2、ストック場の攻防。@



 狙い通り、守口店長の元カノが洋菓子に入ったらしいとの噂は凄いスピードで蔓延し、それから3日後には色んな売り場の販売員が、通りすがりに顔を見たり、直接私に話しかけたりしてきた。

 女性の好奇心とお喋りを侮ってはいけない。それは今までのどの職場にいても身に沁みて体感してきたことなのだ。だから、それを利用することにしたってわけ。

 私は当たり障りなく笑顔と共に話をしたけれど、少しずつ、斎の印象を悪くするような言葉を入れていくのを忘れなかった。

 例えば、待ち合わせには必ず遅れる、その理由は寝坊であって、大切な人をも普通に待たせることの出来る男なのだ、要するに自己管理が甘いのよね、とかそういうこと。

 先に、ヤツの評価を下げる言葉を。それから最後には必ず優しいフォローを入れる。「きっと連勤でお疲れだったのだとは思うけど」、とか「今付き合ってる人には違うでしょうけど」など。

 そんな言葉の操作をして4日目、休憩時間に一緒にお昼を食べていた隣の店のパートの子から、情報を手に入れたのだ。

「そういえば、守口さんて、今、小林部長の娘さんと付き合ってるらしいですよ〜」

 友川さんという私より二つ下のフリーターである彼女は、菓子パンにインスタントラーメンという手軽な昼食をかきこみながら言った。

 それまでの包装やラッピングの仕方という話題からいきなり飛んだので、私は一瞬話についていけずに止まってしまった。

「え?」

「だから、守口さん。小川さん、もう全然気はないんですか〜?元カノだったら略奪も可能かも、ですよ〜」

 周囲を見回して地下の男性社員の姿がないことを確認してから、彼女は小声でそう言った。小川さん綺麗だしさ〜と語尾を伸ばしてケラケラ笑う彼女の前で、私は手をぶんぶんと振ってキッパリ否定する。

「ない、ないない。絶対ない。あの男はもうない。こりごりだもん」

 これだけは何百回「ない」って言っても足りないわ。そんな気持ちで顔を歪めて言うと、友川さんは瞳を輝かせて身を乗り出した。

「え、え、何があったんですか?そういえば破局の原因聞いてないかも〜」

「破局の原因?ああ、それはまあ普通に性格の不一致ってことで。だけどほら、積もり積もった不満ってものがあるの、判るでしょ?」

 私の言葉に友川さんはぽかんとした顔をする。・・・判らないか。くそ、若いんだな、この子。いいのいいの、きっとあなたは幸せな恋愛しか経験がないのよね。それはそれで素晴らしいけどさ。

 私は気にしないで、と無愛想に言ってから、そんなことより、と声を低くして顔を近づけた。

「小林部長って、食品の?」

 今大事なのはそれだ、それ。

「あ、はい、そうです。昨日の朝礼出てましたっけ、小川さん?前で喋ってたおっちゃんです。うちの百貨店の食料品の最高責任者ですよ〜」

 小柄な、白髪の男性を思い浮かべる。丸っこい体に似合わない鋭い目つきをしている人だった。そのアンバランスな雰囲気で記憶に残っている。そうなのか、あの人が小林部長。50代くらいとは思ってたけど、娘さんがいるのね・・・。

「娘さんて、まさかここで働いてるの?」

 友川さんは片手をあげてちょっと待っての合図をしつつ、カップラーメンの汁をすすった。そして満足げな吐息を吐くと、周りを見渡して更に声をひそめた。

「そうです、えーっと、確か3階のレディースに居るはずですよ。この前の人事異動で来たらしくって、その百貨店主催の歓迎会で守口さんと会ったんでしょうね〜」

 でないと階違いの人間とはあまり会う機会ないですもん、と続いた。

 確かに、店員食堂は警備員から清掃のおばさんまでこのビルで働いている人間が全員一緒に使うが、それぞれの店で勤務時間も違うし、それぞれの店に入っている人間の数で休憩時間も異なる。食堂で顔を合わせるのも毎日違う人間なので、階が違うと知り合いになれるチャンスなんて滅多にないってことが、入店して1週間の私にも判った。

