4、呪いとキスと決断と。@



「タネ明かしをして頂戴」


 
 夕方で、私の新しい部屋はオレンジ色に染まっていた。

 いぐさのラグの上にタオルケットを広げて、裸のままで彼に腕枕をして貰っていた。

「ん?」

 桑谷さんが閉じていた目を開いて天上を見る。

「どうやって私をみつけたの」

 ・・・ああ、と呟いて、彼は私の頭の下から腕を抜いて起き上がった。

「その前に水をくれ」

 台所で冷蔵庫を開ける音を後ろで聞きながら、私も起き上がって下着をつける。

 ブラはつけずに直接Tシャツを着た。

「・・・あれ、服着ちゃうの?」

 水を飲みながら、桑谷さんがこちらを見た。その残念そうな声に笑ってしまう。私は小さく笑いながら、彼を振り返って言った。

「風邪引いたら大変。明日から仕事だし」

「―――――明日から仕事?」

 コップを置いた音がした。彼のその改まったような声に、私は首を傾げる。何か、変なこと言った、私?

「・・・・何だ、辞めたわけじゃなかったのか・・・」

 こちらにやってきて、ジーンズを穿いて隣に座った。

「辞めてないわよ。ただの3連休」

 きょとんとして言うと、彼はう〜と唸った後で、やられた〜・・・と顔を両手で覆った。

 ・・・・何がよ、と思って凹んでるらしい男を指でつつく。

 桑谷さんはちらりと指の間から私を見て言った。ぼそぼそと。

「・・・電話も通じないし、売り場に行ったんだ。福田店長に君の事を聞いた」

「うん」

「そしたら、小川は居ません、これからはここに来ても無駄よって言われた」

 ・・・・ぶっ・・・・。

 噴出しそうになった。

 店長ったら・・・まあ、確かに嘘はついてないけど、その言い方・・・。どうとでも取れる言い方だけど、それじゃあ辞めたのかと思っても仕方ないよね。あははは、さすが店長〜!!

 私が笑ったのを感じたらしく、手を顔から離して、こら、と頭を突かれた。

「売り場でそれ、携帯は通じない、それで慌てて部屋に行くと賃貸物件の札が掛かってた。あまりに驚いて、しばらくそこに突っ立って居たから不審がられた」

 このガタイのいい長髪の男がぼーっと突っ立ってたら、そりゃあ不審だろう。警察に電話されなくてよかったよかった。

 私は彼を見上げて催促する。

「それで?」

 彼は目を伏せて、頭を壁にもたれかけてゆっくりと話した。

「・・・君が自分の意思で出て行ったことは判った。でも前日の売り場でも普通だったし夜の電話でも変わった様子がなかったから、夜から朝までの間に何かあったんじゃないかと思って相当悩んだよ。あまりにも早い行動に本当に驚いたんだ。仕事も辞めたんだと思ってたから、どこを探そうか迷った」

「うん」

「取り合えず大家さんに聞くと行き先は聞いてないと言う。俺は君の家族の話は一度も聞いてないし、友達の話も同じ。行きそうな所の見当がつくほど君のことは何も知らない。・・・だから、電波に頼ることにした」

「電波?」

 彼は携帯電話を指差した。

「・・・・あれで、居場所がわかるの?」

「判る。君の携帯から発信さえされれば」

 へえ〜・・・。マジマジと携帯を見詰める。何で?発信機か何か付いてるんだろうか。

「ただ、それには君が携帯を使う必要があった。こっちからいくらかけても出てくれないし、君からの連絡も勿論ない。これはあからさまな無視だな、そう思って腹を立てたんだ。俺は君の動きを待つ気もなかったから、仕方なく電話をかけさせる手を使うことにした。――――警察から電話が行っただろ?」

