3、不思議な男。@
出たとこで待ってるからと言い残して、さっさと彼は行ってしまった。
私はロッカーで機械的に着替えながら、今日起こったことを考える。
職場の倉庫で死にそうになって、その原因を作った男に迫られた。簡単に言うとこうなるわよね。
・・・・・あのバカは、何考えてんだろう・・・。
懐柔策は諦めたはずではなかったのだろうか。それにしたって殺そうとしている相手に言い寄るメリットって、何?もう一度付き合ったらお金のこともチャラにして貰える自信があるってこと?
・・・・それに。
「別に、好きだとかいわれてないしな・・・」
斎が私のことを愛情を持っているとは思えない。以前は少しはあったかもしれないが、あのゴタゴタがあった後に私がしてきたことを考えたら、恨みこそすれ愛情を持つなんて有り得ないだろう。
部長の娘さんのことも話を逸らしただけで、やっぱり付き合ってるんだろうし。もし私があそこでうんと言ったら、ヤツはどうするつもりだった?
キスをして。
抱きしめて。
そしてまた――――――――――命を狙う。
落ちてきたダンボールを思い出して身震いした。
いやいや!病院送りは一回で十分よ!!偶然であんな頑丈な棚が揺れるわけがない。やつがあそこにいたタイミング、最初の憎悪に満ちたあの瞳が全てを物語っている。
・・・・・畜生、あの悪魔。
ロッカールームの鏡でざっと姿を点検する。埃のついていない私服に着替えて、髪の毛だけをパッと整えた。
・・・・化粧、直す?
鏡の中の私はうんざりした顔をしていた。
・・・ってか、行かなきゃいけないんだろうか。ご飯。
時計を見るともう10時で、死にかけたし疲れてるしで、知らない男と食べに行くのは面倒臭かった。だって、行ったとして一体何話すのよ。
・・・ううーん・・・。ロッカールームを出ながらも考えた。
だけど、だけど。
とにかく、ショックでマヒしていたけれど、お腹が空いていることは事実だし。何と言っても命の恩人だし(ある意味今日だって助けて貰ったわけで)。どっちにしろご飯は食べるんだから、いっか。
ため息をついて、よし、と呟く。
時間も遅いことだし、さっさと食べてお礼を言って帰ろう。今日は財布にもちゃんとお金は入ってるし。
結論が出ると、近いトイレによって簡単に化粧を直した。5分もかからなかった。
店員入口を出ると、少し離れたところで壁にもたれていた大きな人影がゆっくりとこちらに歩いてきた。
私は足を止めて彼をじっと見詰める。
・・・大きな人だ。彼は両手をポケットに突っ込んでいて、鞄などは持っていないようだった。
彼が近づくのを待って、声をかける。
「・・・お待たせしました」
照明の下でにっこり笑って、桑谷さんが言う。
「何食べる?」
こんなに男っぽい荒削りの顔で、子供みたいな無邪気な笑顔が出来るんだなあ、と私はぼんやり見詰める。笑うといきなり印象が変わった。
彼が首を傾げたので、返答を待っているのだと気がついて返事をする。
「ビールが飲めれば、どこでも」
彼は私の答えに声を出して笑って先に歩き出した。
時間も遅いからと一番近い居酒屋に入った。創作居酒屋と書いてある謎の店。創作料理を出しているのか、店内が創作なのかと突っ込みたいわ、とカウンターに並んで座ったあとも店の中を見回していた。
店は半分ほどの入りだった。ほぼ初対面の人とテーブルに向かい合って座るのにはちょっと困惑しただろうから、カウンターを選んでくれたのが嬉しかった。
生ぬるい外の空気から冷やされた店内に入るとホッとする。
さっきかいた冷や汗とは別に、外の暑い空気は私の体に汗をかかせていた。
「とりあえず、生」
「二つ」
桑谷さんが注文した横からピースを店員にして見せて、私はおしぼりで両手を拭いた。とにかく、とすぐに出された生ビールで乾杯をする。
「―――――――あー・・・美味い」
ぐぐっと飲んで一息ついた桑谷さんが、目を閉じて嬉しそうにした。私もそれに倣う。
喉を流れ落ちる炭酸にうっとりとした。この刺激が欲しくて、想像した時から待っていたのだ。
ああ・・・仕事が終わったあとの一杯のために生きてる気がする・・・。ストレスをあの悪魔から受けているここ最近は、特に。
