2、ゴシップと影響力。


 そして、ゴシップ大作戦が始まった。

 創作居酒屋で桑谷さんと考えた通りに、私はデパ地下のパートさんたちを中心に、桑谷さんは百貨店の社員さんを中心に、とにかく『守口と小林さんが言い合いをしているところを見た』だとか、『彼女は熱が冷めてきているらしい』などと人との会話に組み込みまくった。

 ハッピーな話よりは不幸な話のほうが面白いに決まっている。それに誰かの命が掛かっているわけでもないこの手の話は、大した罪悪感もないからか瞬く間に広がっていった。

 作戦開始してからの斎からの借金返済はなく、どうやらお金をヤツに預ける者がいなくなってきているらしい、と判った。

 ただ単に、繁忙期で皆それどころじゃなくなった、ってのも勿論あるかもしれない。百貨店の社員さんは、イベントが変わるごとに深夜まで残業していると桑谷さんも言っていたし。

 だけども確実に、守口&小林カップルの不仲説は百貨店中に蔓延しているようだ。私はそれを注意深く眺めながら更に話を煽っていた。

 こちらもかなり忙しくなって中々会えなくなった桑谷さんとは、主に夜、メールで報告し合っている。最近ではとりあえず携帯を開くと桑谷さんからのメールがないかと探すようになった。

 私は、孤独じゃなくなっていた。


 8月に入った。

 百貨店はまさしく全館あげての繁忙期。

 夏のアイテムからセール、中元や帰省土産、暑い時期は人も亡くなるので法事も増えるから、お供えものや粗供養まで、毎日は戦争のように過ぎていく。

 サービス業故、人が休みの時は稼ぎ時。

 連日全員体勢の連勤で、大忙しだった。

 お盆に突入して、毎日の売り上げが普段の3倍にも5倍にもなる日、休み時間を短縮して売り場に戻ろうと階段を急いでいると、下から上がってきた小林さんにばったりと会った。

「・・・あ、小川さん」

「あら、お久しぶり。そちらもお疲れ様」

 彼女は踊り場で立ち止まり、お久しぶりです、と頭を下げた。

 全く、何て礼儀正しい子なんだろう・・・。

 急いでいるのでと通り過ぎようとすると、あの、と声が聞こえた。

「はい?」

後ろを振り返る。

 小林さんは両手を体の前で固く合せて、思い切ったような顔で言った。

「―――――私、プロポーズ、されたんです」

 ―――――――あん?

 私は体ごと、彼女の方をむいた。

「・・・何て言ったの、今。・・・プロポーズ?守口さんに?」

「はい」

 その返事で、急いで売り場に戻ろうなんて考えは吹っ飛んだ。今は仕事どころじゃあないわ!

 踊り場で一歩近づいて、周囲を見回す。人がいないことを慎重に確かめてから私は口を開いた。

「・・・それは・・・おめでとうと言うべきよね。いつの事?」

「一昨日です。・・・・・でも、断りましたので、おめでたいって話ではないんです」

「は?」

 彼女は真っ直ぐに私をみて言った。

「プロポーズは断りましたので。私は守口さんと結婚しません」

 つい、駆け寄って彼女を抱きしめたくなった。鞄を放り投げて、ブラボー!それは素晴らしい選択だ〜っ!と絶叫しそうだった。・・・しなかったけど。

「個人的には、素晴らしいことだと思うわ」

 そう言うに留めておいたけれど、本当は、それどころじゃなかった。万歳3唱して思い知れバカ男!と言わないように、意思を総動員するハメになった。お腹に力を込めて笑わないようにひたすら我慢する。

 この子は賢かった。だけど、その選択をするに当たって傷付かなかったわけはないだろう。目の前でヤツを罵ってバカ笑いするのは得策ではない。私は必死に堪えて真面目な顔をキープする。

「でも、どうして?」

 一応聞くことにした。聞いて欲しいから、話だしたんだろうし。忙しいのはどこの売り場も同じだ。彼女だって時間は惜しいはずだけど、それでも話したかったから呼び止めたのだろう。

 小林さんは少し首を傾げて、悲しそうな笑顔で言った。

「・・・・繁忙期で忙しくて全く会えなかったんです。それなのに、突然仕事帰りに呼び出されて、疲れきって不機嫌な顔で『俺達、結婚するよな。戸籍だけでも先に入れてしまわないか?』って言われたんです」

「は?」

 ―――――――・・・・・何だと??

