1−A
一度売り場に戻ってから、溜まったダンボールを捨ててくるとバックヤードへ入った。
販売員の通路で、エレベーターや階段やストック場や水場やトイレなんかがあるバックヤードは人の行き交いが激しい。
それを避けながら、ダンボールの収集場所まで持っていくと、今度は桑谷さんが前からやってきた。
「お疲れさん」
片手をあげながら歩いてくる。私はお疲れ様です、と会釈をして、周囲に顔見知りがいないことを確認してからそっと近づいて、小さな声で言った。
「さっき、斎がまた30万返してきたんです」
「え?」
桑谷さんの笑っていた顔が真顔になった。
「・・・さっき?」
「はい、今さっきです。倉庫で斎に呼び止められて」
考えるときの癖なのか、桑谷さんは人差し指を唇にあてて唸った。
「・・・・判った。今日は上がり、いつ?時間取れる?」
私は頷く。
「今日は中番なので、7時上がりです。晩ご飯行きますか?」
「俺は早番だけどちょっと残業するんだ。でも7時には上がれると思う。じゃあ、前の店でいい?」
ああ、あの何が創作なのか判らない居酒屋か。でもご飯は美味しかった。思い出して、私はついニッコリした。
「はい。じゃあ終わったら先に行ってますね」
「宜しく」
離れて行こうとすると、あ、と後ろで声が聞こえた。何だろうと振り返ると、彼は他所を向いてぽりぽりと頬をかいている。
「何ですか?」
私はまだ段ボールの団体さんを抱きかかえたままで聞いた。何言い渋ってるんだろう。これ安定悪いから、早くしてくれないかな、そう思っていた。
桑谷さんは口の中で小さく、あー・・・、と零した後、言い難そうな顔をして言う。
「・・・・あいつのこと名前で呼ぶのやめてくれ」
私はその場で目をパチクリする。・・・あいつって、斎のことよね。うん?何だ、いきなり?
「は?・・・どうしてですか?」
首を傾げる私を見て、桑谷さんは、うー・・と唸り、手で頭を軽く叩きながら歩き出して私の横を通り過ぎた。振り返りもせずに、通り過ぎざまに小さく呟く。
「・・・判れよ」
遠ざかる桑谷さんの背中を見ていた。行き交う人を避けて立ちながら、私はこっそりと笑う。
――――――――――勿論、判ってる。
ヤキモチ焼いたんだってこと。
「――――――し・・・信用さ――――」
思わず大声になりかけた私を、桑谷さんは手の平を見せるジェスチャーで止める。
空咳をしてから小声に直して、改めて聞いた。
「・・・信用詐欺、ですか?」
前の席に座る彼は声に出さずにただ頷いた。
以前来た創作居酒屋で、今日はカウンターではなく半個室化した座敷で飲んでいた。
遅くなるはずが実際には私より先にきていた桑谷さんは、注文した料理を私があらかた片付けたところで、おもむろに話しだしたのだ。
「守口は、架空の儲け話を考えて、うちの社員達に投資をもちかけてるんだ」
半個室とはいえ、ここは百貨店に一番近い飲み屋である。一応の確認はしていて顔見知りは見当たらないが、念には念をと、桑谷さんの声はほとんど囁きに近かった。
聞こえないのでつい上半身を乗り出すことになる。
「儲け話・・・」
「そう。それが架空だってのは、君がお金を受け取ってるのを知ってるから俺は言えることで、もしかしたら本当の話かもしれないけど、少なくとも投資にまわすつもりで社員がヤツに渡した金は、そっくり君に返しているみたいだな」
金額がぴったり合うんだ、と桑谷さんは言った。
私は座りなおして頷く。
・・・それでピン札だったのだ、と合点がいった。一度斎の口座に振り込まれたものを降ろして持ってきたのだと。
ビールのジョッキをテーブルに置いて、桑谷さんは盛大なため息をついた。
「・・・小林部長の名前も出しているらしい。近いうちに部長の親戚になるんだから、大丈夫だと。投資にもし失敗しても金は返せると言っているんだろう」
うんざりして、私は思わずうなり声をあげる。
・・・・あのバカ、本当に、なんてバカなの。そんないずれはバレる嘘を重ねて。
呆れた。よくもそんな話をだしてきたものだ。これで自分の懐は痛まずうるさい私の金は返せる。もし小林家に入ることが出来なくても、逃げれば済む話だと考えたのだろう。
小賢しい割には詰めが甘いんだよ、斎君。小林部長の名前を出してしまう辺りに、焦りがすごく見えるではないの。
ただし問題なのは、私にはそれが判るけれど、百貨店の社員さん達にはそれが判っていないってことだった。
あーあ・・・。私はお箸を放り出して桑谷さんを見る。
「どうやって聞き出したんですか?」
彼は淡々と説明した。
「君が集めた情報の中にいた、子供服売り場の社員は俺の同期だ。春の人事で移動になって、今、子供服の男性社員は少ないから、金がかかる話が動くとしたらアイツくらいしか居ないと思った。それでこの間飲みに行って、守口が小林部長の娘と本当に結婚するのかどうかの話を俺から振ったんだ」
私は無意識に下唇を噛んだ。
―――――――――スマートだ。しかも、素早い。
「・・・そしたら同期があの二人はうまく行ってないのかと血相を変えたから、何ごとだ、と聞いたらそんな話が出た。うまい話だったら俺も噛みたいと言ったら仕方ないな〜って全部話したよ」
私はテーブルを挟んでマジマジと桑谷さんを見詰める。
「すごーい・・・まさか、そんな上手に聞き出すなんて」
