2−A




 私はボブにして黒毛にした髪を指で摘んで、パラパラと顔の上に落とす。

「・・・それはどうも。あれは斎の趣味だったから」

 ふん、と鼻をならす音がした。

「とにかく、君が結構前からの彼女だという事が判った。それで、部長の娘さんとは浮気状態だとハッキリしたんだ。それなのに―――――」

 ある時からパタッと君の存在が消えた。4月くらいから、守口は部長の娘さんとしか会ってないようだった。いつ別れたのかはっきりしない。それに君の姿が消えてしまった。どうなってる?って気にしていたら―――――――――

「していたら?」

「突然、うちの百貨店の洋菓子売り場に君がいた」

 ・・・ああ。私はふっと笑う。入院していて、その間は確かに姿が消えていたはずだ。そして復讐を決意し、退院したらすぐに行動を起こしたのだった。

「驚きました?」

「ああ、驚いたね。何度も見間違いかと確認した。でも君だ。販売員の格好で、接客をしていた。守口の店の前で」

 見張っていたなら、そりゃあ驚いただろうなあ・・・。私は私で潜り込むのに必死だったから、後ろの売り場からそんな事考えて私を見ている人がいるなんて思わなかった。

 桑谷さんが手の中でビール瓶を転がしながら続けて言う。

「それで、話を聞くために君に近づこうと決めた。もしかしたら守口とグルで、何か企んでるんじゃないかと疑ったんだ。・・・ただ、パーティーで偶然に君が料理をくれたときに、それまでのイメージが変わった」

「変わった?斎とグルになって何かしようと企んでいる悪女だと思ってたんでしょう?どう変わったの」

 私は横向きに転がって、台所で立っている桑谷さんを見詰める。

 彼はちょっと照れくさそうに頭をかいて、口元で笑った。

「――――――この女性は賢いんじゃないかって。守口に酷い目にあったとは思えないし、アイツと組んで悪巧みをしそうには思えない目をしていた」

 あの、串カツの時に。


 私はただ単に、一日一度の善行のつもりで余っていた料理を渡しただけだったのに。あの時の長髪の男性は微笑んで会釈をしながら、そんなことを思っていたのか・・・。

「綺麗だとは思っていたけど、自分に向けられた笑顔を見たのは初めてで。話すきっかけを探しに参加したはずが、折角のチャンスを俺は固まってしまっただけだった」

「・・・・そんなに褒めても何も出ないですよ」

 私がそう言うと、にやりと笑った。そして体勢を変えずに話しを続ける。

「それで注意をして見ていたら、どうやら君は守口に敵対心を持っているようだ、と気付いたんだ。通路でのにらみ合い、お互いの露骨な無視。ということは、二人がグルでってことは考え難い、そう考えて軌道修正の必要があった」

 そうですか。私はちょっと考え込む。・・・そこまで観察されていたとは、露ほどにも思わなかった。もう少し警戒する必要があったのかもしれないって。

「そして、あの階段だ。君が落ちてきてそれを助けた時に、何か隠していると気付いた。落とされたはずなのに、そんなことはないと言う。だから俺は考えたんだ、この女性は、何かしているんではないかと。やっぱり一度ちゃんと話さないと、そう思って、機会を伺っていた。するとその後での倉庫の物騒な言い争い。そういえば―――――」

 彼が私をじっと見た。瓶を軽く振って、促す。

「あの時、何があったんだ?俺が行ったときには既に二人とも床に座り込んで、君は守口に口説かれてた」

「ああ・・・」

 私はまた仰向けに転がる。そのままでうーんと伸びをした。ビールが回ってきて、ほろ酔い気分だった。このままでは・・・眠くなっちゃうかも、と思いながら、さらりと言った。

