1、私はバカだと認めよう。@
目が覚めた。
こぽこぽと音が小さく音が聞こえている。
真っ白な天井には今は消えている蛍光灯。中途半端に閉められた窓から薄日が差し込んでいた。
私は横になったままゆっくりと首を回す。点滴が、ゆっくりと落ちているのが見えた。
「・・・・病院」
声は、出た。
良かった、喋れるらしい。
また天井をじっと見詰めた。
指をゆっくりと動かしてみる。一つずつの指を曲げ伸ばししてみてから、ホッとため息をついた。
病院にいる。どうしてかというと、それは――――――――
白い錠剤、男の顔、吐き気、目が回る、回る、回る、回る・・・・
思い出した。
私は、死ななかったんだ。
退院の許可が出ましたと担当の医者が言った。
同じ年くらいだろうと思う、目元のスッキリした整った顔の主治医は、疲れた顔をして私を見た。私は彼の前の椅子に座りながら、出来るだけ無表情でいようと決心していた。
「昼には帰ってもいいです。ただし」
医者はカルテを机において、私に向き直る。
「小川さん、話してもらえませんか、本当に事件ではないのですか?」
小川まりは私の名前だ。医者のカルテには、睡眠薬の飲みすぎで自殺未遂と書かれているはず。
病院で目が覚めてから、医者や看護師に何度も救急で運び込まれた詳細を聞かれたが、私はその全てに不眠症で常用していた睡眠薬を誤って飲みすぎたんだと答えた。
目の前の、疲れた美形の医者はそうは信じてないみたいだけど。
「いつもより、薬を多めに飲んでしまったんです」
声には感情を一切こめずに、私はまたそう答える。
ボールペンでこめかみをかいて医者はため息をついた。
「救急の電話の声は男性だったそうですが、あなたの入院期間中、一度も、どなたのお見舞いもなかった。誰が救急車を呼んだんですか?その人はどうして一度もこないんですか?」
「・・・・友達です。一緒に居たので、様子がおかしくなった私をみて呼んでくれたのでしょう」
また同じ質問だ。医者もいつもと同じように、うんざりした顔をしていた。
「呼ぶだけ呼んで、一度も見舞いに来ない?」
「怖いんじゃないですか、何かあったらと思うと。友達だと思っていたのは私だけだったとか・・・まあ、男性って、怖がりの方多いですよね」
ちらりと医者を見る。憮然としていた。
「・・・あなたの血液検査では、反応が薄かったんです。常用していたならもうちょっと血液に出るはずなんですがね。・・・自分の薬ではなかったんでしょう?飲まされたのではないんですか?」
両腕を足にのせて前かがみになり、掬い上げるように下から私を見詰めた。
私は無表情でそれを見下ろす。そんな綺麗な顔したってダメよ、貴方には何も言わない。困ったような顔を作るべきか、一瞬悩んでからやっぱりやめる。私は無表情をキープして淡々と言った。
「自分で飲んで、量を誤ったんです」
「どこの病院で処方されたのですか?」
「答える義務はありませんよね」
「警察になら、言えますか?」
「警察に行く理由がありませんから」
しばらくそのままで見詰めていた医者は、体を起こしてため息をつく。
「・・・誰かを庇っているように、私には見えるんですよ。小川さん。その友達のことをもっと教えてもらいたいんですけどね。事件なら、警察に通報する義務が病院にはありますので」
もう一押しだ。私は口元だけで笑って答えた。
「自分の、不始末です」
医者はひらりと片手を顔の前で振って、諦めた顔でカルテに何か書き込んだ。
「・・・・昼までには処理が終わりますので、部屋で待っていてください」
私ははいと返事をして立ち上がる。
「お世話になりました」
医者はもう、私のほうを見なかった。頭を下げて部屋を出る。自分の病室に向かった。
起きれるようになってから病院のコンビニで少しずつ買った日用品を鞄に詰める。後はすることもなく、ベッドに腰掛けたまま看護師がくるのをぼんやりまっていた。
窓口で会計を済ませて病院を出る。
ほぼ4日ぶりに外の世界に帰ってきたわけだ。
緑が眩しい外の世界は5月で、爽やかな風が吹いている。足を止めて、ぐるりと市民病院の周りを見回した。
私を残して世界は今日もちゃんと呼吸をして続いていた。あのまま死んでいたとしても、きっとそのまま続いていくんだよね、世界は。私が生きようが、死のうが。
それは実に小さな出来事で、他のものには一切の影響を与えない――――――――
小さな鞄を持って佇んでいたら、タクシーから運転手が降りてきて声をかけた。
「乗りますか?」
私は笑って手を降る。久しぶりに笑顔を作ったから頬のところが引きつった。
「いえ、歩きますから」
さっき会計を済ませる時、保険を使っても結構な金額だった。足りない分をと病院内のATMにお金をおろしに行ったら、私の口座残高が見事に消えていた。思わず待合室に座って激しくなった動悸を抑えるのに苦労したのだ。その後で何とか会計は済ませたけど、家までタクシーで帰る贅沢なんて出来ない身分になってしまった。
一瞬で判った。
あの男が持っていったんだ。
私のお金までも。
怒りはわかず、ただ淡々とそう思った。薬の飲みすぎで倒れた私を救急車に突っ込み、そのまま銀行で私のお金を下ろしたんだろう。通帳や印鑑がある場所は彼は当然判っているはずだ。
それくらいには長く付き合っていた。
それくらいには信用していた。
あーあ・・・・。その結果が、これだよ。
棄てられて、お金まで盗られた。なあーにが信用よ、バカな私。あの端整な、綺麗な顔で、虫一匹だって殺せませんて清純な表情で、いとも簡単にあの男は私の日常を壊した。
4日ぶりに家に戻ると、私が倒れた時のままの部屋だった。
散らばった新聞紙、床には私の吐瀉物。食べかけのご飯、電気もつけっぱなし。とりあえずと真っ直ぐに通帳などが仕舞ってある引き出しへ向かい、通帳も印鑑も揃っていることを確認した。
やっぱり返しにきたんだな。あのバカ野郎。
光の点滅で、ベッドに放り出したままだったケータイ電話に気付く。いくつも入っていた留守電を聞くと、無断欠勤が3日以上で解雇ですと派遣会社の担当者からの怒った声だった。
私は床に座り込み、天井を見上げる。
・・・・・お金だけでなく、仕事までうしなっちゃったよ・・・。
緊急入院していたと言っても目覚めてからも連絡を入れなかったのは事実で、会社の信用は完全になくなっただろう。あああ・・・・収入源までもなくなってしまった。
呆然と自分の部屋を見回す。
どうなっちゃったの、私の生活。
この汚い部屋と、わずかな現金だけが今の私の持つ全て。
ほんの4日前までは、仕事もあり、収入もあり、美形の彼氏までいたというのに。
あの男は悪魔だったけど。
私の200万の貯金すら持っていかれちゃったわけだし。
「・・・・あらまあ・・・」
かすれた声が出た。
そろそろ泣けるだろうか、私。病院でもちっとも泣けなかった。誰もみていなかったのに。でももうここは自分の部屋だし、涙くらい流したって罰は当たらないと思う。でなければほら、この厳しすぎる現実に、一体どうやって対処したらいいの。
命。
200万。
仕事。
・・・・・・・・・あの、バカ野郎。
やっと、泣けてきた。
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