1、斎の謝罪。@



 それから2日考えた。

 ここら辺で身を引くべきか。斎にもうお金は返してもらわなくてもいいと告げて。

 いや、でも。

 何も言わないべきか。もう変につつくのはやめて大人しくしておくか。

 その内また、斎は女をみつけるだろう。私のことで痛い目にあったなんて考えてないはずだ。面倒くさいバカな女に捕まった可哀想な俺、くらいには思っているかもしれないけど。

 
 答えの出ないまま、私は繁忙期の頂点も過ぎて余裕の出来たカウンターで売り上げノートをつけていた。

 ノートの上に人影が落ちたので反射的にいらっしゃいませ、と言いながら笑顔で顔をあげると、斎が立っていた。

「すっかり販売員、だな」

 同僚の顔をしていた。まるで隣の店の人と世間話をしている気軽な雰囲気でうちの店のカウンター前で笑顔を浮かべて立っていた。

 私は笑顔をあからさまに消す。

「・・・・御用ですか、守口店長」

 ノートを閉じて、静かな声で聞く。口元に笑みを浮かべたまま斎が頷いた。

「・・・噂で聞いたんだけど・・・今、鮮魚の桑谷さんと付き合ってるのか?」

「――――――は?」

 漫画みたいに目が点になった。

 何ですと?思わずそんなふざけた口調で聞き返しそうになって、職場であるのを思い出して口を噤む。斎はふと思い出すような顔をして、ショーケースに視線を固定して言う。

「・・・そういえば、前に倉庫で桑谷さんにご飯誘われてたよな。二人はあれから付き合ってるのか?」

 無言のままで、私は目を細めた。桑谷さんとは気をつけていた。百貨店ではほとんど接点はなかったはずだし、噂に立つようなことはしてない。

 どうしてあんたが知っているの。心の中で呟く。

「―――――――何が言いたいの?」

 ニコニコと気軽な雰囲気なまま、斎は肩をすくめた。

「聞いているだけだろ?彼氏が出来たなら、良いことだよな。おめでとう」

「・・・そちらは、いつ結婚するの?小林部長の娘さんと」

 私は否定も肯定もせずに質問で返した。

 一瞬、斎の目元がぴくついたのを見逃さなかった。

「・・・何で結婚なんだ?付き合ってまだ一年も経ってないんだぜ」

 目元は無表情のままだったけれど、思わず皮肉な笑みを口元に浮かべて私は言う。

「浮気期間を含めたら、もう少しで一年じゃないの。それに・・・もう今年で32歳でしょ?身を固めてもいいと思うけど。妻帯すれば、あんたの浮気癖もバカな行動も収まるかもよ」

 斎はまじまじと私を見て言った。

「・・・お前、そんなにキツイ女だった?」

「ええ、そうだったの」

 皮肉な笑みではなく、接客用の華やかな笑顔に切り替える。二人でにこにこと小さな声で話していた。周りの店のパートさんたちがこっちをみているのを体中で感じていた。

 斎も気付いているに違いない。笑顔を崩さないままで言った。

「まあ、いいか。――――――相談があるんだ。今晩、ご飯一緒できないか?」

「・・・・出来ないわ。私は相談なんてないから」

 ヤツは苦笑した。鼻を人差し指で軽くこすって、ため息をついた。

 私は今日出勤のはずの桑谷さんをすごく意識した。

・・・どうか、気付いていますように。斎がここで私と話していることに。鮮魚売り場を振り返りたい気持ちを懸命に抑えた。

 カウンターの内側でぐっと拳を握り締める。

 彼が売り場から気がついて、見てくれてますように。とりあえず、私はこの場を何とか乗り切って―――――――

「判った。正直に言うと、お金が用意できたんだ。ただ残り121万をここでぽんと渡すわけにはやっぱりいかない。それに、桑谷さんのことで話したいこともあるし」

 更に声を潜めた斎の言葉に引っかかった。

 ・・・・桑谷さんのことで、って何よ。

 動揺を隠すには無表情が一番であると、長年の派遣生活でみにつけていた私はそれに返事をしなかった。

 それにお金が用意できた?一体どうやって?

 しかししかし、好奇心は災いのもとって不思議の国のアリスも言ってたし、餌であることは判りきっている。釣られてはならない。

 極めて常識的なことだけに集中しよう。

 私は淡々とした声で斎に言う。

「41万」

「あ?」

「残りは41万よ。最初に50万返した時もあったんだから、今更ここで返せないってことないでしょうが。いつものように封筒に入れてくれたらいいわ」

 斎が笑顔を消してぽかんとした顔をする。まさかそう返されるとは思ってなかったのだろう。だけどすぐに一瞬見せたそのマヌケな顔をパッと消して、ヤツは肩をすくめた。

「今は持ってないんだ。仕事から上がったら銀行に行こうと思ってた。だからそのまま一緒に飯でも―――――――」

「私の口座番号教えるわ。振り込んでくれたらいいのよ」

 私はヤツの言葉に被せて言ってやる。

「・・・俺と少し一緒にいるのがそんなに嫌か?桑谷さんの話は聞きたくないのか?」

 少し、斎の表情に苛立ちが見えた。頭の中で計算をする音が聞こえるようだった。

「聞きたくないわ。――――――あのね、斎」

 私は心の中でケラケラと笑う。だけど表面上はため息をついて、疲れてうんざりした顔をしてみせた。

「私が桑谷さんと付き合っているなんて、一体誰に聞いたの?先日はご飯に行って、確かに誘われたけど私は断ったし、彼は百貨店の社員さんでしょう、話す機会もほとんどないのよ」

