1、うまい話なんてない。@
中元の時期が本格的に始まった。
7月の下旬、私はややこしいお客様の接客を終えて、大きくため息をついた。
「お疲れ様でした。えぐい方でしたねー」
竹中さんが後ろから肩を揉んでくれる。
はは・・・と力ない笑いを返す。今は冗談を言う元気も残ってなかった。
・・・ほんと、えぐかった。うちの店が冬に展開する商品が気に入ってるから出せと言い、季節物ですので現在は取り扱いがありません、と言うのを、客の言うことが聞けないの!?本社に一つくらいあるでしょう?!と売り場で声を荒げ、丁寧に頭を下げても引き下がらず、百貨店の社員を呼べという。
だから呼んで、説明したら、サービスカウンターにお客様を連れていってくれた。あとは、こっちで何とかするからと。
・・・ああ、やれやれ。
客だと何でも許されると思っている傍若無人な人がたくさんいることを、この業界に入って初めて知った。ほんと、無理難題を言う人はどこの世界にもいるものだ。だけどないものを出せ、とか、多い荷物は配達をして当然みたいなことを言われると当惑するのだ。
困った人ってどこにでも居るんだろうけど・・・それにしても、『お客様は神様です』って言った人は誰だった?
私はこっそりと首を回して肩こりをほぐす。ああ、10分マッサージに行きたい。
接客中、客は神なんかじゃねーよ、需要と供給の中では対等である筈だろ、と心の中で怒鳴り散らしていた。サービスというのは、あくまでも気持ちよくいてもらう為の付加努力であって、受ける側が当然のように要求するものではないだろう。
くそう、あのババア!と胸の中で毒つきながらも、売り場に立つ販売員の使命として、顔には笑顔を浮かべていた。
・・・・私、こんなに口悪くなかったんだけど。これも全て斎のバカ野郎のせいに違いない。2年と5ヶ月の影響力は強かった、と斜め前の店で極上の笑顔を駆使して接客している斎を眺める。
お客様は女性で、頬を染めて斎の顔を見詰めている。よくよーく見ると、あいつが包装しているのは5千円の商品ではないか!くそう、羨ましいぜ・・・。絶対、あのお客様は自分が何を買ったのかが判ってないと思う。
「・・・・凄い笑顔ですよね〜。相変わらず」
竹中さんが私の後ろから斎を見ていった。そして私に聞く。
「綺麗な顔って見飽きるって本当ですか?」
え、いきなり何だ?私はそう思ったけれど、とりあえず真剣に答えることにした。
「うーん・・・。そんなことないと思うけど。でも感動は薄れていくよね、きっと。毎回、綺麗な顔だなあ、とは思うけど、別にドキドキはしなくなるというか・・・」
彼女はポン、と手を打って、ああ成る程、と頷いた。
「さっきのお客様も、守口店長相手だと可愛らしくなるんですかね〜」
さっきのキチガイババアか!?思い出してまたムカついた。私はむすっとして言う。
「・・・まあ、格好いい男にはよく思われたいと思うのが普通でしょうしね。大体こういう女性ばかりの職場では、男性ってだけで力があるわよね。何か、偉いさんって感じで」
そう考えると、斎はこの職業に向いている。
レジの金銭チェックのついでに鮮魚売り場の桑谷さんを探す。今日は売り場に出る日らしく、商品を並べながらよく通る声で呼び込みをしていた。
肩幅が広くて背が高いから大きく見えるけど、どちらかと言うとすらっとしていると形容される体型だろう。防水の長いエプロンが似合う長い足。百貨店の社員用の半袖の制服から伸びた腕は休むことなく動いている。肩を越えるくらいの黒い髪をくくって板前さんのような帽子を被った彼は、やはり目だっていた。
斜め前ではイケメンの斎が芸能人のようなキラキラオーラで目立っている。
後ろを振り返れば桑谷さんがこれぞ男!って感じの雰囲気を出して目だっている。
見方によっちゃ、ここは結構豪勢な売り場なんだな・・・と思った。
正し、斜め前は悪魔で、後ろは正体不明なんだけど。
俺が調べる、と桑谷さんが言ってから、毎日が忙しく過ぎていって話が出来ていない。
こちらが休みだったらあっちが連勤だとか、あっちが都合よくても私が疲れ過ぎてて携帯に気付かず寝てたとか。メールで状況を聞くと、メールで話せることじゃないと返事が来ていたし。
生理前もあるんだろう、私はイライラしていた。
今日は土曜日で3人体制なので、福田店長が戻ってきてからが私の休憩時間。運よく接客もしてなかったので、交代ですぐに食事に出た。
店員食堂でお弁当を食べていたら、小川さん、ここいいですか?と小さな声が上から降ってきた。
「――――あ、どうぞ。空いてます」
小林部長の娘さんがトレーを手に立っていた。
「失礼します」
行儀のよい声をかけて前に座る。彼女は茶色の長くて綺麗な髪を後ろでまとめてあげていた。
私は思わずお箸をとめて、彼女をじいっと観察してしまう。・・・・ほんと、見た通りにいいとこのお嬢さんって感じ。人形みたいだわ。
