咳を一度してから、私は続きを話した。

「・・・うんと言ったの。だから、私にも彼氏がいるの。そのことに自分でもビックリしてる」

 私の最後の言葉が面白かったらしい。高田君がゆっくりと笑う。

「あいつも安心するよ、それを聞いたら」

 またぐっと気持ちがこみ上げて、泣きそうになった。だけど、私は何とか耐えて顔を上げて微笑んでみせる。目の前に立つ高田君の向こう側に、元夫の姿が見えた気がした。

 笑う、幻が。

 明るくて、お喋りで、いつもふざけていて、好奇心に溢れた仕事人間のあの人。

 また笑っているならば―――――――――――――

 
 私はそれで、とても満足だ。


「孝太君は夜の回にくるんでしょ?」

 高田君は頷いた。

「そう。俺はそれも出席します。営業じゃなくなってから土日が休みだから、暇なんです」

 あははと私は笑う。そうか、保険会社で本社勤務って、事務とかそんな仕事になったのかな、と思った。

「だって結婚したんでしょう?奥様は土日も働いてるの?」

 つい学生の時に戻ったような感じで突っ込んで聞いてしまった。高田君にこれだけ砕けて話しかけたのは初めてかもしれないのだけれど。

 高田君はその変わらない静かな声で淡々と言う。

「妻は、営業なんです」

「あら」

 それはそれは。もうちょっと詳しく聞きたいところだったけど、会場が落ち着きつつあるようだと気がついた。中座がハッキリばれてしまう前に戻らねば。

 高田君も同じことを思ったようだった。チラリと会場の方へ目をやって言う。

「戻りましょうか。潤さん、ご飯取ってないでしょう」

「それは高田君もでしょ」

 言い合って、二人で会場に戻る。入ったところで彼がすっと離れていくのが判った。私は何気なく壇上の方に視線をやり、千草が私を見ているのに気がついた。

 彼女の目がすっと高田君の背中を見て私に戻る。

 ・・・あらら。

 花嫁を心配させてしまったらしい。私はその場で出来るだけ大きな笑顔を見せる。

 千草の心配そうな顔が笑顔に変わるのを、じっと見ていた。






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