2、暗闇の対決。



 斎の、ねっとりとした声が闇の向こうから飛んできた。

「―――――・・・さっきのは、今までのことに関してだろ。今のごめんは、これからのことだよ」

「これから?」

 意味が判らずに、私は体を斎に向けた。

 その時、ザワッと背中が総毛立つのを感じた。突然のことだった。いきなり巨大な不安が襲ってきて、私の体は震える。

 私は思わず一歩下がる。

 ・・・なんだろう、この感じ。マトモに立ってられない、この感覚は・・・。

 斎はそんな私には気付かず、なにやら鞄をごそごそしている。

「そうだ、まり。これも、やっぱり渡しとくよ。ってどこ行った?」

 そう言いながら斎は鞄をかき回している。

 突然の不安感に訳が判らずに、私はイライラと言った。

「もう、何してんの?準備悪いわね・・・」

 イライラして責める口調になった私に、そう怒るなよ、って斎が苦笑した。

「あ、あったあった」

 そう声に喜色を滲ませて、斎が鞄から細長いものを掴みだした。そしてそのまま手を放して鞄を地面に落とす。

 ヤツを見て、私はとっさに後ろに飛びのいた。


 街灯が二つしかない小さな神社の境内に、キラリと白刃が光った。


 私は闇の中に浮かび上がるその輝きを見詰めたまま、そっと言った。

「―――――――・・・・斎、その意味、判ってるの?」

 私の声は震えていない。今は体が緊急時に備えてアドレナリンを出しているんだ、と判っていた。

 ヤツが鞄の中から出したのは鋭く尖ったナイフだった。その鞘を外して捨て、斎は私の前に立っている。

 鋭利なアーミーナイフを右手に掴んで、斎が、ああ、と答えた。

「・・・だから、これからの分だって、さっき謝っただろう?」

 ねっとりとして、暗くて低い声だった。

 風や気温が暑いせいだけでなく、私は全身に汗をかいていた。

 ――――――相当キてるわ、この男。

 階段の時よりも倉庫の時よりも直接的な殺意を感じて私はそろそろと後ずさる。前回のように事故に見せかけようとは思ってないのが判った。

 偶然を装うのではなく、もう自分の手でやると決めたのだろう。

 ギラギラとしたヤツの両目は私からぶれることがない。

 私の生存本能が危機を知らせていた。

「全部うまくいっていたのに。・・・・お前が現れるまでは」

 ぼそりと斎が呟いた。暗い暗い声。私の背中を汗が流れたのを感じる。

「・・・お前が・・・余計なことを色々広めたのは判ってんだ。俺はちゃんと警告もした筈だぜ。なのに、お前が止めないから」

 言っていることはまるで子供の泣き言だけど、やっていることは残念ながら酷く大人だった。手にはナイフ。そして人気のない神社。

 私は斎を見詰めたまま、反射的に動けるようにと、深呼吸をして体から力を抜いた。

「・・・地獄に落ちろ、バカ男」

 私の呟きに、斎はふ、と鼻で笑った。もはや美男子の面影はどこにもなく、すごい憎悪を体中から発散させていた。

「お前が、先にいけ。バカ女」

 ナイフを掴んだ右手をゆらゆらと揺らしてみせる。


 全部、このためだったのだ。

 お金を返すっていうのも、あの電車の中での突然の謝罪も。

 私から警戒心を失くすために必要だったから、しただけなんだ。

 そしてまんまと私はほだされ、夕焼けに切なさまで覚えたせいで、今こんなことになっている。

 部屋には入れないつもりだと判ったから、ここですることにしたんだ、きっと。誰も通らない暗闇の多い神社で。

 丁度いい、ここでやってしまおうって。

 ・・・・全く、死に掛けてもバカなのは治ってないじゃん、私ったら!

「・・・詐欺罪の上に殺人罪まで欲しいってわけね?」

 私の言葉にニヤニヤと笑って、斎はまたナイフを揺らす。

「・・・見つからなけりゃ、殺人にはならないさ。お前と俺は一緒に消えるんだ。皆そう思うさ。二人で一緒に逃げたんだってな」

 それは・・・・脳みその足りないお前が考えたことだろうが!

 私は忙しく考える。どうにか・・・どうにか逃げられないだろうか。声を出したところであまり意味はないだろう。ここはちょっとした高台で下は国道なのだ。車の往来も激しくて、音が大きくて私の声など通行人には聞こえないに違いない。

 私の前で斎はたらたらと苦情を続けて言っている。

「・・・全く、あの時救急車なんて呼ばなきゃよかったぜ。そしたらお前は勝手にあの世に行って、こんな事にもならなかったのになあ〜。金ではなくてお前の始末を先にするべきだったよな」

