2、好奇心は波紋を広げる。@



 翌日は、本当に昼過ぎまで寝ていた。


 7月の太陽は私のアパートの気温をぐんぐん上げていく。

 暑さで目を覚ました。

「・・・・もう、無理か・・・」

 仕方ない、起きよう・・・と布団の上で伸びをする。こうも熱くちゃ自分が汗臭くて嫌だ。

 桑谷さんの夢をみていたように思う。いい夢か悪い夢かは覚えてない。でも彼のゴツゴツした印象だけが余韻で残っていた。

 大きなあくびをして、洗面所で顔を洗って寝すぎで腫れた瞼を冷やす。

 ・・・そうだ、今日は銀行に行かなきゃ。

 窓をあけて風を通し、扇風機をつけた。

 部屋の鍵は替えたが、通帳置き場も勿論変えていて、念には念をと届け印も変えておいた。これであのバカ男が血迷ってこの部屋に泥棒に入っても大丈夫、と確信が出来るまでにしたかったのだ。

 本日、私の通帳には消えた貯金の一部が戻る。

 50万だけど、それでも返ってくる!拍手〜!そう言いながら自分で拍手した。

 やっぱり嬉しくて、鼻歌交じりで本日最初の食事を作った。

 あぐらをかいて床に座り、ご飯を食べながら行儀悪くお金の勘定をする。

 ちゃんと50万あったけど、新札だった。

 ・・・・・新札?銀行で降ろしたってこと?首をかしげる。

 あの男にそんな貯金があるとは思えない。昨日の小林さんも言っていたけど、出会ってから春先までの豪勢なデートやプレゼントは自分のお金だったんだろうが、それが尽きたから、倒れた私の貯金に手を出すという罪を犯したのだろうし。

 メーカーの社員のボーナスか何かかな?6月にボーナスは出ている筈。いやいや、でも。お洒落好きで金遣いの荒い斎がそんなお金を残しているとは思えないし、メーカーの社員のボーナスがそんなに高いとも思えない。それにもしボーナスだったとしても私に全額渡すか?あの男が?

「ないない、そんなはずない」

 わざわざ声に出して自分で打ち消した。

 うううーん・・・。


 昨日は眠気もあって首を突っ込むのはやめようと思ったけど、元気になるとやはり気になるこのお金の出所。

 眉間に皺をよせて考え込むけど、いずれにせよダークでヘビーな犯罪しか思いつかなかった。

 ・・・やーめた。どうせいくら考えたって想像の域を出ないのだ。

 私は簡単にシャワーを浴びて、外出の用意をして家を出る。

 ハーフパンツにサンダル、Tシャツという簡単な格好だった。帽子を被って化粧もしない。

 行く先は、銀行とスーパー。食材を買い込んで休みの日にご飯を作り溜めしておき、小分けにして冷凍するのだ。

 弁当作りにも便利だし、経済的。疲れて帰ってきても解凍すればすぐに食べれるってわけ。

 太陽は、紛れもなく夏だった。



 翌日から、私はゆすり女からスパイもどきに変わった。

 斎の行動は出来る限りつけた。百貨店にいる時間はそんなに悪さも出来ないだろうけど、その他の時間は違うはず。かと言って出勤日も違うし、勤務時間も違うので、プライベートを付回すのは難しい(そして、やりたくない。嫌だ、バカ野郎のあとつけんのなんて)。

 そこで、百貨店にいる間、出来る限り近くにいて、電話や人との会話を盗み聞きしようと企んだのだ。

 周りの目ざといパートのおば様達の目をごまかすのは至難の業だと判っていたので、逆に利用させて貰うことにした。

 曰く、「ガリフの守口店長が浮気をしているのではないかと小林さんに疑われた。私ではないが、もし浮気をしているのであれば女として許せない。ぜひ、突き止めたい」大作戦。

 あはははは、我ながら、何て姑息なナイスアイディア!

 これでデパ地下の洋菓子売り場のパート販売員はほとんど協力してくれて、今日は守口さんは出勤だとか、さっき休憩室で誰々と居ただとかの情報を皆がくれた。

 優しい小林部長の大事な娘さんの為と正義感を燃やす人もいれば、ただ単に面白いからと協力してくれる人もいる。

 何でも良かった。手足となってくれる人は、多いにこしたことがない。百貨店のいたるところに目を作り、私はヤツを監視する。


 1週間ほどのえせスパイ活動で判ったのは、斎の、百貨店側社員との交流の多さだった。

 休憩はほとんど誰かと一緒にいたし、『深刻そうに額をつき合わせて話していた』ことも多いらしい。

 百貨店側の社員さんは、リカー売り場もいれば子供服売り場、スポーツ用品店と、色んな売り場の人だった。デパ地下に存在するリカーや鮮魚や青果はともかく、5階の子供服やスポーツ用品店の社員とどうやって知り合ったのかは謎だ。

 百貨店に出入りしているメーカーが階違いの百貨店側の社員と近づけるキッカケなんてある?私は首を捻る。何年もここで勤務しているならともかく、斎だってその点では新参者だ。まだ2年やそこらでどうやってそれほどの知り合いを作れたのだろう。

 飲み会?

