1、斎の異変。@


 
 流石に、夕方には体がきつかった。

 重たい体をカウンターに預けて少しの間目を閉じる。・・・・私ったら、三十路なんだってーの。考えたら睡眠時間は3時間くらいだし、早朝部屋に戻ってからは家事をして、ご飯をたべてお風呂に入っていたので、結局寝てない。

 光に満ち溢れた部屋を見ていたら、その汚さに気がついてしまったのが運のつきだった。気になって仕方ないからと掃除を始めて、そのまま家事をしてしまったのだった。

 そして昼から出勤して―――――夕方の4時半現在、眠気で死にそうになっている。

 ・・・・ね、眠い。本当、もうすんごーく眠たい・・・。

 うおおおお〜・・・・無理がきかないってことなんだわ、年を取るって。まだ20代の頃のように考えていたら、きっとすぐ倒れるんだな。

 しかも、売り場は暇だった。

 眠気も起きないくらいに忙しければいいんだけど・・・まあ、夏場にチョコレート菓子は、確かに選ばれないけどさ・・・。

 斜め前の斎が店長をしているクッキー専門店は、今日も大入りである。

 それを羨ましく恨めしく見詰めていた。

 ・・・・何であのバカ男は仕事もうまくいくのよ・・・畜生。

 出勤した時に一度目があったが、どちらも同じタイミングで目を逸らした。今朝になってもまだ「付き合おうぜ」などと言われたら、今度こそ足蹴りしてやろうと考えていたけれど、言われなかった。

 やはり本気なんかではなかったのだろう。

 あいつの魂胆がまだ判らない。うーん・・・何かやつの友達とか、もし周りが動いてて面倒臭いことになるようだったら、私はさっさと百貨店から逃げた方がいいのかもしれない、かも。
 
 でもこれから繁忙期だしな〜・・・雇ってくれた上に保険までつけてくれたこの会社を見捨てるのはちょっと出来ない。

 夏場の百貨店は戦場だと聞いている。あの人の良い店長を見捨てる気にはどうしてもならなかった。

 私は一人で肩をすくめる。

 もういいや、とにかく無視しよう。今どうこう考えたってどうしようもないんだし。それよりもこの眠気をどうにかしないと・・・。

 レジを打とうとするとすぐ前にマーケットが見渡せる。つい無意識に鮮魚売り場に目をこらして長身の影を探していた。

 ・・・聞いてなかったけど、今日は桑谷さん出勤じゃないのかな。

 あの人、いくつなんだろう。

 昨日はすぐ帰るつもりだったし、興味も関心もなかったから年齢や名前も聞いていない。そういえば私も名乗ってない。あっちも私の年齢も知らないはずだ。

 お互いに職場と苗字しか知らない。

 なのに体で結びつくことは出来るのだ。大人って、便利なようで不便・・・。なんか、文字通り不純だわ、と思って小さく苦笑する。

 彼のプライバシーは殆ど何も知らないと言っていいほどなのに、体の隅々はもう知ってしまっているのだ。引き締まった太ももから足も、少し毛の生えたおへそ周りも、背中からわき腹にかけてほくろが3つ連続であるのも。

 きゃー、私ったら。寝不足でぼーっとした頭を手のひらでパシッと叩いた。

 次に顔を合せるとき、どんな顔をするだろう。私はどう反応するんだろう。


 ぼーっと鮮魚売り場を眺めていたら、すみません、と小さな声が聞こえた。

 私は急いで笑顔を貼り付けて振り返る。

「いらっしゃいませ―――――」

 お待たせしました、と言いかけて、言葉が止まってしまった。

 カウンターの隅に遠慮深げに立っているのは、何と小林部長の娘さんだった。

 胸元につけている百貨店側の社員さんが使用している名札にも、小林と文字が見える。

「はい?」

 買い物に来たのなら堂々とカウンターの前に立つだろうから、何か私用で来たのかと、私もカウンターの前に回る。

「・・・あの、急にすみません、小川さんですか?」

 チラチラと『ガリフ』の方へ目線を送りながら、彼女が言った。倉庫にでも行ったのか斎の姿は見えなかった。どうやら彼から隠れているらしく、小林さんはうちの高い看板の影に隠れるように立っている。