 笑顔を消して、首を傾けてこっちを見ている。大きく見開いたあの瞳には、何もうつってないんじゃないだろうか。

 斎からは、人間らしさを微塵も感じなかった。

 ただ、そこには殺意だけが。

 寒気が背中を這い上がる。

「・・・由香里ともダメになった・・・。それもお前が何かしたんだろう?あれやこれやとご苦労さんだったよな、ほんと。でももういいや。お前を片付けて、俺は消える。どこででも生きてやるさ。でも、今回は失敗せずに、ちゃんとしていかなきゃな」

 私は抱えていた自分の鞄を投げ捨てて、両足を開いて立ち、腰を落とした。

「おお?・・・何考えてんだ、まり。俺にかなうと思ってんの?」

 ニヤニヤを更に大きくして、斎が顎をあげて私を見下ろす。

「俺に、お前が」

 揺らしていたナイフをしっかりと握り締めたのが判った。

 ――――――――くる。

 鼓動が大きく耳の中で反射する。私が息を呑んだのと、斎の後ろの茂みが激しく揺れたのとが同時だった。

 突然闇から人影が踊りだし、そのまま斎にぶつかった。

「うわあっ!?」

 バランスを崩して吹っ飛んで転がった斎は、それでもナイフを離さずに、顔を歪めてすぐに起き上がった。

 私は構えたままで、それを呆然と眺めていた。

 暗い境内に、ヤツとは違う別の低い声が聞こえる。

「――――――・・・彼女はバカじゃねえよ」

「・・・桑谷」

「桑谷さん!?」

 私服で、肩で息をした桑谷さんが斎を睨みつけてたっていた。じっとナイフに視線を固定させている。

 私も驚いたけど、斎のほうが動揺が激しかったらしい。

 私はその一瞬の隙を見逃さなかった。桑谷さんの登場には驚いたけれど、十分に緊張を解いて体の準備をさせていた私は、咄嗟に駆け寄って、狙いを定め、斎の頭めがけて足を蹴り上げた。

 鈍い音が響いて、確かな感触を足に感じる。

 斎がまた吹っ飛んだ。

 横から頭部への攻撃に、今度はナイフも手から離れる。

 私はそれを素早く拾って後ろに下がり、腰を屈めて体の前に構えた。


「――――――形成逆転だな」

 同じく構えた格好のままで、桑谷さんがヒュウと口笛を吹いた。

 どうやら私の回し蹴りは耳元に当たったらしく、また転がって耳を押さえて呻いた斎が、呻きながら立ち上がろうとしていた。

 頭痛も耳鳴りもしているに違いない。一度強く頭を振った。

「・・・畜生っ・・・この・・・くそアマ!」

 斎は立ち上がれず、膝を土について座っていた。そして私と桑谷さんを交互に睨みつける。ヤツの全身には土がつき、片手で耳を押さえているのが頼りない外灯の光で浮かび上がっている。

「・・・守口。もうバレてんだから、諦めろよ。お前の働いた詐欺の件で、今日警察にも連絡が行ってるぞ」

 よく通るいつもの声で桑谷さんが静かに言うのを、片足を立てて座ったままの斎が鼻で笑った。

 私はハッとする。警察に、連絡が?斎もそれを判ってたんだろうか。だから何としてでもというつもりで私を呼び出したのだろうか?

「・・・それでお前は、無関係ヅラして高みの見物かよ、桑谷」

 斎がザラザラした声で桑谷さんに言う。

 ・・・無関係ヅラして高見の見物?何の話?


 私は油断なくナイフを構えたままで、桑谷さんをチラリと見た。


 捨て鉢になっているのではない、と判った。


 斎は何かを知っている。


 桑谷さんに関して話があると私に言ったのは、ただの釣り話ではなかったのかもしれない。何か―――――――


 その場の気配が変わった。

 直角三角形の頂点の位置で3人が立って、お互いに監視しあっていた。

「なあ、5月に一緒に飲んだじゃねーかよ。まさか忘れたわけじゃあねーだろ、桑谷」

 斎のあざけるような言い方が耳に残る。

 ―――――――5月。・・・5月は・・・斎と喧嘩し、入院し、百貨店に入った。百貨店のパーティーは6月だったから、私はまだ桑谷さんとは知り合って、ない・・・。

 そんな時期に桑谷さんは斎と飲んでいた?

 二人は知り合いで酒を飲む仲だった?

 私の眉間に皺がよる。斎と桑谷さんを交互に見詰めながら、頭の中は混乱していた。

「俺のことはまりに話したのか?いい関係になったんだろ、そこのくそビッチと?」

 視界の端で、息を止めたかのように桑谷さんの肩がぴくりと震えたのを見た。

「・・・全部お前の計画通りになったのかよ、ああ?」

 私は斎から目を離さずナイフも構えていたけれど、耳の奥では鼓動が激しく鳴り響いていた。

 ―――――――――計画通り?・・・桑谷さんが、何・・・?

