2−A
睨みつける斎から視線を逸らし、静かに息を吐く。それから改めて、斎と視線を合わせた。
・・・負けるもんか。
狭い棚の間で身動きが取れないので、中々余裕気な態度が演出できない。仕方なくスチール棚に背中をつけて声を絞り出した。
「・・・いきなり何?」
斎はすっと眉間に皺をよせて、不機嫌な声を出した。
「何のつもりでここに来たのかって聞いてんだよ」
ヤツの目の中の憎悪に、私は殴られるのかもって思っていたのだ。もしかしたら、無言でいきなり殴られるかも、って。ところが口を開いたらそんな言葉が。一気に恐怖心がバカバカしさに変わり、私は鼻で笑ってやる。
「働くために決まってるでしょ」
「ああ?」
「4日、入院したわ」
あの時の怒りが体の底で再発する。私は目の前の美男子を、下からゆっくりと睨みつけた。
「緊急入院で携帯も持ってなかったから、前の会社は首になった。独身だし、働かなきゃいけないのよ私。それに―――――」
じっと斎を見詰める。
「退院したら、口座から貯金が消えてたし」
斎の眉がぴくりと動いた。
茶紙に手を伸ばすとまたさっとどけられる。私はそれにイライラして舌打ちをする。
斎はうちの店の茶紙をしっかりと持ったままで、低い声で言った。
「・・・お前、あることないこと言いふらしてるだろう」
あっかんべーをしてやろうかと思った。だけど勿論そんなことはせず、ただじっとヤツを見返す。
「いい加減にしないと、マジで怒るぞ」
「私が言いふらしてんじゃないわよ。皆が聞きに来るのよ、素敵な我らの守口店長について」
ふざけた口調で言いながら、にやりと笑ってみせた。
やっぱり斎のところにも噂が流れていたのだ。普段優しく格好良いってイメージ作りを大事にしている斎は、さぞかし不愉快な思いをしているのだろう、と思うと、大声で笑いたい気分だ。
いっそ笑ってやろうか。ゲラゲラと腹を抱えて。
「付き合ってたなんて言いやがって」
「付き合ってなかったっけ?」
私の返答に斎は無言で口元を歪める。・・・まったく、腹が立つ男だわ、本当。一体どうして私はこの男に惚れていたのだろう。
「あ、そうか、私はあんたの家政婦だったんだもんね。付き合ってたなんていわれたら、そりゃあ迷惑だったわよねえ〜」
少し首をかしげて目を細める。そらさない。負けるわけにはいかない。
さあ、売られた喧嘩は堂々と買ったわよ。どうでる、この男?一体どういう態度に――――――――――
その時、綺麗な顔を不機嫌そうに歪ませていた斎が、するりと表情を変えた。
え? 驚いた私は呆気に取られる。
ヤツは二重の綺麗な目元を柔らかく細めて、美しい笑みを浮かべる。白い歯をみせて、ふんわりと色気のある、極上の微笑みだ。
通りすがる女性達が思わず振り返るような、斎独特のすばらしい笑顔。
「まり」
あの美声が鼓膜を揺らした。
そして一歩近づき、手を伸ばして棚をつかみ、呆然と固まる私をスチール棚の間に閉じ込める。
綺麗な顔を、吐息が頬にかかるくらいまで近づけ、私を見詰めながら言った。
「俺を、忘れられないんだろう、まり」
美声が耳をくすぐる。
名前を呼ばれるだけで理性が吹っ飛んだものだった。この瞳に見詰められるだけで、頭の中もとろけたものだった。
―――――――――以前は。
呆然としていた霧のような意識世界から、現実に戻れたのを感じた。
私は視線を反らさずに真っ直ぐに斎を見返す。
もうこの瞳にも声にも負けないと、病院の天井に誓ったのだ。
「俺を追いかけてきたんだろう?いつだって俺が一番だったもんな。構って欲しくて色々したんなら、許してやるよ」
「・・・」
「4日も入院したのか?そこまで悪いと思ってなくて、顔も出さずに悪かった。でもまりが元気になって本当に良かったよ、俺、あの時かなり心配したんだぜ―――――」