「へえ〜・・・その娘さんって、じゃあ同じ年くらいなのかしら、私と」

 同じように声をひそめて言ったら、友川さんはううーんと考え込んだ。

「あたしと同じくらい・・・かなあ?童顔なので、年が判り難い・・。でも20代後半だと思います」

 ふうん、と頷く。

 ・・・小林部長の、娘さん。今、斎の彼女とされている女の子。

 一度見てみなければ。売り場をリサーチしよう。とってもハッキリしていることは、斎が狙ってるのはその子本人ではなく、その環境と付随する色々なものに違いない。

 酸いも甘いも噛み分けたような強かな女性ならあえてこちらからは口出しもしないでおくが、まだ子供のような清純な女性ならば助けてあげねば、と決心する。

 アイツが、その子にはいい人間になるとは思えない。人間の性格はそう簡単には変わらないし、あの男の根性の悪さは既に筋金入りであることが判っているのだ。

 お弁当の蓋を閉めて、反応を伺うようにこちらをじっと見ていた友川さんにコーヒー飲む?と笑いかけた。


 少しずつ噂を流していて、そろそろ1週間経った。私がこのデパ地下に勤めだして、約半月。

 私は売り場にも慣れてきて、どうにか包装も店長のオッケーを貰えるようになり、売り場には一人で立てるようになっていた。

 通販でそろえた家具や道具で一人暮らしの部屋も一応は自分好みに完成していたし、お金はないのは変わらなかったけど、まずまず平穏な日常になってはいた。

 斜め前の店で働く斎のことは極力無視していた。あっちもそうすることに決めているらしく、職場では愛想のいい斎が私にだけは挨拶もしてこない。それはそれで目立ってはいたが、元カノ元カレの関係であることは皆が知っているので、それだけが噂されることはないようだった。

 お互いに話はしないままで、それでも私は毎日のように会う人会う人に守口斎のだらしない面や、マイナスの印象を持つ話をし続けていた。

 これを、継続は力なり、という言葉に変えてみせるのだ。あれを地でやりたい。

 目立つ上に売り上げもいい守口店長のブラックな話は皆が聞きたがり、私がソフトに話したことは尾びれも背びれもひっつきまくって更に流され、期待したとおりの悪人に仕立て上げられていた。

 女性トイレの個室に入っている時にそんな話題が地下の食料品の人達の会話に聞こえたことがあって、私はその場でゲラゲラ笑いそうになってしまったのだ。危なかった。もう少しで本当に噴出すところだった。

 人にはかなり気を遣って働いたから、周りの信用も得て、販売員としての私の評判は悪くはない。その状況に満足し、私はますます愛想良く接することを決める。

 今の所は、私の思い通りにすすんでいる。それは私の気分をえらく上昇させていた。


 遅番で入った5月も最後の土曜日。出勤した私は早番が売った商品の品だしをしようと、私物鞄を直して立ち上がって、大野さんに声をかける。

「ストック行ってきまーす」

「はい、お願いします」

 大野さんが頷いて、袋と品だしメモをくれた。

 チラリと『ガリフ』のほうを見ると、斎がバイトの女の子に指示を出しているのが見えた。

 お客様の邪魔にならないように気をつけて、百貨店の隅にある、洋菓子と和菓子が共同で使っている在庫の倉庫まで歩いていく。珍しく誰もいなくて電気が消えていた。

「えーっと・・・・ボヌール3個、茶紙少々・・・」

 メモをスチール棚に貼り付け、声を出しながら商品を紙袋に入れていく。包装紙は重たいので、力を入れないと中々取れないのだ。くそ、と呟いて思わず舌打をしてしまった。でも仕方がない、これを取り出すのが私の目下の仕事なのだから。

 狭い棚の間には床にもダンボールごと商品が置いてあるので、身をよじって立っているので余計力が入らない。

「・・・・もうっ」

 ぐぐっとお腹に力を込めて引っ張り上げていたら、後ろから伸びてきた手がそれを一気に掴み上げた。

「――――――え?」

 足音も聞こえなかったのに人が!?と驚いて振り返ると、取り出した茶紙を持って、無表情で斎が立っていた。


 ―――――――あら、バカ野郎がいるわ。


 急なことに頭がついていかず、私は驚いた顔のままで彼を凝視する。

 細めたその瞳には暗い怒りのような影が見え、ぞくりとした。

 ようやく動き出した頭が叫ぶから茶紙を取り返そうと手を伸ばしたら、一瞬早く斎はそれを後ろに引っ込めた。

「ちょっと!」

 当然文句を言おうと口を開くと、ヤツは目を細めて睨んでいる。

「・・・・・お前、何が目的だ」

 今までに聞いたことがないような低い声だった。


 斎は基本的には明るい男だ。

 自分の外見が良いことも、その利用価値もよく判っているし、機嫌がよければ周囲に笑いが絶えないようにふざけることもする。

 その斎があんなに低くて暗い声を出すんだ、と私は更に驚いて、一瞬呼吸が止まった。




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