ふう、と息をついて再度ジョッキを傾けた。食べ物、適当に頼んでいい?と彼が聞くのに、目もやらずに飲みながら頷く。
「・・・いい飲みっぷりだな」
彼の低い声は笑いを含んでいた。
「えーと・・・桑谷さん、でしたよね」
「おう」
椅子の上で体ごと隣を向いて、ぺこりと頭を下げる。
「先日も、先ほども、ナイスヘルプでした。ありがとうございます」
彼はビールを傾けながらヒラヒラと片手を振った。
「階段は、偶然居ただけだ。急に降ってきたからビックリしたけど、間に合って良かった」
「本当に。もう少しで事故死だった」
呟いて、つきだしに箸をつける。
チラリとこちらを見て、桑谷さんが言った。
「・・・・さっき、倉庫で守口に口説かれてるように見えたけど。でも、君は何か物騒なこと言ってなかったか?殺されかけた、とか何とか」
箸を止めてしまった。一瞬間があいたけど、また黙々と口に運ぶ。
まだ横から見詰める視線が痛かったので、私は料理を見たままで言った。
「ガリフの守口さんは私の元彼です。ちょっとふざけてたんでしょう。私をからかって――――」
「殺されかけた云々は?」
「・・・言いましたっけ?」
隣の男を振り返った。私はかなり無表情だったと思う。しばらく黙って見ていたけど、ヒョイと肩をすくめて、桑谷さんも食べ始めた。
「・・・謎の女だな」
「あなたも、私にとっては謎ですよ。どうしてご飯に誘って下さったんですか?」
横目で隣の男性を盗み見る。すぐには返事を寄越さずに、彼は口元を緩めた。
「お待たせしました〜!」
元気な店員さんの声で、そこにあった緊張した空気が一瞬破られる。
揚げ出し豆腐や豚平焼きなどが目の前に並び、しばらく二人とも料理に集中した。お腹が空いていたのだ。丁度空になったビールのお代わりを頼んだら、俺も、と横からもジョッキが差し出される。
「・・・・気になった女性をご飯に誘ったってだけ」
ついでに質問の返答も来た。
「そうですか」
何て一般的な返事。私は無表情で相槌をうつ。肩透かしを食わされた気分だった。彼は若干苦笑したらしい。ふ、という声が漏れたのを聞いた。
「他に理由がいる?小川さんは、チョコレート屋だよな、鮮魚から見えるから、存在は知ってたんだ。階段から振ってきた時に、ああ、あの子かと思った」
ああ、そうか。私は頷く。うちの店からも鮮魚売り場はしっかりと見える。相手からも見えていて当然だよね、そりゃ。
彼はビールジョッキを傾けながら続けた。
「前から、笑ってる時と何か考えている時との差が激しいなあ、と思ってた」
「え?」
ちょっと意表をつかれて、私は隣を振り返る。笑顔と考えてる時の差?そんなに難しい顔してたかな?ってか、結構な距離がある鮮魚から見て判るほどに百面相をしてたのだろうか。
「・・・お客様にも判るほどだったら、販売員失格ですね」
うう〜・・・と小さく唸る私を見て、くっくっく、と彼は笑う。そんなことねーだろ、人間なんだし、と面白そうにコメントをしてからビールを飲んだ。
その横顔を眺める。
弧を描いたしっかりした眉の下には冷静な光をたたえた一重の目。鼻筋や顎のラインがゴツゴツしていて、非常に男っぽい感じがする。
ブサイクとも、美男子とも言えるような、独特な顔をしていた。濃い、というか。この顔は、好きになる人と嫌いになる人がハッキリと分かれるだろうなあと思うような作りだ。
じーっと見ていたら、彼は表情も変えずにさらりと言った。
「そんなに見詰められると照れるんだけど」
「あ、すみません」
私は視線を彼から外して自分の取り皿の中に集中する。アルコールが体に回りだして、段々リラックスしてきた。
「あのー、桑谷さんは、百貨店の社員さんですよね?」
「うん、そう」
食事を口に運びながら、鮮魚売り場や百貨店について教えて貰う。自分の知らない世界のことを聞くのは面白かった。
桑谷さんは百貨店の社員さんとしては中堅で、以前は4階の靴売り場に居たらしいが、2年ごとの人事異動で地下に配属が変わったこと、そこでももう2年目で、やっと魚に関して知識が増えてきたことなどを、面白おかしく話してくれた。
