2、バカはバカでも意地がある。



部屋に戻って、コンビニでもらってきたダンボールの一つを切り崩し、マジックで大きく書いた。

 ミッション@近づく。

 それをカーテンを閉めた窓際において、じっくりと眺めた。


 現実問題として、いざという時の貯蓄もなくなった今、この悲惨な現状を親に知られないようにするには仕事を始めなければならない。

 信用を失った派遣会社に戻る気はないし、斎に近づかなくては復讐も始められない。

 誰がしたか判らない、誰かの意思が働いてるかも定かでないって嫌がらせがしたいわけじゃあない。

 黙って後ろから近づき、階段の上で背中を押したって私の気は晴れないのだ。・・・・ううーん、若干それも魅力的だと正直思ってたけど。いや、でも。

 小川まりが、やったんだ!とあのバカ野郎に気付いてもらわなけりゃあ困るのだ。

 私は腕を組んで天井を睨む。

 ・・・やっぱり、ヤツの職場に侵入するのが一番早いか。

 4日前までの情報だとあいつはただ今百貨店で販売員なのだ。半年前に転職して、あの綺麗な外見と上手な口でファンの客を作って売り上げをのばし、既に認められて社員になり、売り場を仕切っていると知っていた。

 ・・・・・販売員・・・か。

 デパ地下の。

 仕舞うケースを捨てたので部屋の隅に押しやっていた新聞の束から、日曜版の求人広告を引っ張り出す。

 販売員なら、結構のっているはず。斎と付き合っているうちに知った情報を総動員すると、夏の中元の時期の繁忙期まえで、百貨店の販売員の求人は増えているはずだ。

 去年の夏や冬の繁忙期には、それを理由に斎はまったく私の部屋に来なかった。

「お前なんかに構ってる暇ねーんだよ」って言ってた、確か。

 全く、一々ムカつく男だ。その時の私がヤツの吐いた言葉に傷付いて黙り込んだのが間違いだったのだ。殴ってやればよかった。

 怒りに任せて丁寧とは言えない手つきでガサガサと広告をめくる。隅から隅まで見渡せば、欲しかった求人を3つほど発見した。

 しかも、その内一つは斎と同じ百貨店の洋菓子売り場だ。販売員は今まで経験がないが、出来るか出来ないかなんて言ってる場合じゃない。

 やらなければ。

 とにかくあのバカ野郎に復讐をするまでは、家賃と食費だけ払える給料があればいい。節約は殆ど趣味の領域に入っているし、今度は金のかかる男もいない。晴れてこの気持ちから自由になった後、また正社員を探すのだ。

 バイトでいいの、バイトで。

 派遣に比べたら時給は安いが、そこらへんのコンビニでバイトをすることを考えたらまだいい時給だと思うし。ざっと計算して、月に10万ほどか。

 即行動!と声をあげて、ケータイを取り上げた。広告を見ながらボタンを押し捲り、老舗のチョコレート屋本社に電話を入れる。

 そして面接の約束をゲットした。受かる自信もある。なんせ、保険をつけてくれだとか、たくさん入らせてくれとか言わないし、暇で独身、しかも金のない私は朝から晩まで働ける。

 他の応募者が更に経験有りだとかでなければ、貰えるだろう。

 仕事、これでオッケー。

 斎と同じ室内の空気で呼吸することになれば、とりあえずの第一歩だ。

 面接はいつでも大丈夫だと伝えると、よっぽど人に困っていたのか、それとももう締め切りなのか、今日これからいけるか、と聞かれたので承諾した。1時間後には売り場に着かなきゃなんない。切った電話をベッドへ放り投げて、身支度を整えるために洗面所に飛び込んだ。

心労と入院中の自分ケアさぼりのため、30歳にしてはふけて見える疲れた外見を、魅力的にみえるようにごまかす。

 髪を整え、艶が出るまでブラッシングして、BBクリームで肌を整えた。眉毛を抜いて整え、アイラインを控えめにいれる。

 よく考えたら斎に会ってしまうかもしれないのだ。ブサイクさ満開でいけば、嘲笑されて自分が惨めになるに違いない。あんたのことなんて何も気にしてないのよってな状態でいくことが望ましい。

 20分でした割にはいい出来栄えに満足して一人で頷く。

 やれば出来るじゃん、私!!

 すごくキュート、とは行かないが、この5日間のぼろぼろ状態を思えば同一人物には思えない。

 よし、と気合を入れて、鞄を引っつかんで出発した。


 電車一本で都会に出る。

 揺られながら夕暮れも終わりかけの町並みを眺める。

 自分のやろうとしていることが間違っているかどうかなんて関係ない、と心の中で何度も唱えていた。

 世の中そんなに甘くないってことを、私は自分の手でアイツに知らしめてやるのだ。

 法が及ぶほどのことをしたわけではないけれど、アイツは言葉で私を傷つけ、「名誉毀損」で訴えられるぐらいのことはしたのだ。

 投げつけられた数々の暴言が頭の中を駆け巡った。

 どうなるかな。私が売り場に行って、もし今日アイツがいれば。

 その場で切れたり、泣き出さないようにしなくては。

 面接にではなく、あの男に会うかと思うと緊張した。

 深呼吸をゆっくりとした。


 平日でも、百貨店の食料品売り場は人がたくさんいた。それでも混雑しているのは主に惣菜やマーケットのほうで、目的地である洋菓子売り場は客の姿もまばらにしか見えなかったけど。