 すると首を傾げて斎が言った。不思議そうな顔をしていた。

「違うのか?てっきりそうだと思ってた。桑谷さんは、よくお前の方みてるぞ」

「え?」

「俺の店から見たら鮮魚とこの売り場は一直線で見えるからな。・・・ま、それもどうでもいいか」

 またひょいと肩をすくめて、それから真剣な顔になった。

「最後に一回だけだ。これでもうお前には近寄らないから。ちゃんと自分の手で返したいんだ」

 付き合っている間も2,3度しか見たことがないような、真面目で真剣な顔をしている。私はちょっと驚いてそれをじっと見詰めた。

・・・何を考えてるんだろう。どうするべきだろうか。周囲の視線を感じながら、頭をフル回転させて考えた。

 斎が真面目な表情のままでこちらを見ている。姿勢良くそこに立って、私の返事を待っていた。そこに、『ガリフ』にお客様が来店したのが私の視界に入る。守口店長、そう言って私が指をふると、ヤツはパッと笑顔になって売り場に戻った。

 華麗でスマートな斎の接客をぼんやりと見ていた。

 桑谷さんの話・・・お金の返済・・・これで最後・・・晩ご飯。

 頭の中をキーワードがぐるぐると回る。

 41万・・・今は持ってない・・・桑谷さんが私を見ている・・・。

「お先でした〜」

「あ、お帰りなさい」

 竹中さんが休憩から戻ってきたので、私はストックに行ってきますと売り場を出た。

 接客を終えてお客様を送り出した斎がカウンターの前に立っていたので、通り過ぎざまにヤツに向かって呟く。

「上がったら、角のコンビニで」

 そのまま振り返らずに倉庫へ行った。


 品だしをしながらもずっと考えていた。

 斎の話。どこまでが本当なのか。お金は返ってくるのか。だけど一体どこでそのお金を用意したのか。

 倉庫の中で携帯電話に着信があったのに気がついた。私は手を止めて震える携帯電話をポケットから出して開けると、桑谷さんからのメールを見つける。

『今晩は空いてる?』

 彼からのメールを見ると湧き上がっていた甘い気持ちは、今日は見当たらなかった。自分が緊張しているのが判った。

 桑谷さんに言うべきかどうかで悩んだけど、何故かその気にならなかった。そしてとても冷静な気持ちで、ごめんなさい、今日は予定があるので、とだけ返信した。

 ため息をゆっくりと吐いて携帯を閉じて荷物を持ち、倉庫を出る。

 マーケットを通り抜ける時、鮮魚売り場をちらりと見たら、厨房で働く桑谷さんの姿が見えた。

 包丁を握ってまな板に向かう、その表情は真剣だ。

 私は歩きながら静かに口元に笑みを浮かべる。―――――――――あの人を、手に入れたい。その為には・・・。

 斜め前の売り場で、斎が私に目をやって頷いたのが見えた。

 了解した、ってことなんだろう。

 竹中さんに商品を渡し、笑顔で世間話をしながら、そっと胸の中で決意した。


 あの綺麗な悪魔と決別しなければ。


 私の未来の為に。この手で、自分の手で終わらせてみせる。


 今日、あの男とちゃんと向き合って過去を清算する。そうしなければ、私の新しい日はずっと来ないのだ。


 その日はそれからは一度も桑谷さんのほうを見なかった。



「お疲れ様です」

 声をかけ、周囲に会釈を繰り返して売り場を出る。そしてバックヤードに入り、真っ直ぐにロッカーに向かった。

 今日は時間調整で早番が5時半上がりだったので、斎が6時にあがるまで時間がある。

 手早く着替えて、5センチのヒールを履く。

 いざとなったらこれで逃げれるだろうか?じっとその華奢なヒールシューズを見詰めてから首を振った。・・・無理だよな。でも武器にはなるかもしれないし、と諦める。手に持って振り回せば、傷くらいは与えられるだろう。

 トイレに行って、慎重に化粧を直した。

 汗と皮脂をふき取り、化粧水をつけてからパウダーをはたいた。アイラインを入れなおしてシャドーを入れる。唇には真っ赤なグロス。

 綺麗になった鏡の中の私は緊張していた。

 手で顔の表情を動かして柔らかくする。ダメよ、がちがちなんか。あのバカ野郎を誘惑できるくらいに素敵な女になって行かなきゃ。

 ああ、こんないい女を捨てるなんて俺はバカだった、ヤツにそう思わせるくらいに、いい女に。

 目を閉じて深呼吸を繰り返した。

 そして、トイレを出た。

 いざ、出陣。





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