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ぺたぺたと足音を立てながら私達は3人でバックヤードを走る。食品のバックヤードは床も濡れていて冷たく非常に不快だった。畜生、スニーカーが欲しい!下手な走り方をすると足をくじきそうだし気をつけなきゃ。
「あった!あそこです!」
関係者以外立ち入り禁止、と書かれた部屋の前で立ち止まる。正しくは関係者ではないが、今現在最もこの部屋を必要としているのは私達だろうから、許してね、とプレートを拝む。運動不足の体にさっきからの短距離走は厳しく、中々上がった息が元に戻らない。
くっそう・・・歳だ!!
中年の店員のおじさんががちゃがちゃと鍵穴に突っ込むけど、手が震えてうまくいかないらしい。その時、店内の方を覗き込んでいた若い兄ちゃんの方が、小さく、あっ!と叫んだ。
「来ます来ます!もう一人犯人がこっちに来ます!」
かなり焦った顔で手をバタバタさせて逃げろ、と伝えた。
ぎゃあ!
きっと警報もなったしで電機室のチェックにくるんだろう。それともさっき縛ったヤツが自力で脱出して私達のことをちくったか!?色んな考えが頭の中を駆け巡ったけど、もう既に私からも相手の姿が見えていた。仕方なく鍵穴から鍵を抜き取り、そこらへんの物陰に3人とも身を縮こまらせて隠れる。
狭い通路には大量の商品を積んだ台車が転がっている。パッと見には判らなくても、近づけば隠れていることなどすぐにバレるだろう。大体呼吸ですらまだ整ってないのだ。
冷や汗がこめかみを伝う。どうする・・・どうする、私?忙しく周囲を見回すと、私が隠れている台車の荷物は発泡スチロールに入ったお魚さんだと判った。この生臭い匂いは、覚えがある。
・・・魚。ってことは、勿論、氷が入っているはず。氷でもぶっかけてやろうか?カツカツと足音が響き、近づいてくるのが判った。私よりも犯人に近いところに隠れている兄ちゃんは大丈夫だろうか。どうにかしないと――――――
ガタン!と音が聞こえた。
「あ、お前っ・・・!」
スキー帽を被った男のくぐもった声がして、私はパッと立ち上がる。兄ちゃんの方が見付かったらしい。狭い廊下でお互いににらみ合って、どちらも固まったように動かないでいる。ただし、犯人の方にはナイフが。多分、拳銃もどこかに持っているんだろう。
しかし、ラッキーなことに、ヤツは私には気付いてなかった。そして背中を向けていた。そんなわけで、私は発泡スチロールの蓋を乱暴に払って、中の魚をひっつかみ―――――――
にゅるっとした感触に、全身に悪寒が走る。うひゃああ〜!何よ、これ!!
「きゃあ!」
思わず叫んでしまったから犯人が振り向いた。私は焦って、もう何でもいいやと手に掴んだものを男の顔目掛けて振り回す。
べちゃ!
何とも気色の悪い音を立てて男の両目にクリーンヒットしたのは蛸だった。どうやら私は蛸の足を引っつかんだらしい。
唯一出ている目が蛸でふさがれて、犯人の男は両手から武器を落として顔を庇う。その隙に、今度は店員さんの方がスチール板の宣伝板を男の頭に勢いよく振り下ろした。
ガン!
今度はわかり易い音がして、スキー帽の男は崩れ落ちる。
「・・・やった・・・」
荒い呼吸のままで、3人でそれを呆然と見詰めていた。はあはあと息をついて、何となく顔を見合わせる。また兄ちゃんがピースサインを出したのを見て、つい笑ってしまった。
「よし、こいつも縛りましょう」
私が言って、兄ちゃんと再び男を縛る。これで、あと一人じゃん!素晴らしい、私達。急な結成の割には呼吸のあった3人組だわ。
その間に電気室の鍵を開けることに成功した店員のおじさんが、開きました!と叫んだ。3人で突入する。
「ブレーカーブレーカー、どれ?・・・多くて名前もないから判らない」
私がイライラと呟くと、店員さんの方が嬉しそうに言う。
「あ!シャッターって書いてますよ、これ!」
え!?私と兄ちゃんが駆け寄ると、確かにシャッターの文字が。上げますか?上げましょう!とわいわい言いながら、そのスイッチを上げた。
すると小さなショッピングモールの中に、シャッターのガラガラ言う音が響いた。
「・・・開いてる感じですか?」
私はドアから外を見て聞く。すると店員のおじさんが嬉しそうに頷いた。
「大丈夫です!開いてますよ!いつもの音です」
よっしゃー!!3人で、とりあえずのハイタッチ。でもこれで終わりじゃないんだった。まだ運命共同体となってしまった人質の皆さんが残っている。
ここまで来たんだ、この冷や汗は仕事終わりの爽やかな汗に変えてやる。
店に向かって走り出すと、確かにさっきはシャッターで閉まっていたドアの所が開いていて、まだ明るい外の光が入ってきていた。私は前を走るおじさんの服を掴んで言った。
「ここから外に出て、警察に連絡頼みます!今までの説明をお願いします」
え?とおじさんは立ち止まって振り返った。