「うん・・・――――え?」

 私は隣の男を振り返る。警察から電話・・・来た。生田さんから。・・・あれって・・・まさか。

 マジマジと桑谷さんを見詰める。彼は細めた黒目で見下ろして、淡々と説明を続けた。

「昔、何度か仕事の関係で調査に協力したことがある。君に電話をかけてもらう口実をどうしようかと思ったけど、電話してみたらヤツは君のことを知っていた。・・・守口に襲われた件は、アイツが担当らしいな」

 私はただ黙って頷く。

「留守番電話を聞いて君が電話をかけた時に出た電波を、車の中にいた俺はパソコンで調べていた。・・・・また驚いたよ。まさか、こんなに近くに隠れていたとは。まあ、近かったから一発で判ったんだけど」

 私は肩をすくめた。

「灯台元暗しって、知ってる?」

 桑谷さんは肩をすくめて困った微笑をした。

 まさかそんな、警察が彼に使われるだなんて思わなかった・・・。そんな世界は勿論知らない。だけど、本当にこの男といると驚くことばかりだ。

 私は裸の彼の腕を人差し指でつんつんとつつく。

「パソコンでどうやって調べるの?」

「携帯会社の電波塔に情報を送って位置情報をハックした」

 ・・・・わお。何か、具体的には全然判らないけど、何しか凄い。私が目を丸くして聞いていたら、その様子には気付かないで彼が続けた。

「それですぐに来たら・・・まるでビキニみたいな格好で、君が部屋の掃除をしていた」

 あははは!私はあの時の格好を思い出して、頷いた。確かにビキニみたいな露出度だった。

「驚いてるようには見えなかったわよ。あなたはすごく不機嫌な顔をして私を睨みつけていたんだから」

「内心はドキドキだったんだ」

「どの辺に?」

「胸元とか太ももの辺りに」

「そして、あっさり誘惑されちゃったのね」

 私が笑って茶化すと、彼も仕方ないなという風に笑った。それから大きく息を吐き出す。

「俺は今日しか休みがなかったから、君が近くに居なかったら本当に困るとこだった。今日見つからなかったら本気にならざるを得ない。そしたら仕事どころじゃない」

 ・・・・本気って。うそん。ちょっと待ってよ、コレ程度ではまだ本気じゃなかったってこと?結構頑張ったつもりが、簡単に見つかったのかと思うと悔しかった。

 彼はおいで、と私を柔らかく引き寄せて抱きしめ、ぼそりと聞いた。

「・・・・どうして隠れたんだ?」

 私は彼の裸の胸に顔を埋めた。そして彼の匂いをたくさん吸い込んで、ゆっくりと口を開いた。

「・・・・賭けてたの」

「うん?」

「・・・・あなたが私を見つけてくれるか、賭けてたの」

 彼はひょいと眉を上げて、目を見開いた。

「俺を試したのか?」

「そう。・・・・連絡不能になった私をこの3日間で見つけてくれたら・・・もう怖がらずに、あなたを愛そうって思ったの」

「――――――怖かったのか」

 そうよ、そう言って、私は猫みたいに頭を彼にこすりつける。彼のピンと張って滑らかで温かい肌の感触は、一瞬で私を安心させる。

「・・・・人を好きになって、傷つけられて、その人は過去にもたくさんの闇を背負ってた。私はそれを知らなくて、最悪の形で突きつけられたの。次にそんなことがあれば、もう誰も愛せなくなると思った。立ち上がる自信がなかったのよ。・・・あなたの事だって、まだ知らないことがたくさんある。でも、私が欲しいと言ってくれたから」

 そう、言ってくれたから。あんなに真っ直ぐと、好意を口にしてくれたから。

「その言葉は信じようって・・・」

 桑谷さんは、大きな手で私の頭を撫でた。何か考えてるように無言だった。


 夕日が窓から入り込み、綺麗な布を吊るしてかけただけの窓べはまるで燃えるようだった。

 それの光景をぼーっと見ていたら、彼の声が聞こえた。いつものよく通る声ではなく、小さな小さな声だった。


「・・・・俺の髪は願掛けだ」


 胸から顔を起こして、彼を見上げた。


 いきなり話し出した男はだらりと足を前に投げ出して座り、真っ直ぐに前の壁を見詰めていた。

「俺の家には因縁がある。3代遡って、ずっと男が早死にしている。曽祖父は32歳、祖父は34歳、父は33歳で皆自殺した」

 一瞬、空気が止まったとかと思った。

 ――――――――自殺、した?