「棚の上から配送伝票入りのダンボールが落ちてきて、頭に一撃で死ぬところだったの」

「―――――は?」

 ガタン、と音がした。彼が腰を上げたらしい。

「大丈夫、とっさに避けれて、無事だったから」

「・・・それも、守口が?」

 声に慎重さが聞き取れた。桑谷さんの緊張した空気に気付く。こんなところで、既に済んだ話を盛り上げたって意味がない。私は出来るだけ淡々と答える。

「と、思います。すぐ後に棚の影から出てきて、俺達やり直せないのかとかなんとかほざき始めたから」

「そこに俺が登場した」

「そう」

「ってことは、君は―――――――3回も殺されかけたのか!?」

 桑谷さんの声が大きくなった。私は目を閉じたままでヒラヒラと片手を振る。

「・・・正しくは、4回。全部失敗したのはアイツがバカだったからと、私がラッキーだったから、が同じ程度で影響した結果」

 唸り声が聞こえた。

 足音がこちらに近づいてきて、目を開けると私に覆いかぶさるようにして間近に桑谷さんの顔があった。ぐっと目を細めている。

「・・・・・何だ、そのもう一回は。聞いてねえな」

「言ってないもの」

「言えよ」

 私は微かに笑って、近くにある桑谷さんの唇をじっくりと眺めた。・・・あら、美味しそうな唇。

 その視線の企みに気付き、ぱっと彼が身を起こして台所まで戻った。

「・・・・残念」

 私の呟きに、まだダメだって苦しそうな答えが返ってきた。

「君に襲われると話が出来ない。誤魔化すのは止めて、いいから早く言ってくれ。いつなんだ、その4回目は」

 私はベッドに寝転びながら、ううーんと両腕を伸ばした。そしてそのまま力を抜く。本気で眠くなってきた。

「・・・続きは明日にしません?」

「早く言え」

 ・・・全く、この石頭。

 仕方なく、そもそもの始まりを話した。かなり久しぶりに斎が来た、あの夜の事。

 頭に血が上って自殺未遂をしたこと。病院の天井を見ながら復讐を誓ったこと。退院してから百貨店に入るまでの経緯。無事に百貨店に入れて、斎に金を返せと迫ったこと。自分がやった色々な情報操作も。

 ビールも飲まないで、桑谷さんは黙って聞いていた。

 時折苦しそうな顔をして唸った。

 そして目を伏せて、長い間下を向いていた。


「・・・だから、私的には、一度斎に殺されてるの。仕事もお金も失った。だったらもう怖いものなんてないと、仕返しを決めたの」

「・・・・君が、無事でよかった」

 彼の声が掠れていた。片手で顔をごしごしとこすって、大きなため息をついた。

「まさか、そんなことをしていたとは」

「予想外でしたか?」

 ああ、そう低い声で頷いて、彼は動かずに私を見る。

「―――――――倉庫で君を飯に誘ったのは予定通りだった。でもその後は―――――・・・全然、予定通りなんかじゃない」

 手で隠れていない片目で私をじっと見ていた。


「君に惚れてしまったから、手にいれたくなった」


 体が発火したかと思った。

 いきなり恥ずかしくなって、私は反対向きに転がった。心臓がドキドキ言っている。

 真っ直ぐな告白は、心臓に悪い。

 桑谷さんは掠れ気味の低い声で続けた。

「君は思ったよりドライだったし、全然媚ないし、会話もさばさばと正直な反応だった。この女性を抱いたら、どんな顔をするんだろうと思わせる淡白な表情で飲んでいた。しかも・・・・何てことないみたいに、不感症かもしれません、なんて・・・」

 ・・・・・言った。

 確かに、私言いました。

 あの時は、本当に全く、なんとも思ってなくて。いいました、たしかーに。私は自分の頭をハンマーで叩きたくなる衝動に耐えた。

 何てこと言ったのよ、私ったら!