彼は表情もころころ変えるし、話の運び方がとてもうまかった。私はアルコール抜きでもきっと楽しめたはずだ。今ではすっかりリラックスして、この夜の食事を楽しんでいた。
「百貨店の社員さんは、2年毎に移動なんですか?」
「人によるけど・・・まあ、大体そんなもんかな。色んな場所で経験を積めってことだな」
「そしたら、もう桑谷さんも移動ですか?」
彼がにやりと笑ってこっちを見た。
「せっかく小川さんに近づけたのに、今移動はいやだなー」
「・・・移動先にも女性はいますよ、たくさん」
「おや、そう返す?」
桑谷さんは苦笑して、指で自分の額で弾いた。その動作が可愛くて私はつい笑ってしまう。更にビールのお代わりをして、空のジョッキをカウンターにのせた。
彼は私以上に飲んでいけれど、殆ど影響がないように見えた。元々アルコールに強いのかもしれない。今も、平気な顔してデパ地下の七不思議に関して話している。
「ありがとうございました〜」
声が聞こえて、他の客が帰宅するためにドアが開く。その音でハッとして、私は目で時計を探した。
カウンターの中の壁に掛けてある時計では、もう11時を20分も回っていた。
「あら、もうこんな時間」
・・・終電は何時まであるんだっけ、と一瞬現実感が戻る。飲み干してしまって帰らないと。明日は遅番だけど、仕事があるし―――――――――
その様子を見ていたらしい桑谷さんが、ジョッキを手で揺らしながら言った。
「―――――ところで、小川さん」
「はい?」
私はジョッキの淵に口をつけたまま隣を見た。
「好きな男はいる?」
・・・あら。
私はじっと相手から視線は外さないままで、ビールを飲み干してカウンターに置いた。
口の中に溜めたビールを喉を鳴らして飲み込む。苦さに一瞬眉を寄せたけど、そのままで口を開いた。
「・・・答えなきゃいけませんか」
ビールを飲み込む私の喉元を見ていたらしい桑谷さんが、目線を合せて二カッと笑った。
「それ知らなきゃ、困るんだよな。――――――――俺、君に手を出すつもりだからさ」
驚いた。
何て直球の男なんだろう。
しばらく間を開けてから、私はボソッと聞き返す。
「・・・付き合っている人がいるかは聞かないんですか?」
彼の子供のような豪快な笑顔が、目をすっと細めた微笑に変わった。途端に雰囲気が変わって、私はそれを驚いて眺める。色々と奥の深そうな男性だ―――――――――――
「そんなのカンケーねえもん。例え彼氏がいても、そいつの事を君が好きかどうかが問題なんだ」
ふうん、成る程ね。私は彼から目を外して頷いた。‘好きな男’がいないんなら彼氏がいても関係はない、とは正論だな。多少乱暴ではあるけど・・・。
手を出したい、とは・・・。紛れもなく、欲望の対象となっているってこと。こんな感じ久しぶりだ。私を女として認めてくれる男と話すのは。
―――――・・・・でも。
話すのは気が進まない。だけど、彼はこんなにも直球で勝負をかけているのだ。だったら私だってちゃんと相手をしなきゃいけないわよね。
ため息を飲み込んで、ゆっくりと口を開く。
「どちらもいませんが、私はおすすめしません」
あん?と声をあげて変な顔をした隣の男をチラリと見る。
生ビールも中ジョッキで4杯飲んでるし・・・別に、この人にドン引きされたってどうということもないし・・・。
酔いにも勢いを借りて、努めてさらりと言った。
「私、不感症かもしれませんから」
彼は噴出しはしなかったけど、多少むせた。
ごほごほと咳き込む男から目を背ける。。
まさか、そんな答えが返ってくるとは思わなかったのだろう。
「こほっ・・・じ、自分でそう思ってるってこと?」
私はお箸をそろえて箸置きに置く。おしぼりで手を拭きながら、小さく話した。
「・・・感じなくて、仕方なく演技をして、それが苦痛で、半年以上はご無沙汰で。不感症なんだろうなあ、と思ってるんです」
「相手は一人?」
「何て事を」
ジロリと睨むと、彼は簡単に降参のポーズで両手を上げた。
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