3、人生最大の賭け。@
翌日の朝礼で、『ガリフ』の守口店長が、金銭が絡む事件を起こしたので百貨店から退店になった、とのお達しがあった。
『ガリフ』には今日新しい店長が来ること、マスコミなどに何か聞かれても口を噤んでおくか、何もしりませんと話す事、が命令という形で伝えられた。
以後、百貨店と彼は関係がないのだと。
斎のファンだったパートのおば様達や女子職員からは悲鳴のような声があがり、詳細を聞きたいと騒いで朝礼は混乱に陥ったが、百貨店の店長の登場で静かになった。
「皆さんが心乱されるのは判りますが、皆さんは接客のプロです。この大変な時期だからこそ、お客様第一で、お仕事をされますよう、お願い申し上げます」
という、大変丁寧なお願いかつ命令をした。
要するに、黙って仕事をしろ、ということだ。
私は、店長の話をそばで控えて聞く小林部長を見ていた。一度目があって視線が絡んだが、部長は無表情のまま周囲を見渡すことで目線を逃がした。
あの人は私が斎の元カノだったのを知っている。それに、一昨日の事件の真相も桑谷さんに聞いて知っているんだろう。
朝礼ノートを持って売り場に戻ると、早速隣のパートさんが近寄ってきた。
私は笑顔のまま適当に話しを交わす。
斎がちゃんと捕まるまでは安心は出来ないと思っていた。
その日の午後、デパ地下では、守口さんと小林家の破談の話が駆け巡った。
部長の娘さんが、今回の事件が起こる前に交際を止めていたと宣言したためだ。それを受けて、投資話に金を出した社員達が表立って詐欺罪で斎を訴えることにしたと聞いた。
店員食堂ではその話で持ちきりだった。
私は斎の元カノということで、守口さんて本当はどんな人だったのと、色んな人が私に近寄ってきて驚いた。
中にはあなたが何かしたのではないの、とあながち間違えではない非難をする人も出たりして、それを聞いた福田店長を心配させた。
私は決心して、店長が休憩から戻った時に、お話があるんです、と切り出した。
彼女は綺麗に書いた眉をひそめて言った。
「お願いだから、辞めるなんていわないで」
心配の余りか彼女の瞳が揺れている。
私は安心させるように、笑って返事をした。
「そんなつもりはないです。でも・・・・店長には嘘もついていました。全部話す時期が来ました。お時間をとっていただけないですか?」
福田店長は行動も決断も早かった。
時給をプラスするからと休みの竹中さんを呼び出して店番を頼み、私を連れてお茶に出たのだ。
鮮魚売り場から、桑谷さんが客寄せの声を止めて見ているのを知っていた。
知っていたけど、振り返らずに無視をした。
そして、店長と一緒に入った喫茶店で、最初から話した。
福田店長は目を潤ませたり怒ってこぶしを握り締めたりして、私の全部の話を聞いた。
「あの男、何てやつだったのかしら!今度会うときがあったら、私生卵をぶつけてやるんだから!」
声を荒げる店長にまあまあ、とトーンダウンをお願いする。
「私、コピーライターの卵ですなんて言ってこの仕事を貰いました。すみません。どうしても百貨店に入りたかったんです」
私は背筋を真っ直ぐに伸ばして、面接を受けているかのように緊張をしながら言った。
この人を騙していたことは事実なのだ。それは謝罪しなければならない。福田店長はそんなことはもういいの、と手を振る。それから眉を悲しげに寄せて言った。
「保険がついたのは本当に良かったのね・・・。でも、それだったらここの給料だけでは、本当は生活出来ないのね?」
私はにっこりと笑った。
「贅沢も貯金も出来ません。でも生きていけますから。仕返しは終了しました。だから家賃ももう少し安い所に引っ越すんです。私、ここで働かせて貰ってもいいでしょうか」
福田店長が晴れやかな笑顔を見せる。
目的が他にあったとは思えないほど、あなたはここでは真面目に頑張ってくれたじゃないの、と彼女は笑った。こちらからもお願いいたします、と。
嬉しかった。
微かに潤んだ目で頭を下げた。
店長はもうちょっと時給を上げて貰えないかだけでも営業にかけあってみる、とまで言ってくれたのだ。私は胸が温かくなり、ふざけて、お鞄お持ちします!と抱きつきに行ったりした。
売り場に戻って、竹中さんにお礼を言う。そして、いつも以上に頑張って早番の仕事を終えた。
帰りに、福田店長に、迷惑ついでにとお願いを一つすることにした。
「明日からの私の3連休、誰かが何を聞きにきても、教えないで下さいます?小川は休みです、で通して頂きたいんです。いつまで、とかも言わずに」
福田店長はじっと私を見て、悪戯っ子そうな瞳を見せて頷く。まだ私が聞いてないことがあるのね、でも了解です、任せといて!と請け負ってくれた。
私はありがとうございます!と90度のお礼をする。
「では、また3日後に。お疲れ様でした」
笑顔で挨拶をして店を後にした。
足を速めてロッカールームに駆け込む。今日は帰ってやらなきゃならないことがある。
福田店長に言ったことを実行すると決めたのだ。
今の部屋から、今晩出て行くのだから。
実は、今日のお昼の休憩時間中に引越しの手配を済ませていた。
業者さんと外であって、部屋の鍵を渡しておいたのだ。