 それとも小林部長繋がり?

 ここが、くさいよね・・・と思った。

 ある程度情報が集まったと感じたので、また販売員のおば様達には、会ってる人に女性は居ないようでしたし、浮気の心配はなさそうですね、と終わりを宣言しておいた。

 小林さんには私から大丈夫よと言っておくから、と。

「楽しかったのに、もう終わるの?残念〜」

 隣の田中さんは笑った。

 私も笑顔で、そうですね、と言い、でもあまりやりすぎて守口さんにばれてしまうと小林さんが可哀想ですから、と返しておいた。私がちょこまか動いているのは斎にバレても構わないが、中身までバレてしまうと面倒臭い。ここらで一度やめないといけない、そう思ったのだった。

 カウンターの中で息をつく。接客中も、色んな情報を頭の中でまとめるのに忙しかった。

 そして休憩時間、店員食堂でコーヒーを前にしてまた考えていると、ポンと肩を叩かれた。

「お疲れ様」

 頭の上から声が降ってきて、振り向くと桑谷さんが居た。

 あら。

 私は座ったままで会釈する。彼は鮮魚の格好のままで、帽子だけを取って手にして立っていた。

「あ・・・お疲れ様です。って、初めて会いましたね、ここで」

 ヒョイと肩をすくめて、桑谷さんが前の席に座った。

「俺らは食事でもここは滅多に使わないからな。鮮魚の部屋の奥に机や椅子があるから、そこでご飯も食べるし」

へえー、そうなんだ。そんなことになってたんだ。成る程、確かにあんまり見ないな、鮮魚や青果売り場の人って。

「たまに来て、君を見つけてたんだけど、いつも誰かと一緒だったから声かけなかった」

 ・・・・ええ、最近スパイ活動してまして、なんて言わないけど、勿論。私はコーヒーに目を落とし曖昧に笑っう。

 桑谷さんは持ってきたコーヒーを一口飲んで、目を細めて私を見た。

「・・・深刻そうに話してた時が多かったな」

「そう、ですか?」

「ああ。君は、階段やバックヤードでも色んな売り場の人と話してるよな」

「・・・そうですかね」

「コソコソとして見えた」

「・・・・」

「一体、何してんだ?」

 私は黙ってコーヒーを飲む。簡単な言い方だったけれど、本気の質問だと声色で気がついた。

 そんなに頻繁に見られているとは思ってなかったし、気付いてもなかった。目立ったのだろうか。誰がみても判るほどに。

「・・・目立ってましたか?」

 そう聞くと、彼は軽く首を振った。

「いや、そんな不自然ではなかったと思うけど。俺は君と話したくていつも目で追ってたから気付いただけ」

 さらりと恥ずかしいことを言う。もう一口コーヒーを飲んで、その茶色い表面を見詰めた。

「・・・それは、すみません」

 桑谷さんは苦笑したようだった。目をやると、口の左端を上げている。

「君にとっちゃ、何でもないみたいで悔しかったな。俺はこの一週間、意識してそわそわしっ放しだったてのに・・・」

 そうか、部屋に送ってくれた日から今日まで話してなかったんだ。

 成り行きとは言え抱き合いまでした人、それから別の日にキスをした男性をここまで気にしなかったのはちゃんと理由があるんだけど、そんなこと彼は勿論知らない。

 ・・・うううーん・・・ここにも悩みのタネが。

 私が俯いて考えていると、前に座った男がボソっと呟いた。

「・・・・何だ、やっぱり俺の片思いかよ」

「―――――」


 片思い。

 この、ガタイの良い、やたらと男らしい男性が。

 180センチ近い身長の、固い岩のような体をしたこの男が。

 ・・・・片思い。

 頭でじっくり理解すると、笑いがこみ上げてきた。何か、それって可愛い、そう思って。私は口元を押さえて顔を上げる。彼はひょうきんな顔をしていた。

「らしくないかな」

「そうですね。ちょっと面白いです」

 あははは、と声を出して笑う。

 私の笑顔に彼も笑ったようだった。

 時計を見ると、もう時間だった。もう行きますね、と断って立ち上がると、小川さん、と呼ばれた。

「はい?」

「・・・・何か危ないことをしてるんなら、止めとけ」

 周りには聞こえないような、低い声だった。ハッとして桑谷さんを振り返る。

 椅子にもたれて座り、両手を防水エプロンのポケットに突っ込んだ格好で見上げる、真剣で探るような彼の視線にぶつかった。

「・・・・」

「次は、俺は君を守れないかもしれない」

 階段のことを言っているのだと判った。斎に押された私を助けてくれた、あの階段のことを。私の耳が彼の言葉に引っかかる。何かを知っているかのような言葉に、私の緊張した神経が反応した。