「はい、小川ですが」

「私・・・小林といいます」

「存じてます。何か御用ですか?」

 しばらく不安げな、迷っているような表情でこちらを見ていたが、時計をチラリとみて早口に言った。

「・・・あの、お話がしたいと思ってまして。休憩の時にでもお時間いただけないでしょうか?」

 へ?と思った。・・・・・話。うーん、私は、ないんですけど。

 小柄な彼女を見下ろすと、可愛い顔を歪ませていた。

 ・・・・ちょっと、ここで泣かないでよ。

 周りに視線を送ると、小林さんに気付いた周囲の店の販売員が好奇心丸出しの顔でこっちを見ていた。

 どのパートのおばさんの顔にも修羅場を期待したような笑顔が浮かんでいる。

 くそ。もうなかったことには出来そうにないじゃないの。

 私はこっそりとため息をつくと、低い声で答えた。

「・・・・構いませんよ。あと15分ほどで出れますけど」

 パッと顔を上げて、彼女は言った。

「ありがとうございます。じゃあ、私もその頃に取るんで、申し訳ないですけど、外のカフェに行きませんか?」

 了解しました、と言うと、さっと会釈をして逃げるように売り場を離れていった。

 ・・・何なのよ、一体。

「ねえねえ、部長の娘さんでしょ?何て何て?」

 早速右となりの店のパートさん、田中さんが話しかけてくる。瞳がきらきらと輝いていた。

 私は苦笑をして答えた。

「・・・話がしたいとか。何でしょうね」

「そりゃああんた!守口店長の事に決まってるじゃない!元彼だったってのは、みんな知ってるんだから〜」

 彼女は手で肩を打つ勢いで言う。私は少しばかり距離をあけた。

「だって、過去のことですよ。現在の彼女が何を心配することがあるんですか?」

「それは聞いてみたいと判らないけど・・色々あるんじゃあないの?」

 すごーく嬉しそうだ。今日は暇だし、余計に食いつきがいいのだろう。私は少し考えて、ねえねえ田中さん、と声を潜めた。

「守口さんには知られたくないようだったので、この事、秘密にしといて貰えます?」

 パートのおばさまは更に目を輝かせてうんうんと頷いた。任せておいて!誰にもしゃべらないから!と。

 私はよし、と心の中で頷く。これで確実に斎にもこの話が伝わるだろう。田中さんが他の人に話さないなんて絶対ない。頼むから、そこの期待は裏切らないでね、と隣の店をちらりと見た。

 あの子がどれだけ本気かは知らないが、斎と結婚するのだけは本当お勧めしない。人間そう簡単に性格は変わらないし、斎は根本的に女たらしで詐欺師だ。唯一の取り柄とすれば、仕事をすることは嫌いではないってことだけ。