斎と別れてから少しずつ探していた新しい部屋は、桑谷さんと話した、あの事件の翌日の夜、家に帰ってから電話で契約を済ませたのだ。
前に見ていたあの部屋で決めます、契約をお願いします、と。
不動産も24時間営業で、その便利さにびっくりしたけど助かった。
早番で上がった今日、帰りに不動産屋へ直行して、正式に契約を交わしてきた。
作ってあった荷物は今日の仕事中に新しい部屋へ運んで貰ってるから、何と私は今晩から新しい部屋に住めるのだ。凄いスピードで全てのことがつつがなく終了し、私はその手際の良さを自分で褒め称えた。
昨日彼を部屋に入れなかったのは、既に荷造りを始めていた部屋を見られたくなかったのが、本当の理由だ。
桑谷さんには黙って引っ越すつもりだった。
今晩は、菓子折りを持って、前のアパートの大家さんに挨拶に行かなければならない。契約途中の退室でかなり嫌そうな顔をされたものだ。
背に腹は替えられない、そう思って、昨日神社で襲われた女性は私なんですと話してみた。だからどうしてもここが怖くて嫌なんです、と。すると店子の急な引越しで渋面を作っていた大家さんも、同情の笑顔を見せてくれた。
それじゃあ仕方ないよね、て。
あんた、大変だったんだね、体は大丈夫なの?って。
最後には「頑張ってね」と激励の言葉まで頂いたほどには、大家さんの機嫌も直っていた。
私は笑顔で頭を下げて、大家さんの部屋を出る。
アパートを出たところで、桑谷さんから電話があった。わお、いいタイミングだわ。私はすぐに通話ボタンを押して携帯電話を耳にあてる。
「もしもし」
『―――――出てくれたんだ』
彼のホッとした声が耳をくすぐる。
「約束でしたから」
私がそう答えると、不満そうにぶーぶー言っていた。
『今、外か?』
「はい、これから友達と会うんです。高校の時のクラブの集まりで、皆で晩ごはんです」
歩きながらさらりと嘘をついた。別に不審にも思わなかったようで、ああ、そうなんだ、と返事が聞こえる。
『じゃあ忙しいだろうから切るよ。行き帰り、気をつけてくれ』
残念、会えるかと思ってたけど、と続けて彼が笑った。
またの機会ですね、と私も優しく返す。
そして、携帯を閉じた。
新しい部屋は、何と勤務している百貨店がベランダから見える。
駅前ではあるけど下町の、古い1DKのアパートだ。収益を気にする必要がないらしい金持ちの地主大家さんが、古いし長い間空いていたからと、家賃を5万円にしてくれたのだ。
広さは前とほとんど同じで、家賃が月に1万4千円も浮いた。そして何よりも職場が近い。
ほんとラッキーだったわ、私はそう喜んでほぼ即決だったのだ。
3ヶ月前と同じようにダンボールに囲まれて、初日の夜を終える。物が詰め込まれた段ボールの隙間に布団を敷いて、窮屈な体勢で眠りについた。
眠りに落ちる寸前、桑谷さんの顔が瞼に浮かぶ。
彼は、私が消えてどう思うだろうか――――――――――
翌日は快晴だった。起きてすぐに窓を全開にして、私は大きく伸びをする。
繁忙期の終了後、全員貰える3連休が私の番で、今日から開始だ。
こんなにバタバタと引っ越すつもりはなかった時に取った休みだったけど、結果的には一番タイミングが良かった。
今日一日は部屋作りで消える予定。私はご飯もそこそこに、さっそく新しい家の大掃除から開始した。
古いし内装は好きにしてくれても構わないと許可を取っていたので、埃を取って水吹拭きした後、壁にも天井にもペンキを塗り、床には絨毯を敷き詰めたりした。ホームセンターで手軽な道具を買い揃えていたけれど、やはりそれだけで一日目が終わる。
ずっと上げっぱなしだった腕が痛んで、午後はうんうん唸っていた。
小さな部屋だとはいえ、やはり一人では重労働だ。
夜、一番先にペンキを塗った寝室の壁にもたれて、缶ビールを飲みながら窓から見えるライトアップされた百貨店を眺めていた。
昼に掛かってきた桑谷さんからの電話には出なかった。
きっと売り場を見て私が休みなのに驚いたんだろう。そんなことは私、昨日も一言も言ってなかったから。
私は大きな賭けをしていた。
この3日間、私は連絡不能になる。
売り場には居ない、部屋は空っぽ、携帯には出ない。
二日後には勤務せねばならず、そうなると桑谷さんと会わざるを得ないから、その時点で賭けは終了する。
この3日間で、彼が私を見つけたら。
そうしたら、今度こそ彼を愛そう、そう決めていた。
私の休みを不審に思っても、今日くらいは何もしないだろう、と思う。きっと不思議に思うだろうけれど、首を捻って終わりだろう。
部屋に行くとしたら、多分、明日――――――それから半日くらいでここまでたどり着かなかったら、もうやはり、しばらく男からは遠ざかろう。
人生を運命に委ねたつもりになったのだ。
『どうしても――――――――君が欲しいから』
・・・ならば、見つけてみせて。
私はそう思って、姿を消したのだ。
さてと、と号令をかけて立ち上がった。寝るところまでは確保したけど、ちゃっちゃと片付けなくっちゃ。
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