・バカ野郎の巻き添えを食う@




「じゃあね、行ってらっしゃーい」

「さーい」

 時間も遅い朝、玄関で遅番出勤の彼を雅坊と見送った。気温がぐーんと下がった朝で、玄関先でも吐く息が白く空に上っていく。彼は寒さに少しだけ肩を竦めて、目を細めて振り返った。

「雅坊、今日一日母ちゃんを頼むぞー。この人は目を離すと何するか判らないんだからな」

 そりゃあ一体どういうこったい。私は唇を尖らせて威嚇する。まるで私が赤ん坊よりお荷物のような言われ方ではないか!そう思っていたら、隣に立つ息子がニコニコ笑って返事をした。

「あーい!」

「これこれ、あんたまで、ちょっと?」

 息子を上から見下ろしていると、ゲラゲラ笑いながら夫が遠ざかっていく。私達夫婦が勤める百貨店はここから徒歩で10分ほどの場所にあるのだ。

「寒い寒い!早く入ろう〜」

 朝刊を束で取ってから、雅洋を急がせて家に入る。今日は彼の朝が遅めで良かったので、皆で10時ごろまでぬくぬくと2度寝までしてゆっくりと朝食を食べたのだった。家事で体を動かさないとお昼ご飯が入りそうにない。

 雅が一人で音楽絵本で遊ぶ傍ら、私はバタバタと洗濯と掃除を済ませた。年末の大掃除などは出来そうにないけれど、それでも一応のことはしておかねば、と思って、洗面台やお風呂は出来るだけピカピカにした。

 私も明日は出勤だし、一度デパ地下に入ればお昼も食べれないほどの激務になることは間違いない。今日の貴重の休みの間にやっておかねばならないことは結構あった。


 お昼ごはんを食べたらやっと買い物に出発。

 雅坊のオムツと着替え、水筒に入れた麦茶、お尻拭きだけは忘れてはならない。赤ん坊を面倒みる上で最大の発明だと私は思っている、お尻ふき。すんごい便利!あ、そうだ、財布はあるけど中身がないのだった。私は体を起こして両手を打つ。

 行きにコンビニによってお金をおろしていかないと。

 予定を頭の中で組み立てながら、ついでに買い物メモも作成する。もうおせち料理などは作らないし頼まないからいいとして、普通にご飯の為の食材と切れている生活備品のストック分、それから、玄関先に飾る正月のものを・・・。

 今ではちょっと郊外にいけば、通路もベビーカーで余裕で通れるくらいの幅の大きなスーパーがあって便利だ。ほんと、いい時代に子供を産んだものよ、私ったら!そう色んなものに感謝しつつ、雅坊と二人でお昼ご飯を軽く食べる。

 この流れで行けば、車からスーパーではこの子は寝てくれているはずなのだ。保育園児で人見知りもあまりなく、外で号泣など滅多にしない子ではあるが、好奇心が大盛にてベビーカーで大人しくはしていてくれない。だから買い物などの時には出来るだけ眠っていて欲しいのだ。

 遊ばせて疲れさせるためにオモチャまでマザーバッグに詰め込んで、ようやく出発だ。

 玄関の鍵を閉めて、車まで息子を抱っこで運ぶ。デパ地下に努めていていい所の一つにこれがある。腕の筋肉が普段から鍛えられること。お菓子持つよりは子供を抱っこするほうが実際は軽くもあるのだし。

「ぶっぶ〜」

 雅が車を見て嬉しそうに手を叩く。

「そうそう、車ですよー。さて、ではお眠り下さいね〜」

 後ろの席にセットしたベビーシートに雅坊を縛り付けて、彼の手にはオモチャを握らせる。今のところ機嫌は良し。いいぞ、そのままで夢の世界へ旅立ってくれ!

 何にせよ寒いので、さっさと運転席に収まってエアコンを入れた。

 いざ、出発だ。

 

 天気もよく、年の瀬も迫った28日、私は車でお買い物へ。

 ふんふんと鼻歌まで出ちゃったりして。かなり、上機嫌だった。それは昨夜の久しぶりの抱擁も原因にあるに違いない。忙しさですっかり忘れていたけど、やはりたまには抱き合わないと夫婦であることを忘れてしまいそうだ。

 あら?どうしてこんな体の大きな同居人がいるの?なんちゃって。

 一人でそんなことを考えながらあはははと笑う。そして、住宅街にいきなり現れるコンビニの駐車場へと車を入れた。

 すぐ角を曲がれば大きな国道に出る場所ではあるが、前々からどうしてこんな中途半端な場所にコンビニがあるのだろうと謎だったところだ。だけど、例えば子供のお弁当のおかずを買うのを忘れてた、とか、受験生のコピー機使用などに丁度いいらしく、建ってから結構経つけど潰れる気配もない。ここにはだら〜っとした大学生のアルバイトばかりで、買い物をする時にその接客態度につい説教を垂れたくなることもあるのだけれど―――――――――