「いや、大したことしてねえよ」
少し照れたように肩をすくめて言い訳していた。同期が絡んでたから早かっただけで、云々。
「・・・・でも、それってどうしたらいいんだろう。やっぱり出所が判ってしまうと・・・お金、返したほうがいいですかね」
私の悩むところはそこだ。
斎が金融機関で借金して勝手に一人で苦しむのは諸手を挙げて大歓迎だが、その他の善良な人々の懐をくすねたいわけではない。
私が返して貰った総額80万は、どうやら百貨店の社員さん達の懐から出たらしいと判ったからだ。それって、かーなり良心が痛むんですけど・・・。
すると桑谷さんはぴらぴらと片手を振った。
「貰っとけ貰っとけ。あいつらだって、欲の皮が突っ張ってんだから。この世の中美味しいだけの話なんてないんだって勉強するべきだよ」
・・・・ええ、私も痛い社会勉強でした。私は額に片手を当てて悩む。
「うーん、でも」
「いいって。君とは違ってあいつらは自分で納得して支払ったんだ。それが詐欺でしたー、なんて、ほんとバカだと思うよ。少なくとも俺はひっかからないと思うような話だしな」
・・・まあ、それは判る。
私は面倒臭くなって、ビールを飲み干した。
「・・・じゃあ、今日の分合せて80万は貰っとこうかな。それでもうお金はいいや。こういうことって警察に言うべきなんですかね。匿名で電話とか?」
うううーん・・・と二人で悩む。
「君や同期の話と現金で頑張れば説明は出来るだろうけど・・・ややこしくなる上に周りへの影響がでかすぎる。その話が架空であるという証拠もないしな・・・」
確かに。警察は事件が起こってからでないと動いてはくれないし、それにこれから繁忙期も本番になる百貨店は大混乱だろう。斎はメーカーの社員だが、話に乗っているのは百貨店の社員だ。小林部長の名前もでているし、まさしくスキャンダル。大体今の段階で警察に言って、どれほどの事をしてくれるものなんだろう・・・。
「・・・あー・・煮詰まった。申し訳ない、タバコ吸ってもいい?」
桑谷さんが聞くので、どうぞと灰皿を取った。
「・・・タバコ、吸うんですね」
「凄く疲れたり、酒飲みすぎたりした時にはやっぱり欲しくなるね。毎日吸うのは止めれたんだけど、たまの一本が止められない。―――――喫煙者は嫌い?」
鞄からボックスとジッポライターを出して、ちらりと私を見る。私はいえいえと首を振った。
「歩きタバコやマナー違反は嫌いですが、喫煙そのものは嫌いではないですよ。私も昔は吸ってましたし」
彼は、へえ?と眉を上げた。
口の端にくわえて火をつけライターを閉じる。その無駄のない流れるような動きが、以前はヘビースモーカーだったのかなと思わせた。
全部にかかる時間がとても短く、洗練されていて、決まっている。習慣になっていないと出来ないような一連の動作。
彼は吐く紫煙に目を細めて、煙の間から私を見詰めた。
「・・・吸ったんだ?意外だな。知れば知るほど、色んな顔が出てくるね、君は」
私は少し微笑んだ。
「それはお互い様でしょう。桑谷さんのことも、私は何も知りませんよ。この前やっと年上だって判ったところです」
私の答えににっこりして、リラックスしたかのように姿勢を崩す。
「何が知りたい?何でも聞いてくれ」
「え、何ですかいきなり?」
「俺に興味持ってくれるのが嬉しくてさ」
ケラケラと機嫌が良さそうにそういうから、私はつ、と指で彼の髪を指した。
「――――――――どうして髪を伸ばしているんですか?」
彼が一瞬、ん?と止まった。そんな質問は予想してないみたいだった。人差し指と中指でタバコを挟んで持ち、天井を見上げていた。
ゆっくりと煙を吐き出して、照明にキラキラ光るのを眺めている。やがてぼそっと低い声で呟いた。
「・・・・切るのが面倒臭かったから、ってことで」
ってことで?
私は右手で素早く箸置きを彼に投げつけた。
「本当の理由を教えてくれないなら、何でも聞いてなんて言わないで下さい」
それなりに素早く投げたのに、箸置きはあっさりと右手一つで受け止められてしまった。しかも、くわえタバコのままで。・・・くそ。
困ったような微笑で桑谷さんは言う。
「・・・・賢い女性は嫌いじゃない」
試されているような、宥めすかすようなその言葉にカチンときた。
「私はバカですから、どうぞ嫌って下さい」
「あらら・・・女神を不機嫌にさせちまったか」
桑谷さんはそう言って痛そうな顔をする。
ふん、と下品に鼻を鳴らしておいて、私は勢いよく呼び出しボタンを押し、ビールのお代わりを頼んだ。
「――――――ま、とりあえず」
「はい?」
短くなったタバコを灰皿に押し付けて、桑谷さんが言った。
「百貨店の社員には、守口と小林さんの不仲説を流してみるよ。他のやつらが話しにのらないように牽制しよう。同期にも同じように言う。調べたけど、そんな投資の話は眉唾じゃあないか、とも。金を返せと言わせてみると、次にアイツがどう出るかが見れる」
「・・・・なるほど」
おおお〜。声には賞賛は出さず表情も変えないままで、私は指先だけで拍手をした。
桑谷さんは情けない顔をして、小さな声で言った。頼むよ、と。
「笑ってくれないか?」
私は無表情のまま彼を見る。そして舌をぐいっと突き出して、親指を下へ向けてやった。
[ 19/32 ]
←|→
[目次]
[しおりを挟む]
[表紙へ]