 まだ20代前半の頃、派遣でやったことのある受付嬢の笑顔を顔に貼り付けて、一角にあるチョコレート屋に歩いていく。

 ちらりと周囲を見渡したけど、斎の姿は見えなかった。あの男ならどこにいてもすぐに判る自信がある。少し、肩の力を抜いた。


 目的の店を発見して、もう一度息を深く吐く。

 店頭で帽子を被った販売員に微笑みかけた。

「すみません、求人の面接に来ました小川と申しますが」

はい、と笑顔で振り向いた女性にそう告げると、はーい、お待ちしてました、とカウンターの奥から40代とおぼしき女性が出てきた。

「急な面接に協力していただいてありがとうございます。じゃあ、行きましょうか」

 お願いね、と店頭の販売員に言って、店長らしき女性は上着をきて帽子を取り、私を促して歩き出した。

 面接・・・ここでちょろっとするんじゃないんだ。後ろをついていきながら前を歩く女性を観察する。

 口角の上がった綺麗な笑顔だった。店長職長いのかな。すっきりとした後姿。第一印象は悪くなかった。

 まあ、斎の例もあるし、人は見かけで判断しちゃあいけない・・・。痛い目にあったばかりなんだから、そこは抑えとかなきゃね。

 百貨店と繋がっている商業ビルのカフェに入り、コーヒーをご馳走になった。

「初めまして、私、店長の福田といいます」

「小川まりです。宜しくお願いいたします」

鞄から電車の中で慌てて書いた履歴書を出す。揺れる車内で綺麗な字をかくことだけに集中して、割合いい出来だったと自分でも思う。

 はい、失礼しますね、と言って福田店長を履歴書を読み出した。住所と年齢、簡単な基本事項(一人暮らしか、結婚が近いとかではないか、等)を確認して、ふと顔をあげる。

「一人暮らしで、ここのアルバイトで暮らしていけるの?」

 当然出てくる疑問への答えは既に用意してある。私はにっこりと微笑んで言った。

「コピーライターの卵なんです。部屋で仕事をしていますがそれだけではお給料が足りないので、パートを探していたんです。お仕事を頂けるなら、こちらのシフトを優先して頂いて構いません。仕事には影響ありませんから」

どうよ、満点の答えでしょう。

 福田と名乗った店長は安心したように頷いて、言った。

「自営されてるというわけですね。シフトを優先していただけるなら助かります」

 そして顔をほころばせて、こう言ったのだ。

「自営の方でしたら保険は国民保険でしょう?うちで今、保険付きのパートタイムも募集してるんですが、そちらで話を進めましょうか?」

 マジで!??と驚いてパッと顔を上げた。

 ・・・それは、願ってもない話だ。派遣会社で厚生年金に入っていたけど、それも首になり打ち切られているし、その関係で現在は健康保険すらない私だ。

 自営だと嘘をつくにあたって、国民健康保険になるなあと痛く思っていたのだった。

 凄い・・・こんなラッキー、滅多にないよ。捨てる神あれば拾う神ありって、こういうこと言うんだ〜・・・。

「・・・あの・・・大変有難いです!」

私の返事に気をよくしたらしい店長は、頷きながら言った。

「では、そうしましょう。経歴にも問題はありませんし、販売員の経験はないようですが接客業にはいらしたみたいだし。準社員扱いになりますので時給も200円上がりますから」

 おおおお〜!!!興奮した。出来たらその場で踊りだしたかったくらいの興奮だった。

 そしたらそしたら、給料も手取りで12、3万くらいにはなるし、多分アルバイトよりもたくさん入れるだろうし、ってことは斎に近づくチャンスまで増えるじゃないの!やったああ〜!!神様、なんていい条件を、ありがとうございます!

 心の中でガッツポーズをした。

「ありがとうございます!」

 私の返事に彼女はにっこりと微笑んだ。

「で、いつから来れますか?」

 福田店長がシフト表らしいものをめくるのを眺めながら、目下別にやることのない私は、いつからでも、と元気よく答えた。

「明日からお願い出来る?」

「はい、朝から晩まで大丈夫です」

 では、明日朝9時半に百貨店の店員入口まで来てください、と店長は再度微笑む。店の照明が彼女の頭に光をおろし、キラキラと光っていた。真剣に、この人は天使なんじゃないかと思った。

 斎への復讐を決意して、その3時間後、私はヤツの近くで、仕事と給料の保証と保険を手に入れた。

 机の下で地味にガッツポーズを決める。


 出だし、まずまず。



 頭を下げて挨拶をしてから、百貨店を出て足取りも軽く駅へ向かう。

 コンビニで、安さで有名な通販の雑誌を手に入れ、ついでにお弁当、缶ビールを買った。

 これからは自分の趣味で部屋を作るのだ。

 あの男の言いなりではなく。

 そして明日からの仕事に慣れるまでは大変だろうし、捨てまくった家具を買いに行く時間もないから、通販で揃えようと決めた。今夜は弁当を食べてビールで乾杯して、それから自分の部屋の改造計画を楽しく立てよう。来月から入ることになった給料の存在が私を明るくしていた。

 そしたら・・・・斎のことも考えずに済むだろう。

 あの極上に綺麗で格好の良い悪魔のことを。

 受けた心の傷も。

 これからの厳しい毎日のことも。

 自分の年齢と親からの過度の期待のことも。


 私があいつと一緒にいた時間においてきたものを思い出すんだ。

 あいつに出会う前の27歳の頃の自分に戻るんだ。

 あの平凡な幸せを、もう一度この手にいれてみせる。


 5月の風に吹かれながら、私は細かく武者震いをした。横断歩道で目をきつく閉じる。

 あいつへの復讐を遂げる時、それまでは私は二度と泣かない。


 絶対に、泣くもんか。




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