4−A




「そうだった。君が守口を蹴っ飛ばしたのは驚いたな。見事な回し蹴りだった。反応も早くてナイフをさっさと拾ってたし、その後の構えも中々・・・」

 人差し指で唇を撫でていた。彼が物を考えるときの癖だとは、もう判ってる。

「・・・それに、君はやたらと冷静だった、な」

 彼が私を見下ろしたのを感じた。私は知らん顔でそのまま歩く。繋いでいる手をぶらぶらと振って、彼が追求した。

「あれはいきなりナイフを向けられた一般人の反応ではない、よな?」

「・・・そう?」

「ああ、普通の人はあんな動きは出来ない。まずはパニックに陥って、自分の首を絞める行動に出ることの方が多い」

 問いかけるような視線を感じたので、しぶしぶ言った。

「実は」

 ゆっくりと口を開く。

「空手をしてたんです。10年ほど」

 彼は目を見開いて、まいったな、と呟いた。

「強かったのか?」

「帯は黒の手前で終わりましたけど、それとは別に護身術を学んでました」

「―――――――・・・せいぜい、怒らせないようにしよう」

「そうして下さい」

 そうは言っても、あなたはプロじゃないの。いざとなったら私なんか簡単に押さえ込めるくせに、と思ったら、何かムカついた。

 ムスッとした声で言う。

「私は怖いですよ。しかも、しつこい。一度受けた恨みは一生忘れないし、仕返しするまで諦めません」

 それにそれに――――――と話を続ける私の手を引っ張って、彼が抱きしめた。


 彼は私の頭の上に口付けをして、判ってる、と静かに言う。

「それでもいいんだ。それも含めて全部―――――」

 彼の低い呟きは耳を通って私の心へ届く。それは段々熱を持って、私を暖めた。


「全部・・・好きなんだ」


 夏の夜、静かな公園で。

 好きな男と二人きり。


 私の瞳からは涙が一粒。

 今、やっと全てが終わり、私は男の腕の中。

 私を心配して探している間、イライラを抑えるためにずっとタバコを吸っていたと言っていた彼の服からはラークの匂い。

 抱きしめたその香りを、彼の香りとして私は永久に記憶する。



 私は今、間違いなく、幸福の真ん中にいた。



 3日振りに出勤したデパ地下では、『ガリフ』の元店長、守口斎に関しての話はタブーとされていた。

 斜め前の『ガリフ』には新しい女性の店長が就任していていつも通りに営業していたけど、斎のファンで顧客になっていた女性達の足が遠のいたためか売り上げが激減していて大変だと聞いた。

 お客様は店にきて、斎がいないことをすると回れ右をして帰るらしい。・・・恐るべし、愛嬌よしのイケメンの営業力。

 本当に、あらゆる意味で迷惑なヤローだぜ。


 出勤するなり福田店長がお目目をキラキラさせて、私ちゃんと出来たかしら、小川さんの言ってたのは、鮮魚の桑谷さんね?と迫ってきて笑えた。

 私はにっこりと笑って頷く。

「店長のお陰で、彼を手にいれることが出来ました」

 そう言うと、一体どういうことなのー!?と興奮して更に迫ってきて面白かった。

 かなり説明を端折ったけど、少し心配をかけれたお陰で彼の気持ちがちゃんと判り、恋人になれました、と言うと、それで満足したようだった。

「鮮魚はここの売り場から見えるもんねえ〜・・・そうか、やっぱりこんな事もあるんだと思えば、毎日の化粧も気が抜けないわね」

 とカラカラ笑う。

 そして、いきなり真面目な顔になって、こそっと私に耳打ちした。

「守口さん捕まったわね。百貨店の名前が出るからと、今回はお金を出した社員さんたちが個人で訴えるように方針が決まったらしいわ」

 斎のバカ野郎は自業自得だ。それに、お金を出した社員たちも同じく。だけど―――――――・・・

「・・・・仕方ないかもですけど、小林部長は辛い立場でしょうね」

 私が言うと、福田店長は眉を寄せて言った。

「もしかしたら、小林部長も娘さんも、今度の人事で移動になるかもしれないわね。直接関係ないとは言え、名前がでちゃってるからねえ・・」

 次は10月に百貨店の人事異動があると、桑谷さんからも聞いていた。

 確かに、仕方ない。百貨店としても名前が出ている以上、異動でもさせないとほとぼとりが冷めるのが遅くなると判断しそうだし。

 ため息をついた。

 こればかりは、どうにもならない。

 娘さんの小林さんの顔を思い浮かべたら、胸が痛んだ。


 早番だったので、約束通り仕事帰りに警察に行った。

 調書を丁寧に読んで確認をする。そばにいた生田刑事に聞いた。

「・・・斎は・・・あの男は今どうしてるんですか?」

「留置所にいますよ。今、過去のことも含めて事実確認中です」

 私は刑事をじっと見た。

「判れば、教えて下さいますか?」

 生田刑事は微かに笑って、さりげなく目線をずらして答えた。

「・・・・桑谷さんに、連絡することにします」

 ・・・ちぇ。私は膨れて、書類をやや乱暴に彼の手元に置く。

「刑事さん、桑谷さんとお知り合いだったんですね」

 ちらりと見ると、生田刑事は全然別の方向を向きながら無表情で頷いた。意地でも私とは視線をあわせないと決めたらしい。

「・・・驚きました、こっちも。小川さんは桑谷さんから隠れてたんですか?」

「はい。そう努力したんですけれど、刑事さんが協力しちゃったから、簡単に見つかりました」

 ぶすっとして不機嫌な声のままそう言うと、困ったような顔で頭を下げた。

「だそうですね。まさか利用されたとはこっちも思わなくて。桑谷さんの方が1枚も2枚も上でしたね」

「・・・逃げるのは諦めました」

 私がそう言うと、ようやくこちらを向いた。その瞳には面白そうな光が浮かんでいる。

「その方がいいと思います。どうせ、逃げれませんから」

 何だよ、皆して。私は面白くない。

 挨拶をして警察を辞した。


 晩夏の夜空を見上げる。

 星も月も見えて、夜空に散らばっている。



 悪魔は退治した。

 直接的にではなかったけど、やられっぱなしで逃げたりはせず、蹴りまで入れたからよしとすべきよね。


 そして賭けも成功した。

 桑谷さんは、ちゃんと私を見つけてくれた。秘密も教えてくれた。


 息を深く吸い込んだ。


 あと、私がやるべきことは――――――――



 警察を出て最初の角にあるコンビニで、桑谷さんが待っていた。

 私は彼の姿を認めて足を止める。・・・待ってるかな、とはちょっと思ってたんだけど、本当にいたわ。

「・・・今日、遅番じゃなかったでした?」

 ゆっくりと近づきながら私が聞くと、代わって貰ったんだ、と彼は簡単に答えた。

「何か判った?」

 桑谷さんの問いに首を振る。

「私には教えてくれませんでした。判れば、あなたには連絡するって・・・」

 おお〜、そう嬉しそうに言って、にやりと笑った彼が私を見下ろす。

「俺といないと、情報が手に入らないんだな」

「そうです」

「主導権を握れるのはいい気分だ」

「良かったですね」

 感情を全く込めずに返すと、俺、失言したかな、と首を傾げていた。

「・・・ところで、一応聞いとくけど、君の実家はどこ?」

「―――――――どうしてですか?」

 背の高い彼を見上げる。いきなり何なのだ。

「次に行方不明になった時の参考に」

 ――――――――ははあ!

 私は口の左端だけを上げてにやりと笑った。

「教えません」

「・・・兄弟姉妹はいる?」

「さあ、どうでしょうか」

「一番仲の良い友達は?」

「レズの子で、私狙われてるんですって言ったら信じますか?」

 盛大なため息が彼の口から漏れる。

 謎が多い女に惚れると、こんなに苦労するとは思わなかった、と呟いたのが聞こえた。

 私は彼をじっと見詰めた。コンビニからの明かりで顔に影がのり、桑谷さんがすごく年上に見えた。

「・・・私のことが知りたいんですか?」

 しばらく黙って、それからニッと笑って彼が言う。

「ああ。知りたいね」

「調べなかったんですか?やろうと思えば出来たでしょう」

 別に私は特別な人間ではない。戸籍を調べることなど簡単に出来るはずだし、行方不明になった時に素行調査はされているものと思っていた。

 桑谷さんはひょいと肩をすくめた。

「それじゃあ、面白くないじゃないか」

 ・・・・面白くないって。まあ、彼らしい言葉だけど。

 彼は私の手を取って、私の部屋に向かって歩きながら言った。

「君のことは段々知っていくんだ。毎日少しずつ。ちょっとずつ俺のものにして、いつか全てを手に入れる」

 きっぱりとした言葉だった。

「・・・それって何年かかります?」

 私は一緒に歩きながら一応と思って聞く。すぐに返事が隣から降って来た。

「うーん。50年仕事かな」

 ・・・わぉ。それは、大変。

 50年後は私、80歳じゃん。

 前を向いてゆっくり歩きながら彼が言った。

「・・・・もうすぐ、俺の誕生日が来るんだ」

「―――――いつ?」

 私をみて、独特の笑顔をする。色んなものを含みまくった笑顔で、彼の黒目はじっと動かず真っ直ぐに私だけを見詰める。観察されている気がした。

「9月10日。その日で34歳になる。そしたら髪を切って、迎えにいくよ」

 手を離して、私は立ち止まった。数歩先に歩いてしまった彼が立ち止まって振り返る。

「呪いを解いて、君を迎えに行く。だから―――――――」

 声が低くなった。

「結婚してくれ」


 彼の体から、キラキラが見えた。

 それは夜空高く舞いあがって、星に近づく。

 思わず振り仰いだ空で、私はそれを確かに見た。


 彼を見詰めた。


 そして笑う。


 ようやく自分を縛っていた色んなものから自由になった私は、これからのことも選べるのだ。そう思って嬉しかった。

 そしてその選択肢の中には、この人の隣に立つってこともちゃんと存在している。

 私は頷いて、彼に手を伸ばした。


 これからは、この人を守っていく――――――――――







『女神は不機嫌に笑う』 完  2012,02,26 明紫



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