 私が目を点にしていると、彼女はどんどん顔を歪ませながら続けた。

「まだ、両親への挨拶だってちゃんと済ませたわけじゃあないし、わ、私は社会人になってようやく仕事の事も判ってきたところなんです。だから、別にそんなに急ぐことないじゃない、って言ったら、『黙って言うとおりにしろよ』って・・・」

 ムカついた余り、私は声がひっくり返った。

「・・・何ですって??そっ・・・そんなムードもへったくれもない上に責められる様なプロポーズってある?」

「・・・ですよね。私は、まず二人で決めてから各両家へ挨拶へ行って、結納して、式場決めてって、順番通りにしたかったんです。そんな・・・そんな、間に合わせみたいな、嫌でした」

 そりゃあそうだろう。この娘さんは、憧れの結婚式図をちゃんと持っているタイプの女性だ。彼氏が出来て、約束をして、結婚情報誌を買いに行ってそれを二人で見る、そんな図を夢みてそうなお嬢さんなのだ。・・・私なら、別にしきたりやなんやには拘らないんだけどさ。

 私が口を震わせて声を出せないでいると、彼女はついに感極まって涙を零した。

「で・・・ですから・・そんなのは嫌だって、言ったんです・・・そしたら、ハッとしたように次は一生懸命謝ってきました。ごめん、って。・・でも・・・でも・・・」

 私物鞄からティッシュを出して渡すと、彼女は上品に目にあてて頭を下げる。

 そして顔をあげて言った。

「私は言いました。あなたの事が判らないと。好きかどうかも、今では判らなくなっているのって。私は、あなたとは、結婚、しませんって・・・」

 ぼろぼろと泣いていた。私は近寄って、そっと彼女の細い肩を抱きしめた。

「・・・・よく頑張ったわね。でも今は、職場にいるの。泣いちゃダメよ。トイレで化粧を直して、売り場に戻りましょう。そして笑顔で接客するのよ。私たちは、男だけの人生なんか要らないんだから」

 大体、あいつの周りにいたら殺されるかもなんだぞ、と心の中で付け加える。

 彼女はぐっと息を吸い込んで、はい、と顔を上げた。涙で赤くなってはいたけれど、その顔には既に凛とした強さがあって、私は安心する。

「ごめんね、今は時間がないけど。8月が終わったら、一緒にご飯に行きましょう」

 私が言うと、はい、楽しみにしてますといってくれた。

 そして、携帯のアドレスを交換した。


 階段を駆け下りながら考えた。

 やはり、確実に守口・小林カップルの不仲説は浸透していたのだ。

 そして投資の話を持ちかけられた人は不安になった。だから話に乗らなくなった。そしてきっと、斎に聞いたのだろう。お前らは、大丈夫なのか、と。本当にうまく行っているのかと。

 だから斎は――――――

 1階に着き、店員通路を走る。バックヤードは今日も込み合っていて、いたるところで声が飛んでいた。

 ―――――焦ったのだ。彼女との、結婚を。

 斎は女を手に入れる為ならムード操作くらいしただろうと思う。慣れているはずだし、しかもきっと楽しんでやっただろう。

 それが出来ないほどに、焦っていたのだろう。そして小林さんを見くびっていた。まさか年若い彼女の気持ちが自分から離れているとは思いもしなかったに違いない。


 売り場への出入り口前で止まって、呼吸を整える。

 百貨店は毎日混雑している。お客様にぶつかったりしたら大変だ。荒い息を整えて、制服の乱れを直し、笑顔を貼り付けてドアを開けた。

 一礼。お客様を避けながらマーケットの青果売り場を通り過ぎて洋菓子コーナーへ歩いていく。

 ちらりと鮮魚売り場をみたけれど、桑谷さんの姿はなかった。ここ2日は連絡がないから、もしかしたら今日は休みなのかもしれない。彼ももう随分と連日勤務が続いているはずだった。


 自分の売り場に入る前に斎の姿を確認した。

 いつもと変わらない笑顔・・・いえ、やっぱり違う。毎度のキラキラオーラが出てないと思ってはいたけど、疲れだろうと思っていた。でもさっき、理由がわかった。


 女に振られたのね、あんた。


 包装をする手を休めずに女性客の話に相槌をうつ斎を見ていたら、笑いがこみ上げてきた。

 ・・・やばい、私もかなりキてる女だわ。ここでヒステリックに爆笑なんてしたら、仕事を失うハメになるってーの。自分に、落ち着け、と言い聞かせる。

 斎から無理やり目を離して、自分の売り場に入って行った。

 とにかく、どうにかして桑谷さんに連絡を取らなきゃ―――――。

 私物鞄を直して立ち上がり、自分の売り場の順番待ちをしているらしいお客様に声をかける。

「お待たせいたしました。お伺いしておりますか?」

 接客用の顔で微笑んだ。

 
 2回目の休憩の時、トイレの中で桑谷さんにメールを打った。

「こんにちは、今日はお休みですか?