「・・・やっぱり爆睡してるわよね」

 さて、予想通りに寝てしまった雅洋をどうするか、と悩み、やっぱりお金をおろす時間とはいえ車においていくのは忍びないと考えて、彼を下ろすために運転席から出て後ろのドアを開ける。ベビーシートで眠る小さな体に手をかけたところで、ハッとした。

 ・・・・・あああ・・・この匂いは。

 いやーん、しちゃったのね。今このタイミングで・・・まあ、大人の都合なんて知ったこっちゃないのでしょうけどさ。それに、お昼ご飯も食べた後だから当然といえば当然のことで。

 若干ガックリしながら、寝たままの雅坊をベビーシートから取り上げて後部座席に寝かせる。丁度車も停めてるし、ついでにオムツも変えてしまおう。そう考えたら起きているときよりオムツ替えは簡単なはずだしね。

 とりあえず寒いからと自分の体も後の座席に詰め込んで、ドアを閉める。エンジンをかけて暖房をつけたままで、後の座席に寝かせた息子のオムツを替えようとしていたのだ。

 だから、私の周りには新しいオムツやマザーバックやそこから出したお尻拭きやビニール袋などが散らばっていて、前はちっとも見てなかった。

 それに勿論、ちょっと停めた地味〜なコンビニの駐車場でこんなことが起こるだなんて予想してない。

 だけど、世の中は予想だにしないことが結構頻繁に起こるのだって、今までの自分の体験を元にしていたら判ったはずだったのだ。

 だけどだけど、まさかでしょ。


 いきなりバタン!と開いた運転席。

 音に驚いて屈み込んでいた顔を上げた私の目にうつったのは、そこに転がり込んできた一人の男。

 え?とか、は?とか、言ってる暇はなかった。

 何故か知らないがいきなり我が家の車に飛び込んできたその男(推定、だけどさ。もしかしたら女かも)は、ぐいーんとアクセルを踏み込んだ。

 当然、車は急発進する。

「うひゃあああっ!?」

 私は色んなものと共に後部座席で転がりながら、そう叫んだ。それでも眠る息子の体をがっしり掴んだあたり、自分でも母親になったのだなあと思ったのだけれど。

「え!?」

 低い叫び声が聞こえて、運転席にいる男がチラリとバックミラーを見る。

「ひ、人が乗ってたのかっ!?嘘だろ!?」

 私は何とか体勢を立て直しながら、いまだ眠る息子を押さえつけたままで叫び返した。

「嘘だろはこっちの台詞でしょうがっ!!あんた勝手に人の車に乗ってきて何考えてんのよ!」

 いきなり怒鳴ったのが効いたらしい。すこしばかり車のスピードが落ちたように感じて前を見ると、運転席の男とバックミラーでバッチリ目があった。

 真冬に汗だくの顔で、青ざめているように見えた。まだ若そうな男だ。二重の瞳が挙動不審にキョロキョロと動いている。

「・・・いやあ・・・だって誰の姿も見えなかったから・・・」

「子供のオムツ替えてるのよ!!誰も乗ってないのにエンジンつけっぱの車があるわけないでしょうが!バカじゃないの!?」

 というか、絶対バカだ。それは間違いない。だって常識ある一般市民はこんなことはしないはずだ。

 腹立ちついでにとりあえず罵りまくってやった。何なのだ、このバカ野郎は!?そこでようやく雅坊が起きたようで、ふえ・・・という泣き声を聞いた私はハッとする。

 そうだ、とりあえずオムツ替えを完了しないと!下半身丸出しでは赤ん坊が風邪を引いてしまう。

「ああ、ごめんね〜、起きちゃったよねえ。そりゃこんな下手な運転じゃあねえ、よしよし」

 私の怒鳴り声で起きたのかも、とは思ったのだ。だけど、かなり驚いたし腹が立っていたので、色んなところに嫌味をこめることにした。雅坊のお尻を拭き、新しいオムツを履かせてズボンを引き上げていると、運転席のバカ野郎は混乱した声で喚いた。

 「え!?え?オムツ?赤ちゃんまで!?」

 畜生、バカ男!車内に蔓延するこの匂いに気がつかないわけ?使用済みオムツを頭に被せてやろうか。一瞬本気で実行しそうになったけど、そうなるとただ今命を預けている状態な私達も危ないと気付き、やらなかった。舌打をしながら揺れる車内の中で何とかオムツをビニール袋に入れて、とりあえず起きてしまった雅坊を後部座席で抱っこする。

「ぶぎゃああああ〜っ!!」

「はいはーい、よしよし。何だかよく判らないけど大丈夫よ多分。泣かない泣かない〜」

 母親に抱っこされていると気付いたらしい息子は、とりあえずは絶叫を止めてくれた。しゃくりあげながら呆然と寝起きの顔で周りを見回している。

 ああ、ヤレヤレ。私も周囲を見回した。

 車は結構なスピードで国道を走っている。・・・・ちょっとー・・・どこ連れてくのよ、私達を。

 私はむすっとしたままで、足を伸ばして運転席の男を後から蹴っ飛ばした。



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