「・・・だから、余計に興味が沸いたんだ」


 眠気が吹っ飛んだ。


 私は無言でむくりと起き上がって、鞄とカーディガンを持った。

 むき出しの床にヒールの音を響かせながら、ドアに向かって歩いていく。

「・・・・おい?」

 入口にたどり着くまでに、桑谷さんの長い足が出てきて邪魔をした。

「今日は帰る。頭が混乱してる。また明日、電話して下さい」

 無表情で彼を見上げて、一気にまくし立てた。

 私をじっと見て、掠れた声で、彼が言う。

「・・・帰さないと言ったら?」


 私はじいっと彼を見詰めた。


「今日であなたと縁が切れる」


 黙ったまま暫く目を合わせていて、彼が先に視線を外した。それからふう、と大きく息を吐き出して私に言った。

「・・・・判った。酒飲んだから、電車で送る」

 その申し出を断れないことは知っていた。


 今日は流石に神社前を通るのは止めた。

 斎と対決したのがほんの昨日のことだとは思えない。・・・って言っても、もう日付変更線は越えそうだけど。

 歩きながら、そういえば、と私は疑問を口にした。

「昨日、どうしてあの場所にいたんですか?驚いたけど、斎に対処するのに必死で聞くどころじゃなかった」

 隣をぶらぶら歩きながら、桑谷さんは手をヒラヒラと振った。

「・・・・君に断られたし、暇で時間もあったから、守口をつけようと思って外で待機してた。そしたら君と待ち合わせしてたのが判って、何かが起きてるなと判った」

「―――――斎をつけたんですか」

 知らなかった。そんなに気が散っていたとは思わないが、全然気付かなかった。

「君達がホームで突っ立って話してた時は困ったな。人気がないから俺も気付かれると思って、隠れるのに時間もなくて。ラーメン店から出てきたら君の表情が柔らかくなっていた。そして笑顔で守口と話していた。・・・影で見ていて妬けたな」

 斎が謝ってきたのだ、と説明した。お金も全額返すと。

「謝らせることが私の最終目的だったんです。あいつの社会生活をぐちゃぐちゃにするよりも、とにかく私は謝って欲しかった。それがいきなり達せられて、かなり浮かれていたんです」

 まさか、その後で神社で刃物で襲われるとは思わなかった。

 桑谷さんが頷いた。

「ヤツは完全に君を殺すつもりだったんだな。だから、何でも言えたのかもしれない。部長の娘さんとの仲を壊されたのがよっぽどムカついたんだろう」

「・・・助かりました。昨日は、本気で。今更だけど、ありがとうございます」

 アパートが近づいてきた。

 私の部屋の前で送ってくれたことにお礼を言う。

「終電出ちゃいますよ、どうぞ行ってください」

 私がそう言うと、桑谷さんは、微かな笑みを口元に浮かべて言った。

「・・・・お誘いを期待してたんだけどな。さっきの君の行動から読んで」

 キスを狙っていた時の事を言ってるんだろうと判った。

 私は肩をすくめた。

「・・・・自殺未遂を思い出したので、そんな気は消えました。あの話を無理強いしなければ、今頃あなたの腕枕だったでしょうけどね」

 今晩は抱かれるわけにはいかない。私は大変消耗しているし、一人になって考える必要があった。

 うう〜と痛そうな顔で桑谷さんが呻く。ぐっと眉間に皺がよった。

「・・・・必要だったから、仕方ない。君がめげない危険な性格だと判ったしな。―――――4回も危険な目にあっても圧力をかけるのを止めないなんて」

「感心しました?」

「呆れたんだ。日本語で、君のような人間を向こう見ずと言う」

 もしくは無鉄砲、と続ける桑谷さんに腕時計を指した。本当に、終電が終わる。

「―――――明日の電話には、必ず出ると約束してくれ」

 真剣な目になって、彼が閉じかけたドアを掴んだ。

 私はゆっくりと微笑んで頷いた。

 まだ不安そうに見ていたけど、時間時間と私が言うと、最後には手を振って走って行った。


 私はドアを閉めて、部屋の中を見回す。

 今日聞いた色々な事実が頭の中を駆け巡って行った。

 睡眠薬を飲んだ夜。

 一人で戦って緊張した夜。

 昨日の夜と斎の笑い声。

 そして今日の桑谷さん。

 斎を疑っていた小林部長、その後輩だった桑谷さんの正体。

 警備会社と調査会社。

 彼は、私と斎をずっと見張っていた。


「・・・思いも寄らぬことって、世の中結構あるものなのね」

 私は窓辺によって、駅の方角をじっと見詰める。


 右手を見た。この手で殴った、彼の顔を思い出した。

 そして貰った言葉を。

 君が欲しいと言った、あのハッキリとした声を。


「・・・・ここに長く居すぎたみたい・・・」



 呟いた声は、一人きりの部屋に吸い込まれて消えていった。





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