 何の話かと思ってみれば、どうやら彼は以前私がした質問の答えをくれようとしているらしい。なぜ髪を伸ばしているんですか、と居酒屋で私が聞いた、あれだ。そう気がついて、私はなるべく話さないでおこうと決めた。

 彼は私を見ていない。それは、心の防御を構築中だからなのだろう。

 驚いたままの私をちらりと見て、また手で私の頭を撫でた。

「俺はもうずっと、親父達が死んだ歳が近づくことが怖かったんだ。強迫観念みたいにいきなり襲ってきて、怖くて不安で暴れだしたくなる時がある。・・・前の仕事、調査会社も警備会社も面白かった。夢中になって仕事していたけど、仕事に付随するスリルの影響か、どうせ俺も34歳までは生きられないんだからと、わざわざ危険に突っ込んでいくこともあった。・・・中毒みたいな状態に、28歳で耐え切れなくて百貨店に転職した」

 黙って聞いていた。

 いきなりの告白に鼓動だけが耳の奥で響く。

 桑谷さんの冷静な瞳や仕草の裏に、そんな恐怖が隠れていたとは。

 彼は今まで、自分の中に流れる血の存在から懸命に逃げてきたのだと判った。

 風が吹き込んでカーテン代わりの布をはためかせる。

 彼の目は何も見ていないようだった。話す自分の声をぼんやりと聞いてるような顔をしていた。

「日常的なことを職業にすればマシになるかと。普通じゃないことではなくて、一般的な、消費生活を舞台にすればそんな考えもなくなるかと思ったんだ。・・・初めは、狙い通りマシになった。新しい退屈な仕事をやっていて、それに馴染んで行った」

「・・・でも?」

 つい、声を出してしまった。だけど気にしてないのか聞こえてないのか、彼は淡々と続ける。

「・・・でも、30歳を過ぎたときから、また不安で震えるようになったんだ。どんどん近づいてくる、親父達が死を選んだ年齢が。夜中に目を覚ます。汗を全身にかいて震える。このままでは精神が壊れて、そのまま結局自殺に突っ込みそうだった。だから―――――すがるものが、必要だったんだ」

「・・・宗教とか?」

彼が、ふう、と大きく息を吐いた。

 頭に手をやって瞳を閉じ、壁にだらりともたれかかる。それから疲れた声で呟くように話す。

「色々試したよ。でも俺は、基本的には一人で大丈夫なんだ。神だの仏だのにはどうものめり込めない。職業的にも酷い現実を見続けてきていて、そんなものの存在を信じて頼るにはドライになりすぎていたんだ。・・・それで、去年から、髪を伸ばしだした。34歳の誕生日を無事に迎えられたら・・・そしたら、切って、呪いを捨てようと・・・」