 小林部長の娘さんは見るからに頼りなさげだ。今日話してみて見極めればいいだろうが、とにかく、私がここにいる間はやつらの恋愛は邪魔しまくろうと決めていた。

 そのためにはひと悶着も二悶着もあっていいのだ。恋人が元カノを呼び出した、その事実は是非斎にも知っておいて貰いたい。

 田中さんの興奮を眺めていたら、竹中さんが休憩から戻ってきた。売れてないので倉庫の品だしもないし、約束したからと休憩に行かせて貰う。

 百貨店の外にいくので、名札を外してポケットに入れた。背中に田中さんの視線を感じながら売り場を後にする。

 徒歩一分のカフェでは、既に小林さんが待っていた。

 立ち上がって迎えてくれる。緊張しているようで、小さな顔は強張っていた。


 私はコーヒーだけを注文して小さなカフェテーブルを挟んで座った。

「お待たせしました」

 微笑むと、いえ、来たばかりですので、と首を振る。だけど何も言い出さないので、私から口を開いた。

「30分しかないし、お話があるならどうぞ。斎のことだとは思うけど」

 名前を出すと、小さな肩をぴくりと震わせた。

「・・・あの・・・小川さんは、以前に守口さんと付き合ってらっしゃったとか・・」

 コーヒーが来て、私は礼を言って受け取り、早速一口飲む。こう眠くっちゃ、集中出来ないわ。

「そう」

「あの・・・もしかして、まだお付き合い・・・してるんでしょうか・・」

「は?」

 思わず顔を上げたら、彼女は顔を赤くしてうつむいた。

「・・・そう噂を聞いて・・・」

 うーん・・・・。あんなに険悪な雰囲気を醸し出しているのに、やっぱりその手の噂は流れるのね。ま、その方がみんなは面白いもんね。

 私は少し大げさくらいに、顔の前で手をひらひらと振る。

「ないない。きっぱり、ない」

 それを聞いて彼女はホッとするのかと思ったら、まだ冴えない顔をしていた。

「・・・違うんですか。じゃあ、何でだろう・・・」

 小さな声で呟くのに、私はさてどうしようか、と考える。

 まだ相手をするべきか・・・。だけどあんまり時間もないしなー。小林さんは俯いて、固まっている。それを見ていたら何だか可哀想になってきた。

 ま、乗りかかった船だし、折角向こうから接触してくれたんだし、そう思って、私は姿勢を正して聞く体勢になる。

「何が気になっているの?」

「・・・・」

 彼女は俯いて、無言で固まっている。

 私はコーヒーを飲んでその姿を眺めた。・・・だーめだ。殻の中に閉じこもってしまっている。

「あのー、化粧も直したいし、話がそれで終わりなら・・・」

 言い出すと、ぱっと顔を上げた。

「守口さん、変なんです」

「え?」

 ・・・・あいつは元々おかしいが。とは、口には出さなかった。そういう意味じゃないんだろうし。

「最近、よそよそしくなったし、あまり会ってくれなくなったし、それに・・」

 一気に話だそうとする彼女を、ちょっと待ってと止めた。

「あのね、私はもう斎には興味がないの。だから申し訳ないけれど、あなたの恋愛相談には乗れないわ。忠告は出来るけど」

 ・・・忠告?と小林さんは小さく呟いて、乗り出していた身を椅子に戻す。

 私は息を吸い込んで、ゆっくりと言った。

「実は、私たちが終わったのはこの5月のことなの。他の人には春先だと言ってあるんだけど」

 彼女が目を見開いた。意味がわかったのだろう。

「百貨店の人から、あなた達は去年の冬から付き合っていると聞いた。確かに、去年の冬から私とは会う回数がぐんと減ったの。要するにあの男は浮気をしてたのよねあなたと」

「・・・・そんな。だって、守口さんは彼女は居ないって」

 当たり前だけど、ショックを受けたのだろう。元々悪かった彼女の顔色が更に悪化した。

「ええ、そう言ったでしょうね。彼にとっては私は大事ではなかったようよ。むかつく事に、最後に私に会った夜に、あの男は私のことを家政婦呼ばわりしたんだから。2年5ヶ月付き合った男からそう呼ばれて、怒りのあまり気を失うかと思ったわ」

 実際は、喧嘩した挙句に睡眠薬をパクッて飲んで入院したおバカな私なんだけど、なんて勿論言わない。

「か・・・家政婦!?」

「そう。でも無理ないかもね。・・・あなたいくつ?若くてぴちぴちの女の子と浮気していて、30歳の女は魅力がなかったのよね、きっと」

 比べるまでもない。目の前の清楚を絵にかいたような女の子を見ていたら、私だって彼女を選ぶ。

 自嘲気味にそう笑うと、そんなことないです!小川さんはお綺麗です!と声を上げたから驚いた。

 怒ってるようだった。

 ・・・真面目な子だ。

「だから、私にかかっていた魔法は解けた。もう全く、全然、あの男には好意の感情はないの。・・・でも、あなたにはそんなことないんでしょう?大切にしてもらってるのよね?」

