1−A


「・・・はい?」

 どうなっているのかがハッキリしない内は、うかつな事は話せないと、笑顔で振り返るだけにした。

「守口店長がどうしたんですか?」

 福田店長は眉毛をよせて、心配そうな顔で言う。

「今日、10時出勤だったらしいんだけど、来ないのよ。連絡しても繋がらないってあの子がパニくっちゃって・・・」

 そりゃあ来ないだろう。警察に指名手配されてるんだから。

 福田店長が指差したアルバイトの女の子を見る。

「それで、まだあの子一人なんですか?」

 いつもなら、遅番の私が売り場に入る頃には彼女は昼の休憩に出ていた。他の売り場からの応援は来ないのだろうか。いつまでも一人で売り場を回せるはずもないし。

「営業に電話して、どうしたらいいか聞いてるみたいだけど・・・。昼は30分くらいに短縮して貰わなきゃだけど、私が交代してあげようかしら。百貨店から誰か出してくれたらいいのにねえ」

 ぶつぶつと福田店長が言う。

 周りの店の人もチラチラと見ていた。このデパ地下で、店長が連絡なしで休むなんてこと、今まで一度もなかったに違いない。


 とりあえず、私出るわね、と店長が休憩に行ったのを見送って、パソコンを開いた。

 12時までに発注を済ませなければならない。

 在庫ノートを確認していると、カウンター前に人の気配を感じて振り返った。

「いらっしゃいま・・・せ・・・」

 笑顔を作って相手を見、私は言葉を消してしまった。

 桑谷さんが立っていた。鮮魚の売り場の格好のままで。


 ―――――――――出た。

 私はパッと笑顔を消した。

 桑谷さんは制服に長い防水エプロン、長靴のままの格好でショーケースの前に立ち、じっとこちらを見て小さな声で言う。

「・・・電話、出てくれないから売り場に来た」

 お客様がまばらにしか居ない洋菓子売り場に、魚屋さんは非常に目立つ。またまた周囲の視線を一斉に感じた。

 私は無表情のままで答えた。

「・・・百貨店の社員さんが、メーカーの接客の妨害していいんですか」

 桑谷さんが更に声を潜めて言う。

「こうでもしなきゃ、君が捕まらない」

「公私混同は恥ですよ」

「なんとでも言え。・・・とにかく、時間をとってくれないか」

 私は首を傾けた。真剣な瞳で桑谷さんはそれを見詰める。

「嫌です」

 彼は一瞬詰まって、何かを言いかけて口を開き、声が出ないで口を閉じた。それから一度空咳をして、改めて私を見詰める。

「・・ま――――・・・小川、さん」

 私の視線に目を伏せて、呼び直した。

「説明させて欲しいんだ」

 私はパタンと音をさせてパソコンを閉じた。背筋を真っ直ぐに伸ばして、じっと彼を見詰める。相当居心地が悪く感じるだろう視線を5分ほど浴びせたあと、ぼそっと返答した。

「・・・事後報告は、嫌いです」

「――――――」

「出逢ってから2ヶ月も時間はあった。その間、3回もあなたの腕で眠った。・・・今更、説明なんて」

 桑谷さんは大きな手で瞼をこすっていた。はあー・・とため息。

 私は淡々と続けて言う。

「・・・斎が昨日あんなことをしなきゃ、私に説明なんてする気はなかったんでしょう。『すべて、計画通り』だったんでしょう?」

 彼は何かを耐えている顔をしていた。眉間に皺を寄せて、ぐっと口元を引き結んでいる。やがて手を降ろして、低い声で言った。

「勝手に自己完結するな」

 私は挑発的に顎をあげ、さっき貰った言葉を返した。

「何とでも言え」

「―――――――」

 唖然として口を開いた桑谷さんを無視して、私は売り場に近づきつつあるお客様に笑顔を見せた。

「いらっしゃいませ」

 彼は仕方なく、視線で無言の圧力をかけて売り場から消えた。

「どうぞゆっくりご覧下さい。宜しければ試食もどうぞ」

 私は明るい声と笑顔で接客をしながら心の中でため息をつく。これで、デパ地下には私と桑谷さんの噂が立つに違いない、と。


 午後になると、『ガリフ』の周囲は騒がしくなった。

 まず営業が飛んできて、携帯で色んなところに電話しまくり、売り場の前でマネージャーや部長と話していた。どの人の顔も接客業についているとは思えないほど険しい顔だった。

 そしてアルバイトの女の子が二人後からきて、今日はこのメンバーでやると決まったらしく、朝番の女の子は3時すぎにやっと休憩に出れたようだ。

 私は他人の顔でそれを見ていた。

「大変ですねえ。どうしたんでしょうねえ」

 そういってそわそわする隣の店の田中さんに相槌をうったりして。


 原因を知っているは私だけなんだろう、今ここでは。

 斎について警察から会社に連絡が行ったはずで、会社でも既に解雇扱いになっているんだろうし。

 桑谷さんをずっと避けることは出来ないだろうけど、とにかく今は逃げようと、お昼は外で食べた。どうせ今日はお弁当を作ってきてなかった。

 話なんか、聞きたくない。

 今は、まだ。



 だけど思っていた通り、彼の行動は素早く的確で、有無を言わさなかった。

 敵に回したのが斎みたいな短絡的バカじゃなく、沈着冷静な桑谷さんだったなら私はとっくに死んでいるだろうと、仕事が終わったあと、店員通用口で待っている大きな人影を見て、ストレートでそう思えた。