小さな声で話しながら、瞳を伏せて斎が顔を近づける。つけているアフターシェービングローションの香りがふわっと私の全身を包んだ。
斎の伏せた長い睫毛を目前に見ながら、私はそっと微笑む。
そして、唇が触れるギリギリの瞬間、ぼそりと呟いた。
「・・・見くびんな、バーカ」
ハッと目を見開いて、斎がのけぞった。
その時、ストック場のドアが開き、にぎやかな店内の音と共に入ってくる販売員の足音を聞いた。
一瞬、斎が顔を上げて棚の間から入口の方を見た隙に、私はそのまま力いっぱい膝を振り上げた。
ぼくっと鈍い音がして、私の膝は斎の白衣にのめりこむ。
「っ・・・!!」
斎が体をくの字に折って倒れ掛かってくるのを、するりと避けた。やつはそのまま座り込む形になって、苦しそうに肩を震わせている。
私は狭い棚の間の通路にうずくまって咳き込む斎を見下ろした。
足音の主が近づいたらしく、ハッと息をのむ音が聞こえて振り返った。
「守口さん?!」
この制服は、和菓子のメーカーの女の子か、と冷静に観察した。学生のアルバイトらしい。それほど化粧気のない顔には驚きと焦りが見えた。
「だ・・・大丈夫ですか?どうしたんですか?」
通路の入口あたりで口元を片手で押さえてオロオロする女の子に手をあげて、私は静かに言った。
「守口さん、お腹が痛いんですって。連勤でお疲れなのよね、きっと。医務室に行ったら、と勧めてるんだけど・・」
連勤かどうかなんて知らないが。ま、いっか。
まだうずくまったままの斎の横にしゃがみ込んで、私は背中をさすりながら言う。
「大丈夫ですか?守口店長」
ああ、今包丁を持っていたなら迷わずこの背中に突き立ててやるのに。そんなことを思いながら、背中をさする指の爪をゆっくりと立てる。
唇をかみ締めた斎が物凄い形相で私をにらみつけた。額には脂汗が浮いている。私の蹴りはよほどいい場所にヒットしたらしい。
その凄い顔を女の子の視線から体で隠してあげて、私は斎の耳元でそっと囁いた。
「・・・あんたと付き合っていた最後1年半ほど」
睨みつけていた斎の瞳がいぶかしげな表情を見せた。
更に低い声で静かに言った。
「・・・・私、抱かれてイッたことなかったの」
とにかく先に品だししてきます、それから人を呼びますので、と女の子が倉庫の奥へ走って行ったので、私は立ち上がって斎を見下ろした。
「・・・・何、言って・・・」
唖然とした顔で斎が下から見上げてくる。
私はにやりと笑って、斎が落とした茶紙を拾い、自分の店の品出しの紙袋を持った。
思ったよりも時間をくってしまっている。店で大野さんがやきもきしていることだろう。だけど、最後にこいつに是非ともトドメを―――――――――
顔中に嘲笑の表情を浮かべて、私は低い声を出す。
「あんあんよがり声を出して痙攣してみせれば、男は簡単に騙されるのね。あんたはいつでもバカみたいに簡単に騙されてくれたわ。それに、言わせて貰うけど――――――」
扇情的に舌で唇を舐めてみせた。
「・・・・あんた、キス下手よ」
そしてそのまま出口に向かって歩き出した。
後ろは振り返らなかった。
本当は踊りだしたかったけど、意思を総動員して耐えた。
美丈夫で売っている斎には天地がひっくり返るほどの驚きだっただろうし、我に返った時、屈辱に震え悔しさで歯噛みするだろうことは、火を見るより明らかだ。
抱いてやっていると思ってた女に言われた言葉。あんたはアレが下手なんだよ――――――――――
ミッションA男のプライドを粉々にする
クリア。
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