 身を乗り出して露骨にさぐりを入れると、また顔を曇らせた。――――――――まさか、あの悪魔はこの子にまで辛い思いをさせてんじゃないだろうな!?数々の暴言を思い出して、私は眉間に皺を寄せる。

 小林さんは考えるような顔をしてぽつりぽつりと話出した。

「・・・・今のお話で、少し納得したというか・・。たまに、冷たい人だと感じることがあります。人に対しての言葉がとてもきつかったりとか・・」

「口は悪いわよ、かなり。機嫌が悪い時は私も散々暴言を吐かれたわ」

 そうですか・・・とまた下を向いた。

「様子が変なんです。何かをしてるみたいです。疲れてて、不機嫌で」

 疲れていて不機嫌。・・・うーん、それは、私が金を返せと言ったからではないだろうか・・・と思った。

「・・・それの原因は、私にあるかも」

「え?」

 つい零してしまった。だけども彼女には言いにくい。あいつは悪人だが、この話をしたらこの真面目な子はきっと自分を責めるのだろうし。・・・・いや、でも。ううーん・・。

 私が迷ってるようなのを彼女はキッと見つめて、大丈夫ですから言ってください、と言った。

「・・・・あいつに何かプレゼント貰った、とかない?結構高価なものとかを」

 私はため息をついて口を開く。自分で振った話だし、仕方ない。彼女は可愛らしく小首を傾げる。

「・・・・指輪も・・・デートも、豪華なのを・・・してくれました。春頃、そういうことはなくなったんですけど、先月くらいから、また会うと派手にお金を使って・・・」

 言いつつ、ハッとしたようで、まさか、と口元を押さえた。

「・・・・そのお金、たぶん私の貯金なの」

「!!」

 目が大きく見開かれる。私はその瞬間、かなり彼女に同情した。マトモな神経の持ち主ならば、二股をかけられたあげくに片方の女の金を使って自分にプレゼントして貰っても嬉しくはないだろう。

 私の目の前にいるのは、その点、かなり常識的に育てられた娘さんのようだった。

「まあ、盗られた私にも落ち度はあるんだけど。だけどここに仕事に来てみたらあの男がいたから、顔を合わせた時に私のお金を返せと責めたのよ。・・・つい、最近」

 あらゆることを省いて簡潔に話した。ヤツのせいで2回も事故死しそうになったことなど言えないし、私が暴言を吐きまくりだったことも秘密だ。

 彼女はやはりかなりのショックを受けたようだった。しばらく無言だったけど、そのうちに顔を上げてそれっていくらですか、と聞く。

「あなたには言えないわ。あなたが悪いのではないもの」

 私は首を振ってキッパリと言う。この子が責任を感じることではない。


 時計を見ると、もう時間だった。

「ごめんなさい、もうリミットだわ」

 私が立ち上がると、彼女も立ち上がって頭を下げた。

「・・・色々ありがとうございました。教えていただいて」

 その暗い顔に胸が痛む。・・・ああ、ちょっと可哀想なことをしちゃったかも。あいつは確かに悪魔だが、この子は本当にヤツに惚れているようだ。その事実を他人から知らされることほど情けないことはないに違いない。

「・・・・人間は、簡単に性格は変わらないと思うわ。もしあなたがあいつを本当に好きなら・・・これから、傷つくことがあるかもしれないってことだけは、覚えていて欲しいの。少なくとも、守口は私には全然いい人間じゃなかった」

 彼女はまっすぐに私をみて、はいと頷いた。

 この娘さんは周りの人にちゃんと愛されて育ったんだろう。その瞳に強さが見えた。

 ・・・・大丈夫かもしれない。対処しそうだ、自分で。私は少し安心してその場を離れる。


 ミッションB彼女に不信感を植え付ける。


 少しばかり胸は痛んだけれど、とりあえず、クリア。




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