3−A
2日目。
朝からテレビやパソコンやDVDの配線をしていた。
付くかどうかの確認、とテレビの電源を入れたら、ローカルニュースで斎の報道がされていたので思わず動きを止めて見入った。
「・・・・・・捕まった・・・」
守口斎、暴行犯、逃走先の関西で捕まったと報道されていた。きっとアイツのことだから、どこにでも女がいるのだろう。それか、ナンパしたか。
着の身着のままで私の蹴りで怪我までしていて、よくも4日も逃げれたものだ。
財布だって鞄の中にあったし、どうやって関西まで逃げたのだろうか・・・。
頭を振って、悪魔のことを追い出した。
ヤツがどうやって関西まで逃げたかなんて、どうでもいい。そんなことより、それよりも―――――――――
捕まったんだ。あのバカ男が、ついに。捕まったんだ・・・
明日のデパ地下はさぞかしにぎやかになるんだろうなあ。そう考えて皆の驚く顔や飛びまくる噂話を想像していたら、うふふふ・・と笑いがこみ上げてきた。
捕まった。斎が、あのバカ野郎が、捕まった!!!
私はこみ上げてくる喜びをどう表現したらいいかがわからなくて、その場でバタバタと激しく足踏みを繰り返す。
「ざまああ〜みろおおおおお!!!」
顔を枕に埋めて絶叫した。
枕が防音になって音を消してくれるのをいいことに、私は叫び、笑い、気違いみたいにはしゃぎまくった。
これで本当に、悪魔は退散だ。
私は勝ったのだ。アイツとの戦いに。あのバカは牢屋、私は新しい部屋。
枕を落とした。
だらだらと落ちる涙もそのままにした。
どうせ誰も見てない。ここには私しかいない。
「う、ふふふ・・・」
口元を抑えて笑い声を抑える。その上から被さってしまう泣き声も抑えた。
・・・あああ、良かった・・・。
これでやっと、私は自由の身だ――――――――
そして、3日目。
朝から晩まで働いた結果、2日間でほとんど片付いた部屋を満足げに眺める。
玄関から居間と台所がある部屋の壁は卵色、寝室に使う部屋の壁は緑色、天井は白くして、居間の床にはいぐさのラグを敷いた。
うーん、いい感じ。寝室は落ち着くし、居間や台所は明るい気持ちになれる。夏って感じの仕上がりだわ。冬になったらカーペットを暖色に切り替えて、ストーブを真ん中に置こう。
仕上がりに満足して腰に当てていた手で額の汗を拭いていたら、ジーンズの後ろのポケットに突っ込んでいた携帯の振動に気がついた。
売り場からの緊急の電話に備えるため、携帯はいつでも離さずに持って作業していた。
ディスプレイには知らない番号。
一瞬悩んだ後、結局放置した。
まだ番号の交換をしていないパートの大野さんかもとも思ったけど、そうだったら留守電に入るだろうからそれを聞いてから掛けなおせばいい。
桑谷さんからは2日目の昨日、計5回かかってきている電話を全部無視していて、本日はまだかかってきていない。
きっと彼は既に前の私の部屋にも行ってるはずだ。私が意思を持って消えたことは判ってるだろう。
この着信が彼である可能性は高い。
なんせ、彼はその方面のプロだったのだ。本気で私を見つけようとした時、一体どのような手を使ってくるやら―――――
手元の携帯は振動を止めて、留守番電話を表示している。
少なくとも、私に用がある人なんだな、と思った。
通話が切れたのを確認して、録音の再生ボタンを押し、耳に当てる。
『〇〇警察の生田です。小川まりさんの携帯でしょうか。手が空きましたら折り返し電話を下さい。番号は―――――』
意外な人からの電話で驚いた。
斎に神社で襲われた時にお世話になった警官だった。同じ年くらいの、無表情で落ち着いた男性。
アイツが逮捕されたことで何か聞きたいことが出来たのかもしれない。汚れた手をジーンズで拭いて、すぐに掛け直した。
『ああ、小川さんですか。生田です』
生真面目そうな警官と簡単に話す。
あの事件の正式な調書が出来上がったので、確認しに警察まで来て欲しいとの事だった。
訪問の約束をした。
「では、失礼します」
私はそう言って携帯電話を切る。
少し、斎について聞けるかもしれないって期待もあった。