「その後、どお?守口さんは態度戻った?」
彼女の前ではもう斎と呼ばないことに決めた。人柄が判って、かく乱する必要がなくなったからだ。
小林さんはお箸を止めて、曖昧に微笑んだ。
「・・・そうですね。前のように優しくなったと思います。でも繁忙期だし、ほとんど会えてないんですが」
ふーん?私はちょっと考える。金作りに奔走するのが落ち着いたのかな?私まだ全額返してもらってないけど。ま、とりあえず、彼女は前よりは元気そうだった。
「そう、辛くあたられてないなら良かったわ」
「私からも・・・距離を取ってますので」
彼女は私と目を合わさずに、俯いて小さな声で言った。
「小川さんとの事も考えましたし、熱が、ちょっと冷めたというか。冷静に彼のことを見ると、確かに、なんというか・・・」
言葉が続かないようで、更に小さくなって消えていった。
「・・・ご飯、冷めるわよ。食べて食べて」
はい、と返事をしたから、私もお弁当を再開した。
斎はこの子を手放したくないはずだ。可愛くて、大人しくて、部長の娘。将来が安泰だと思うはず。それを利用するはず。私とこの子が話しをしたことはまだ伝わってないのかな?まさか、田中さんが喋らないはずないと思うけど。
機械的にお弁当を食べていたら、前から小さな声が聞こえた。
「・・・小川さんは、今彼氏はいらっしゃるんですか?」
彼女が顔を上げて私を見ている。私は答えにちょっと詰まった。
「・・・彼氏・・・と呼べるかどうかだけど、私の傍にいて、気にかけてくれようとしている人がいるの」
その人とは今のとこ、セフレのような関係よ、とは言わなかった。この可愛い子には言えない。
「ええと・・?」
小首を傾げている。よく判らなかったらしい。彼女の世界では、男ってのは、彼氏か、好きな人か、友達か、その他、なのだろう。
説明するのは難しい。だって・・・抱き合ったけど、別に付き合ってないし。私は小さく唸る。
「うーんと・・・。まだ自分がどう思ってるのかがよく判らないの。その人のことを、信頼していると思うし、好きだとは思う。でも、もし付き合ってといわれたら、はいと言うか判らない」
「何だか、私には難しいです」
本当に考え込んでいた。私は笑って、パッパと手を振る。
「そんな考えないで。今は忙しいし、棚上げにしてるの、私も」
それからは二人で慎重に斎の話題は避けて、昔の恋話なんかをした。彼女の表情も生き生きしてきて、笑い顔も見られた。良かった、と安心する。
何にせよ、この子が斎に警戒心をもつようになったことはいいことだと思った。
売り場に戻ると、隣の店の友川さんが、店食で楽しそうでしたね〜、小林部長の娘さんと、と言ってきた。
「そう、初恋の話で盛り上がっちゃって」
私がそう答えると、ふーんと唇をとがらせた。
「守口店長の元カノと今カノが何話してるのかと思ったら、初恋の話って・・・。おもしろくなーい」
「こらこら、何て正直な」
それに、売り場ですよ、笑顔笑顔とたしなめる。
それから休憩後の商品出しにストック行ってきます、と紙袋とメモを手に売り場を出た。
込み合っている通路を器用に避けながら進み、倉庫に入る。
すると、前から斎がやってきた。
「あ」
「あ?」
斎が私を見て出した声に、思わず連動してしまった。あ、って何よ、一体。何だろう、私を探してた?私は全身に警戒心をたぎらせてバカ野郎を睨んだ。
商品がたくさん入った袋を持ったまま、斎が頭で倉庫の奥を指した。ついてこいってことらしい。
・・・行くべきだろうか。かなり怪しい。だけど私も倉庫に用があるわけだし、ヤツも一杯商品を持ってるってことはすぐに売り場に戻るのだろう。危険はなさそうだ。そう思ってやつの後ろから私はついていく。
黙ったままで一番奥の棚のところに来て、袋を床に置き、斎が白衣のポケットから出したのはまた白い封筒だった。
「30万」
「・・・・」
黙って受け取って、私もポケットにしまう。斎は無表情だった。前よりは疲れもそんなに見えない顔をしている。
私はつい、口に出して聞いた。
「・・・・・どうやってお金作ってるの?」
売り場へ行こうと私の横をすり抜ける斎が立ち止まった。そして振り返り、綺麗な顔を歪める。
「・・・・お前が借金してでも返せって言ったんだろうが」
「借金したの?」
「うるせえよ、バカ女」
吐き捨てるようにそう言った後、ヤツは舌打までする。何をしているのかは知らないが、やはりそれなりに苦労はしているらしい。私はふふんと嘲笑してやった。
「・・・どうせ借金するならチマチマ小額ずつ返さないで、一気に返しなさいよ、201万」
斎はぷいと顔を背けて、そのまま足音荒く行ってしまった。私はその背中が倉庫入口のドアの向こうへ消えるまでじっと見ていた。
・・・30万?何でそんな金額なの。一体あいつは何してるの。
[ 18/32 ]
←|→
[目次]
[しおりを挟む]
[表紙へ]