 私も彼をじっと見下ろした。視線が絡みあい、無言の世界が出来上がる。

 緊張で口の中が乾いた。

「・・・危ないことをしていると、思ってるんですか?」

「ああ」

 私はチラリと時計を見る。・・・ああ、行かなければ。もうタイムアウトだ。

 自分のエプロンのポケットからメモ用紙を取り出し、携帯の番号とアドレスを手早く書いて彼の前に置いた。

「時間がありません。・・・また、電話かメールを下さい」

 長い指で挟んで取って、彼はにっこりと笑った。

「喜んで」



 その夜、部屋でお風呂上りにビールを飲んで寛いでいたら、早速電話が掛かってきた。

 携帯を見ると知らない番号。

 少し迷ったが、今日の桑谷さんとの会話は覚えていたから通話ボタンを押した。

「――――はい」

『桑谷です。・・・小川さん?』

 慎重な低い声が流れてきて、そのハッキリした声に思わず携帯を耳から話した。

 すぐ傍で話してるのかと思った・・・ビックリ。

『もしもし?』

「あ、はい。小川です。お疲れ様です」

 急いでまた耳にひっつけた。外野にノイズを感じた。・・・外?

「桑谷さん、外ですか?」

 壁の時計を確かめる。夜の9時半過ぎ。

「今仕事終わったんですか?」

『うん、そう。明日はやっと休みなんだ。あー、疲れた。今週は人が足りなくて7連勤だった』

 ・・・それは大変お疲れでしょう。想像しただけでこっちも疲れた。

「大変でしたね」

 私が労うと、彼はハハハと笑った。

『大丈夫、君の声が聞けたし。会うことも出来て、今日はいい日だった』

「えーと・・・良かったですね」

 どう返していいかが判らずに平淡にそう言うと、またそんな、他人事みたいに・・・とぶつぶつ言うのが聞こえた。それから一息吸う音がして、静かな声が聞こえた。

『迷惑だったら言って欲しいんだけど・・・今からそっちに行ってもいい?』

 ドキン、と心臓が跳ねたのを感じた。

 ・・・何か、この懐かしい感じ・・・恋愛中、みたいな・・・。

 甘い期待がないわけではなかったが、それよりも彼が何を考えているのかが知りたかった。

昼間の食堂を思い出す。投げ出した足、だらりと椅子に寄りかかって、探るような威嚇するような視線で彼は私を見ていた。

 危ないことはするな、と言った。

 一体何を知っていて、何の牽制をしているのか。


 顔がほてってきたのが判ったけど、何てことない声で言った。


「嫌だって言ったら諦めます?」

『―――――次に乞うご期待』

 めげないってことだよね、それ。と思ったら可笑しかった。

「ふふふ・・・。どうぞ、狭い部屋ですけど」

『え、いいの?』

 驚いた声が飛び込んできた。自分で言っておいて、なぜ驚くのだ。私は何度か瞬きをした。・・・・この人、私を抱いたのと同じ男よね?繊細な問いかけや反応にビックリする。

「私はもうご飯も済ませたんですけど・・・。簡単でよかったら、何か作ります」

『・・・・』

 反応が面白くて笑いながら言うと、返答がなかった。

「桑谷さん?」

『・・・・いや、感動して。ありがとう。すぐ行きます』

 電話が切れて、私はそれをちょっと呆れて見つめた。感動って・・・何を大げさな。

 ビールを飲み干して台所に向かった。

 食事の用意を始めなきゃ。人のために食事の準備をすることにうきうきしているのを、自分では気付かないふりをした。

 約40分後、チャイムが鳴る。

 心臓もドクンとなって、私は玄関を振り返る。

 深呼吸をゆっくりとして、静かにドアまで歩いて行った。

 覗き穴で確認して、チェーンと鍵を開る。

「お疲れ様です。どうぞ」

 今日もシンプルでラフな格好の桑谷さんは、眩しそうに私を見て、止まったままだった。

「入らないんですか?」

 私が首を傾げてそう聞くと、彼はハッとしたように動きだす。

「あ、入る入る。ごめん、驚いた」

「え?」

 玄関から歩いて居間へ行く。私の裸足の足が床に引っ付いてぺたぺたと音を立てた。後ろからついて来ながら、桑谷さんがぼそっと言う。

「美人だと思ってたけど、化粧落とすと可愛らしくなるんだなあ〜と思って」

「・・・それは、どうも」

 本当にさらりと褒め言葉を口にする男だ。ここ数年暴言しか受けてなくて自尊心は萎えまくりだったから、私は嬉しいと感じる以前に恥ずかしかった。

 座っててくださいと狭い居間に案内して、台所で作ったご飯を温める。

 桑谷さんは珍しげにきょろきょろ見回してから、台所の私に聞いた。

「・・・ここ、何年住んでるの?」

「4年ですかね。・・・うん、4年です」

「その割には・・・・新しい雰囲気が」

 私は驚いて、チラリと居間の桑谷さんを見る。・・・するどい。斎の思いでがある家具をほとんど捨ててから買い揃えたとりあえずの家具は、確かに部屋に馴染んでいるとまでは言えなかった。




[ 16/32 ]


[目次]
[しおりを挟む]
[表紙へ]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -