2、「あの・・・何もしませんから、オレ」@
あたしの最寄の駅前でタクシーを降り、ロータリーの大時計を見ると7時05分。
緊張も緩やかに解けて、お腹も空いてきた。
あの男の手配がどれだけ早くても、あたしの個人情報を探り出すのに30分は掛かるはずだ。
よし、と頷いて、あたしは行動を開始する。
自宅の高層マンションに戻り、1泊分の外出準備をした。小さな鞄に最低限のものだけを詰めて、15分ほどでシャワーもあびて身なりを整える。
盗品はまとめて隠し金庫に仕舞い、現金を10万ほどマネークリップで留めると穿き替えた柔らかいジーンズの前ポケットに突っ込んだ。
お金は前ポケット、もしくは足首が鉄則だ。
肩までの髪はたらしたままで目深にキャップを被って玄関へ向かった。
ドアを閉める前に玄関先に小麦粉をまいておいた。そして施錠し、髪の毛を一本引き抜いてドアの上辺に挟む。
かかった時間36分。上出来よね。
そのまま早足に駅前まで戻る。
ロータリーの大時計の下で、さて、とバックを足元に置いた。
「・・・どうしようか」
今からなら飛行機の最終に間に合う。
夜行バスでもいい。
ずっと電車を乗り継いでもいいし、レンタカーだって構わない。
外国へ4、5年行くのが賢いかも。それとも暇に任せて日本中をだらだら旅して歩こうか。
頭では判っていた。
さっさと動かないと、ここまでした意味がなくなる。逃げた意味もなくなる。逃げようと思っている男が近くにいるのに、この街に留まる理由なんてない。
だけど足が動かなかった。
遠くの券売機を見詰めたままじっとしていた。
・・・・ちょっとちょっと、おバカさん。どうして動かないのよ。
ため息をついて暗くなった空を仰ぎ見た。
どぉーしたんだ、あたしは。
足首を無駄にぐるぐるまわしてみた。
やだやだ、あたしったら、悪い病気が出てきたんだわ〜・・・。
次は肩をよいせ、と回す。
あの無機質な、マネキンみたいな長身の男。
眼鏡の奥で三日月型に細める瞳。
うっすらと微笑んでいたあの男。
・・・あの男の表情を。
あたしは、変えてみたい。
ひょうきんにおどける顔でさえも計算してやっている気がする。
やつの素の顔を見てみたい。
本気で驚いた顔は財布を見せた時に一瞬だけど見れた。
あと見たいのは、悔しげな顔、呆然とする顔、それにそれに欲望に染まる表情も――――――・・・・
とそこまで考えて、手を振って、ないないと呟く。
あの奇妙な男が性欲に支配されるとは思えない。そんな人間くさくないだろう。イメージだけど。
「絶対ナイ」
つい、声にまで出して言ってしまった。
あたしは深呼吸をする。
とにかく。
認めよう。あたしは興味を持ってしまった。人生で最初のポカをした相手に。
もっとマトモな男なら、あたしだってマトモな反応をして逃げるなりお縄になるなりしただろう。
・・・いや、お縄はないか。全速力で逃げるだけだな。それこそさっさと高飛びして、ほとぼとりが冷めるまでは日本を留守にする。
だけど相手が普通の人間じゃなかった。怪しさ120%の、正体不明の兄ちゃんだ。
このままのまれたり負けたりなんか、悔しくて出来ない。
無理だ。
ヤメた。
あたしは逃げない。
心が決まれば、つい笑顔になった。
でもわざわざ自分の部屋で捕まえにくるのを待っているのは嫌だから、今晩は外で過ごそうっと。
方針が決定すると、お腹が空いてきた。お腹もタイムリーにぐるるるるとキューティーな音を響かせる。
何食べようか・・・と周りを見回して、顔見知りを発見した。
夜の中を、カフェからのバイト帰りらしい守君が改札に向かって歩いている。
あたしは鞄を持ち上げて、少し大きめの声で彼を呼んだ。
「おーい、守くーん!!」
俯いてケータイをいじっていた守君はハッと顔を上げて見回し、あたしに気付いた。
「薫さん」
あたしは話しながら近づく。
「バイト帰りー?お疲れ様」
守君はにこにこと笑って、はい、と頷いた。
駅前の灯りに彼の茶髪がキラキラと光る。柴犬の子犬のようだ・・・これが日々、お客のOLさん達をとりこにしているのね。
「薫さん何してるんですか?これからどこか行くんですか?」
あたしの格好を見て守君が言う。
「ちょっとね。今は晩ご飯のこと考えてたんだけど――――・・・あ、そうだ」
あたしは守君は見上げた。この子は子犬系童顔だけど、背はあたしより少し高い。そのアンバランスがまたいいのかも。
「守君、何か用事ある?暇だったら晩ご飯付き合ってくれない?」
あたしの言葉に目を瞬いた。
そして手に持っていたケータイを仕舞って、にっこりと笑った。
「丁度、飲み会がなくなったってメールきてたんです。晩ご飯付き合います。どうしようかと思ってたんで」
おお、それはグッドタイミング!
やった、ラブリーボーイとご飯だご飯。
あたしはウキウキと足取り軽く、守君と歩いた。
何食べたい?と聞くと、肉!というシンプルな答え。
「よし、金はある。焼肉行こう」
あたしが言うと、いいっすね〜!と守君の声も弾んだ。
そんなわけで、普段一人では入らない焼肉屋へ、久しぶりに入った。
あたしも心を決めていて気分がよかったし、目の前には可愛い守君。お酒で乾杯して、大いに盛り上がった。
「食え食え〜!」
やけくそみたいに大量の肉を鉄板に載せたけど、それを片っ端から軽ーく守君は平らげていく。
・・・流石、男の子。よく食べるなあ〜・・・。
あたしはビールをガンガン飲みながら、それを頼もしくみていた。
弟がいる人って、こんな感じなんだろうか。
そして大学の話や所属しているらしいワンダーフォーゲル部(本気で驚いた)の話しやら、マイブームらしいジグソーパズルについて聞いては爆笑した。
「楽しそうな毎日だねー」
あたしが言うと、守君はニコニコと笑って、薫さんもね、と言う。
「ん?」
「店にいらっしゃると、いつでも楽しそうだな〜と思ってますよ。店長も朱里さんも由美さんも、皆言ってますよ」
「あら、ほんと」
「何か、楽しそうな雰囲気のまま入ってくるから、来たらすぐに判ります」
・・・ニタニタしてるってことかしら・・・。
「あのお店好きだもの。あの美味しいモーニング、やめられないわ」
「店長の作るのは本当にうまいっすね」
「うまい」
二人でうんうんと頷きあった。
守君のビールが空になっている。顔を見ると頬を染めて、多少酔っているようではあったけど、まだ目はしっかりしていた。
・・・子犬君、酒にも強いのか。何て素敵な男だ!
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