 今日、小林部長の娘さんから、守口さんからプロポーズをされたけど断ったと聞きました。

 今晩、帰宅したら電話してもいいですか?」

 送信っと・・・。メールの絵が画面の中を飛んで行ったのを確認して、送信履歴から今のメールを消す。

 桑谷さんにメールを送るときにはトイレに入るようにしていたし、送受信の記録はマメに消していた。いつ携帯を落とすことがあるかもしれない。

 既に十分危ない橋は渡っているのだ。用心に越したことはないだろう。


 手を洗って化粧を直し、トイレを出る。

 通路で鞄からペットボトルのお茶を出して飲んだ。さあ、戦場に帰ろう。

 今日は早番だし3人体勢だから、残業の必要もなく6時には上がれるだろう。

 それまでには、桑谷さんから返信もきているはず―――――


 売り場へ戻った。


「では、お先に失礼します」

 カウンターの中の福田店長と大野さんに会釈をした。

「はい、お疲れ様。明日はゆっくり休んでね」

 二人はにこにこと手を振ってくれる。

 6連勤をしていて、明日はやっと休みだった。やれやれ、と肩の凝りをほぐす。

 今日は今で、前年より5万円もプラスしている。これから夜にも売れれば、予算達成に大いに近づけることとなる。しかしその分、忙しさも強烈だった。

 私などは一人身なので帰っても自分の世話だけすれば済むが、店長も大野さんも家族がいる。これだけ働いた後で家事も育児もするのか!と私は大いに尊敬した。・・・すごい、出来そうにもないわ、私には。

 お盆もあと一日で終わりだ。明日は私が休み、その次は店長が休む。そしてこの夏の繁忙期は一応の終わり、となる。

 ぐるぐると首も肩も回しながらロッカールームに向かう。

 携帯をチェックしたけど、桑谷さんの返信は入ってなかった。胸に失望を感じてハッとする。


 ・・・・今、私。・・・残念、って思った・・・?

 がっかりした?彼からのメールがなくて。


 見下ろしてくる細めた冷静な黒目を思い出す。器用に動く大きい手も。さらさらの長髪も。時折みせる、皮肉に笑う口元も――――――

 そうしたら芋蔓式に、引き締まった体や流れる汗、私の足を掴み上げて体を打ち付けてくる動きなんかも思い出してきて、赤くなった顔をロッカーに打ち付けた。

 ガン、と実にいい音がする。

 ・・・いやいや、発情してる場合じゃないでしょ、私ったら。何てことなのよ、全く。

 ここ最近本当に忙しくて会ってないし、前の居酒屋のあとも私はぷんぷんしたまま一人で家に帰ったし、2度味わった彼とのセックスを体が欲しがっているのが判った。

 たかだか20日やそこらで・・・。

 ・・・・・面倒臭いわ、30歳独身!熱くなった頬を両手でパンパンと叩いた。

 女友達に電話して、からかってもらうとかしなきゃ冷静にはなれないかも・・・。そう考えながら、どうにか着替えを終える。

 清涼剤を汗臭い体に吹き付けた。口紅はなしでグロスだけ塗って鏡をしまった。

 鞄を持って店員通用口へ向かう。

 彼に会いたいのか、誰でもいいから体を満たして欲しいのかが判らない。彼からメールが来てなくて残念に思ったのは、恋しているから?それとも体が寂しがっているから?

 うううーん。こんな事で私が悩むなんて・・・。他にもっと差し迫ったことがたくさんあるっていうのに。

 斎とのことがあってから、恋愛には臆病になっているはずだ。また気持ちを傾けるなんて出来るかどうかの自信もない。

 でも判らないのか、判りたくないから理解しないのか、さえも判らないなんて――――――――

「結構、重症なんだわ・・・」

 私は通用門を出てから許可証を仕舞い、独り言を言った。




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