2年5ヶ月付き合っていた悪魔は、私が思っていたよりももっと悪魔だったのだ。
桑谷さんが簡単に調べただけでも私の他に3件も女の人を泣かしていたわけで、警察が調べたらもっとポロポロ出て来そうだった。
その事を考えて少し気分が悪くなり、頭を振って追い出した。
今は、とにかくこの部屋を片付けなければ。
太陽は高く上がり、8月最後の週、平日の昼間、窓もドアも全開にしてペンキの匂いを部屋から追い出していた。
白いTシャツを胸の下でくくって止め、ヒップハングのショートパンツを穿いた身軽かつ露出度の高い格好で、私は汗をダラダラかきながら、玄関前の床を雑巾掛けしていた。
短い玄関前の廊下をせっせせっせと拭いていく。この雑巾かけが終わったら、私の引越し作業は全て完了だ。やっぱり3日くらいはかかるものね、そう思いながら手を動かしていく。
たたきまで辿り着いた時、開けっ放しの玄関ドアの横に大きな黒い靴があるのが視界の端に映った。
「―――――――」
靴、だ。
それも、デカイ。
私は床に這いつくばった姿勢のまま、視線を上に上げていく。
ダメージデニムの裾、それにくるまれた足、腰、黒い袖なしのTシャツ、を順に目で追い、最後に、無表情で見下ろす桑谷さんの顔を見た。
両手の親指をジーパンのポケットに引っかけて、桑谷さんが立っていた。
彼は黒目を細めて口元を引き結んでいる。
私はそれを黙って見上げた。
「―――――――見つけた」
彼が言った。
低い声だった。機嫌が悪いのがハッキリと判った。
・・・・あらら、見付かっちゃった。
私は心の中でそう呟いて立ち上がり、ぞうきんをバケツの中に放り投げる。
そして振り返って桑谷さんを見詰め、微笑んで、口を開いた。
「思ったより、早かったわね」
眉間に皺をよせ瞳を細めた彼は、明らかに怒っていた。
唸り声のような音を一度立ててから、じいっと私を睨んでいる。それから目を閉じて、ため息をついて言った。
「・・・俺がキレかけている時に君が言う、軽口が好きだ」
・・・ああ、なるほど。今、キレかけている訳ね。それが面白くてちょっと苦笑してしまう。だけど怒鳴ったり、殴ったりはしないのか。
黙って考えていると、彼が目を開いてじっと私を見た。
私は微笑を浮かべて、ゆっくりと言った。
「・・・やりたいのは、キス、セックス、それとも拷問?」
彼が一歩前に出て、私のすぐ目の前に立った。そして威嚇するように見下ろして、低い声で言う。
「・・・キスはなし。拷問のようなセックス、そして説教。―――――覚悟しろ」
あははは。
自分の胸の奥で、柔らかい感情が渦巻いているのが判った。これは――――――喜びだ。彼は私を見つけてくれて、ギリギリの自制心で自分を抑えている。
なんて素敵な・・・なんて、優しい男。
私は腰に手をあてて、笑顔のまま彼を見上げた。
「それでいいわ。あなたに、私を、全部あげるんだから」
彼は一瞬、驚いた顔で停止した。
暫く言葉を忘れたかのように無言でいて、そしてやっと少しだけ笑った。
「・・・ホテル、俺のとこ、それともここで?」
私は彼の後ろに手をのばし、玄関のドアをしめた。
そして部屋の中の窓も全部閉めると、新しいのに付け替えて貰ったクーラーのスイッチをいれ、汗を拭いて、汚れた手と顔を冷たい水で洗った。
そして部屋の真ん中に立って、Tシャツもショートパンツも下着も次々脱ぎ、全裸になって振り向いた。
「用意、出来たわ」
腕を組んで壁にもたれ私のやることを見ていた彼が、ゆらりと壁から身を離して部屋に入ってきた。
私は裸のままで歩いていき、まだ無表情で見下ろす彼の首筋に両腕を回して抱きつき、見上げた。
「・・・・本当に、キスはなし?」
ゆっくり、ゆっくりと、桑谷さんが微笑する。
裸の腰に両手を回して私をしっかりと引き寄せ、彼は、なんてこった、と呟いた。
「―――――俺としたことが」
「ん?」
「・・・君に、振り回されっぱなしだ」
そして、ゆっくりと丁寧な、熱くてとろけるキスをくれた――――――――――
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