 それが、長髪の理由、と呟いてこっちを見た。

 緊張が見えた。彼が感じている不安が、波みたいにじわじわと寄ってくるのが判った。

 この話をするのには、非常な勇気が要ったことだろう。内容ではなく、そのことだけをちゃんと理解しようと思った。

 だから私はにっこり笑って、部屋の中を忍び寄る不安を吹き飛ばすことにする。

「大丈夫よ、私といれば。なんせ、殺したって死なない女なんだから」

 桑谷さんは黙ってじっと私を見ていた。この人は、本当にただ見詰める。ぶれない視線に負けないように、もう一度にっこりと笑った。

 大丈夫よ、そんな不安は――――――――完膚なきまでに、叩き潰してあげるから。

 彼の口元も瞳も、こわばりがほどけて少しずつ柔らかくなる。

「あなたは私を大人しくさせるのに必死になるはず。とっても忙しくて、恐怖に支配されてる暇なんてなくなるわ」

 彼が笑った。

 あははははって声を出して笑った。

 あの瞳も細めて、大きく口をあけている。

 キラキラと夕日に染まる新しい小さな部屋で、私たちは二人で笑っていた。

 それはとても希望の匂いがした。


 まだまだ話はあるけどとにかく、と、シャワーを浴びて外出の準備をして、買い物に出かけることにした。この家には食べ物がまだそんなにないのだ。

 最寄の小さなスーパーで食材を色々買い込み、また部屋に戻る。男手があるからとビールも沢山仕込んだ。

 やっとペンキの匂いも消えてきていて、私は換気扇をフル回転させて晩ご飯を作った。二人分。

 桑谷さんも一人暮らしが長くて家事は出来たので、隣でさっさと色んなものを作っていた。

「・・・器用ですね」

「一応、鮮魚では厨房にもいるからな。刃物の扱いは得意だぜ」

 ・・・・まあ、それは以前の特殊な仕事のお陰もあるんだろうけど。私は苦笑する。

 隣で料理をする男は始めてだ。

 その手際の良さに感心して、つい言った。

「おおー、素晴らしい!いつでも嫁にいけますよ、桑谷さん」

 すると彼はピタッと包丁を止めて、めげた様な口調で抗議をする。

「・・・嫁。俺、一応男だって自覚があるんだけど・・・」

 その返答に私はケラケラと笑い、テーブルの支度をする。

 グラスからキンキンに冷やしておいて、これまたしっかり冷やしたビールで乾杯することにした。これぞ、夏の夜の贅沢。

「何に乾杯しますか?」

 私が彼を覗き込んでそう聞くと、桑谷さんは口の左端をきゅっと持ち上げて少しだけ笑う。

「・・・・じゃあ、人生に」

「え?」

 まさかそんな返事がくるとは思わなかった。私は少しばかりぽかんとした顔で彼を見る。すると少々照れたような顔で、桑谷さんが言った。

「今日は、あらゆる意味でスタートだと思うけどな」

 ――――――ふむ、なるほど。

 悪魔は消えて、私は大切な人に昇格した男と夏の夜を楽しんでいる。・・・確かに、そうね。頷いて、グラスを近づけた。

「・・・じゃあ、人生に。乾杯」

 グラスは涼やかな音を立てた。



 夜の中を散歩していた。


 もう暗がりで斎に襲われる危険性はなくなったし、今日、太陽が高い間は抱き合ったり話しをするのに全部使ってしまったからだった。

 夜風がさらさらと体を通り抜ける。

 しばらく静かに歩いていたけど、街中の公園に来た時、桑谷さんが、あ、と声を上げた。

「そういえば、守口が捕まったのは知ってるのか?」

 私は頷いた。

「知ってる。昨日、テレビで見た。・・・最後にもう一度会えたら、ピンヒールで顔を踏みつけて罵ってやりたいわ。私、神社であのバカに言われっ放しだったもの」

「――――――何て言いたいんだ?」

 ゆらりとこちらを見て桑谷さんがいう。

 私はハッキリと即答した。


「くたばれ、くそ野郎!!」

 
 マジマジと私の顔を見た桑谷さんを見上げて、私はにっこりと笑って見せる。

 彼はちょっと情けない顔をして、あーあ、と呟いた。

「・・・君の口の悪さには仰天させられるな。その顔で、何て言葉を」

「斎の・・・あのバカの影響も大きかったと思う。でも、そうね、私は多分元々口が悪い。ついでに、足癖も悪いんです」

 ああ、と彼は頷いて、口をきゅっと上げたやんちゃな笑顔になった。



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