 桑谷さんは黙って斎を見るばかりで、反論も同意もしない。

 ざらざらした声で、なおも斎のあざけりは続いている。

「その女の味はどうだった?ベッドでも、お前に騙されたのか?そいつは中々いい顔をして鳴くだろう、お前にはどんな顔を見せたんだ?」


 目の前が、霞んだ。

 私は息を止めて震えを払い、お腹に力を込める。

 何があっても今だけは、ここを乗り切らないといけない。

 今や、敵は二人かもしれない。

 斎と、長髪の男。

 愛しく私を抱いてくれたのだ、と今の今まで私が誤解していたのかもしれない男―――――――


 私の動揺に気付いてか、斎が声を出して笑う。

「まさかだろう、まり!お前はそいつを信じてたのか?相変わらずのバカな女だよなあ!」

 裏返った声、絶叫のようなその笑い声は、神社の暗闇に吸い込まれて消えていった。

 私はぐらぐらと揺れる視界に吐き気を覚えた。ナイフを握る手から感覚がなくなっていく。ただ必死で呼吸をして、何とかそこに立っていた。

「・・・もう、いいな」

 桑谷さんの落ち着いた、よく通る声が聞こえた。

 そして携帯を開く音、それから声。

「限田神社で男が暴れてます。女性が襲われそうです、自分は今から助けに走ります」

 言うだけ言って、すぐに切ったようだった。

 斎は笑うのを止めて、ぽかんとした顔をしていた。マヌケな顔で桑谷さんを眺めている。

「・・・・」

 少しの静寂が辺りをつつむ。睨みあう3人の男女。そして、桑谷さんの低い声が聞こえた。

「何を言ってもお前には意味がないんだな。守口、そろそろ年貢の納め時だ」

「・・・桑谷」

 桑谷さんが自分の手の中の携帯電話をゆらゆらと振って見せた。

「ほら、どうした色男。逃げなくていいのか?もうすぐくるぞ、警察が」

 ゆっくりと桑谷さんの方を見て首を傾げた斎に、冷気を感じるほどの冷ややかな声で彼は言った。


「――――――――走れよ、死に物狂いでな」


 弾かれたように斎が立ち上がった。

「畜生っ!」

 そう叫んで、転びかけながらも走り出す。バタバタという足音とその背中は、夜の闇の中にすぐ見えなくなった。

 私はそれをじっと見ていた。悪魔の退散を、目を見開いて見ていた。



「――――――大丈夫か、まり」

 心配そうな声が聞こえた。

 私はゆっくりと振り返る。あまりにも体がカチカチに固まっていて、まわした首がギギギって音を立てそうだった。

 今や何者かが判らなくなった男がこちらに近づこうとするのに気付いて、私はナイフを持つ手をそのまま彼の方向へ向ける。

「――――――まり」

 私は呆然と桑谷さんを見ながら掠れた小声で言った。

「・・・気安く・・・呼ばないで」

 ハッと息をのんだようだった。一歩踏み出した状態のままで止まった男を見て、小さな声で聞いた。

「・・・斎と、飲んだって、何?」

「――――――」

「あなた達、そんなに仲がよかったのね。知らなかった・・・」

 私は何も知らなかった。今だって、何が起きているのやら。大体どうしてここに彼が居るのだろう。

 ひりひりとした痛みを胸に感じた。頭もガンガン痛んでいた。でもそんなことには気付かないふりで聞いた。

「目的があって私に近づいたの?」

 彼はその場でじっと私を見ている。パニックを起こしているようには到底見えない冷静な感じだった。取り乱しているのは、何も知らない私だけらしい。

「・・・それは否定しない」

 静かな声だった。悲しげにさえ、聞こえた。

 その時、遠くから近づいてくるサイレン音が聞こえた。


 二人で同時にそっちの方をみる。
 

 そして私は口を開いた。自分でもなんて冷たい声だろうと思った。

「・・・あなたは逃げなくていいの?」

「―――――え?」

 桑谷さんが私に顔を戻す。

 私は口元を歪ませて笑った。

「この男に襲われそうだったって、言うわよ、私」

 驚愕した顔で、桑谷さんが凍りついた。

 まさか自分がそう言われるとは思ってなかったようだった。

 目を見開いて固まっていたけど、サイレンが神社の階段下で消えたことにハッとして、早口でまくし立てた。

「今、全部説明は出来ない。だけど―――――――――だけど、俺は君の味方だ」

「はははは」

「やめてくれ、そんな風に・・・!後で必ず説明するから、俺にチャンスをくれないか」

 必死な感じが滑稽だった。

 何よ、そんな風に言っちゃって。もう・・・もう、ムカつくったら。

 私は微笑んだ。自動的に接客のスマイルが出た。恐るべし、百貨店の教育。


「―――――サヨウナラ、桑谷さん」


 背後に近づく複数の足音を気にして、固まっていた彼も走り出す。一瞬で、目の前から消えた。遠くの方で緑が揺れ動いた音がする。

 その音が聞こえなくなると同時くらいに、私は懐中電灯の灯に照らされた。

 眩しさに目を細める。


「―――――そこのあなた、ナイフを離しなさい」


 警察が、到着した。




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