「だって・・・大丈夫ですか?犯人まだいるんですよ。それだったら3人で一緒に」
今度は兄ちゃんが言う。
「他の人たちが逃げられるようにしたいんですが、とにかく警察には誰かが話さないと」
一瞬詰まったけど、おじさんは素早く頷いた。そして二人に言う。
「無茶は止めて下さいね。自分達も助からないと意味がないんですからね!」
はーい、と軽く手をあげた。人生には、ひょうきんさも必要である。
おじさんがドアを乱暴に開けて外へ走って出て行くのを見ながら、私達はまたバックヤードを走った。とりあえず、これで一人は逃げ出せたし、警察とも連携が取れるだろう。足の裏の気持ち悪さにうんざりしながら走っていくと、事務所の前ではまだ3人の内の一人の男が転がっていた。失神から目覚めてないらしい。・・・桃缶、結構な威力なんだな。死んでたらどうしよう・・・。
店内がどうなっているか判らないから、慎重に身を屈めた。そしてゆっくりと通用門を開けて棚に身を隠しながら進んでいく。
そお〜っと頭を出して吹き抜けの広場を見てみたら、その広場の真ん中で、最後一人残った犯人が、女性店員の頭に拳銃を突きつけた状態で突っ立っていた。
店員さんは微かに鳴き声を上げている。その前には入れられていた店舗から出て、どうすればいいのか判らないまま固まって立っている人質ご一行様。
「・・・・ありゃあ〜・・・」
私は小さく呟いてしゃがむ。同じ光景を見た兄ちゃんも、うわ〜と言いながら座り込んだ。そしてまだ荒い息を整えている。
「・・・ヤバイ感じですよね。あの女性を助けないと」
「ううーん。こうなったのも私達が暴れたから、でしょうしね・・・。困った」
どうしたらいいのだ。身代わりになるなんて勿論嫌だしな。でも可哀想なあの人は是非助けてやりたい。っつーか、警察!何してんだよ!!
人質を解放しなさーい!などとスピーカーで呼びかけている暇があったらさっさと突入しろっちゅーの。
「・・・俺の判断ミスだ」
犯人の男がいきなり話だした。静寂が支配している吹き抜けの広場に、その声が響く。がっかりしたような声だった。
「人生って、本当うまく行かないものだな。全く・・・あいつらは戻ってこないし、湯田も手に入らない」
ぶつぶつと独り言を言っている。あいつらというのは仲間のことだろう。すみませんねえ、一人は桃缶で脳震盪を起こしているし、もう一人は蛸が顔に張り付いたままです。
いつの間にか傷を作って少し血が出ている裸足を見下ろしながら、私は心の中で言う。
・・・・てめえも年貢をおさめろっつーの、バカ野郎。
座り込んでいる目の前には、ビールの冷蔵庫。・・・・飲んでいいかな、オリオンビール。
私が呆然かつたらたらとそんなことを考えている間も、男はずっと不満を垂れ流しにしていた。自分の置かれた状況に中々納得出来ないらしい。
そこで、ようやく外部の動きがあった。警察が、私達が苦労して開けた他の入口から、少しずつ入ってきたのだ。
いきなり背後に気配を感じて悲鳴を上げそうになる。すると完全防御した警官が無表情で口に人差し指を当てていたから驚いた。
「・・・・犯人は?」
「――――あ、あそこ、です。あとの二人はバックヤードの・・・」
警官は頷く。その二人は回収しました、って。回収って・・・と若干呆れた私に、あなた達の働きには感謝しますといったから、また驚いた。
あのおじさん、そんなことまで説明したのね。隣で一緒に戦った兄ちゃんがほーっと安堵のため息をつく。見てみると、他の人質ご一行様も、拳銃を犯人に向けた警官隊に守られて、出口へ移動しつつあった。
・・・ああ、よかった。これで後は――――――
「湯田はどうした!湯田を連れて来い!」
今では必死の犯人が叫んでいる。頭に拳銃を押し付けられた女性が悲鳴を上げる。恐怖もあるだろうけど、銃が食い込んで痛いのだろう。・・・あのバカ野郎。私はムカついて、キレた犯人を睨みつける。
「いい加減諦めろ。その人を解放しなさい!」
相変わらずスピーカーで話しながら、警官隊がじりじりと近づいていく。
男は周囲を固めつつある警官隊を等しく睨みつけて、両目を赤くしていた。
じりじりと男を取り巻く輪を小さくしていく。犯人の男がスキー帽の下で軽く笑った。
「・・・もう終わりか?なら、ついでにこいつも―――――」
女性が引きつった泣き声を上げた。私はつい立ち上がって、大声で叫んだ。
「湯田さん!」
え?と男が一瞬私を振り返った。そして反射的に拳銃が私のほうを向く。
―――――やば。
しかし、警官隊の方が動きが早かった。ヤツの背後から近づいていた警官が、私の声に男が反応するや否や飛び掛ったのだ。
それを合図に四方八方から警官が飛び掛り、男を押しつぶす。女性はもみくちゃにされながらも何とか救出された。
その立てこもり犯捕縛騒動をスーパーの棚の間から見ながら、呆然と突っ立っていた。
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