 ・・・・・まあ、ここしか出入り口ないわけだし・・・。

 近づいてくる桑谷さんを見ながら、私はため息をついた。

 目の前に来て、黙って見下ろす彼に私は無駄口を叩く。

「・・・・やりたいのは、キス、セックス、それとも拷問?」

 彼はひゅっと片眉をあげて、怒りを押し殺したような冷たい瞳で私を見下ろす。それから口を開ける。

「話」

「昨日寝てなくて、私かなり疲れてるんだけど」

「俺も」

 私は無表情かつ無感動の声で平べったく言った。

「じゃあ、帰りましょう。さようなら、お疲れ様でした」

 店員通用口から出てくる人たちが、通路を邪魔している私たちをじろじろと見ていく。

 それについていくかのように、私も流れに乗って歩き出した。

 後ろから、当然のように桑谷さんも歩き出しているのが気配で判った。

 誰か話しかけられそうな知り合いはいないだろうか。私は目で前方の人波を見つめる。誰でもいい、顔見知りがいれば、その人に駆け寄ってこの場から逃げられる。

 だけど時間帯が微妙で、知り合いは見当たらない。私はうんざりしながら後ろに向かって声を飛ばした。

「・・・・どこまで付いて来るんですか」

「家まで」

「入れませんよ」

 駅に繋がる通路に入る前に枝分かれしている道に、ぐいと腕を引いて引っ張り込まれた。驚いて声を上げたけれど、彼は聞こえなかったかのように私の腕を引っ張って早足で歩く。

 こちらは人も通らないし、街灯もまばらで暗い。

 影から出て、駅前の広場のベンチまで連れて行かれる。痛いのは嫌なので、大して抵抗もしなかった。

 彼は投げ出すように腕を放し、私をベンチに座らせた。

「何故、話を聞かないんだ?」

 怒りを懸命に静めているような声だった。蹴れるものが近くにあれば、すぐにでも蹴っ飛ばしそうな雰囲気だった。

「・・・私のことは放っておいて。第一、あなたには関係ないでしょう」

 ぼそっと呟く。

 もう、どうでもいいの。

 私は事の経緯をみて、斎が早く捕まることを祈り、後はそれを忘れるためにまた仕事に没頭するんだから。

 もう、男はこりごりなの。

 胸の中で言った言葉なのに桑谷さんには判ったようで、眉をしかめて低い声で言った。

「・・・逃げるのか」

 私は顔を上げて前に立ちはだかる男を眺める。駅前は明るくて、彼の表情の細かいところまでがハッキリ見えた。気が張り詰めているからか、彼からは非常に男っぽい空気が溢れ出ていた。野生の、ギラギラした闘争心のような雰囲気が。

 普段なら恐ろしいと思ったかもしれない。だけど、私はかなり淡白な気持ちでただそれを見ていた。

 怖いなんて思わなかった。

「そうよ」

 簡単に答える。

 桑谷さんは押し殺したような声で言う。

「決意した復讐とやらはもう終わりにするってことか?」

「あのバカは警察に追われてる。それでもういいわ。後は知ったこっちゃないのよ」

「・・・それで、俺のことは?」

 私は目を見開いて、え?と首を傾げてみせた。あなたが、何?そんな感じで。

「どうでもいいわ」

 生ぬるい風が吹きぬけて二人の髪を揺らす。塵に混じって駅前の喧騒までもが飛んできていた。

「――――――・・・逃がすと思ってるのか?」

 ふ、と口元だけで笑って、彼は言った。その表情に一瞬ぞくりとする。この男は、きっと、有言実行タイプなんだろう。

 私は無意識に手を握り締めた。ようやく、危険な雰囲気を体が感じ始めたようだった。

「どうするつもり」

 私が小さく聞くと、彼は肩をすくめて宙を睨んだ。

「連れて帰って、布で手足を縛って転がしとくのもいいな。話をちゃんと聞くまでは」

「――――――変態野郎」

 桑谷さんが、また、ふ、と笑った。

「・・・出来ないと、思うのか?」


 頭の中で、ぶちっと音がした。

 私は弾みをつけてベンチから立ち上がり、右手をしならせて、勢いよく彼の頬を叩いた。力を込めて、スナップを効かせて。バシンと皮膚を打つ、強烈な音がそこら辺に響く。

 桑谷さんは少し体を傾けただけで、大して影響もなかったかのようにすぐに私に向き直った。

 歯が当たったのか、切れたらしい唇を手の甲でぬぐう。そして彼は一重の目を細めて私を見下ろした。

「・・・・いいぜ、それで気が済むんなら」

 私はそのまま痛む右手を左手で掴み、黙っていた。

「好きなだけ俺を殴ればいい」

 桑谷さんはそう言って、口元を歪める。

 私は外灯に浮かび上がる彼を見ていた。

 彼も私を見ていた。

 二人とも無言だった。


「・・・・どうして、そこまでして?」


 暫くして、やっと私は口を開く。じんじんと痺れて熱を持った右手が、熱かった。

 風がかき乱した髪の毛を顔から払って、桑谷さんは言った。


「どうしても―――――君が欲しいから」



 ドクドクと痛む胸を押さえていた。




 私の目から、涙が落ちた。







[ 26/32 ]


[目次]
[しおりを挟む]
[表紙へ]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -