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あたしは首を捻った。何だろう、この男・・・。警察の関係者?それとも法律家?いやに落ち着いているし、大体犯罪に詳しそうな語り方だ。若い。多分、30代前半。外見だけでは何をしている人間なのかが全く判らない男だった。
長身、静かな表情、眼鏡、少し茶色が混じる髪。黒いシャツ。細めた目は簡単に感情を消せるらしい。
さて、どうしたもんかな。
やっと少しずつショックが落ち着いてきて、あたしは頭をフル回転させる。逃げないといけない。そして、しばらくこの街から姿を消さなくては。
目的が全くわからないが、この男が普通じゃないってことはハッキリしている。
あああ〜・・・なんてこと。やっぱり欲を出さずに一件で止めるべきだった。昔からの掟には従うべし。親父、あたし、失敗しちゃった・・・。
これを後悔先立たず、というのね。あたしは一人で頷く。
逃げようがないからと腹をくくって、男について行った。
来たのはそう新しくもないレンガ造りのようなデザインのビルの2階、入口の案内を見ると、調査会社と書かれていた。
―――――――調査会社?
あたしは首を捻る。
・・・調査会社って、つまり、何?興信所とも違うし、探偵事務所でもないわけ?
雑然とした机が3つと、さっぱりした大きな机が一つ、それにガラス戸の向こうに応接室と書かれた部屋が一つあるみたいだった。
小さな事務所だ。
鍵を開けて電気をつけ、男はようやくあたしの手首を離し、さっぱりと片付けられた大きな机の向こうに回って入口の鍵を引き出しにしまった。
「散らかっていて失礼。どれだけ言っても片付けてくれないんだ」
他の雑然とした机を指さして、男が静かに言う。口元の笑みは初めから崩れていない。
あたしは言葉を出さずに突っ立ったままで、男を眺めた。
どういう行動に出るかが予測出来ないから、こちらからは口を開かないべきだろう。
「・・・さて、すり鉢姫」
椅子に座って男が言った。
「私はここの調査会社の持ち主で、滝本と言います。お名前をどうぞ」
柔らかい微笑みをじっと見た。名乗る必要はなし。あたしは腕を組んで男を見返す。
「・・・・」
「話せないわけじゃあないよな。さっきは口を開いてたし。名乗りたくないならこちらで勝手に呼ばせてもらうよ、ソフィー」
・・・あん?
あたしは眉間に皺を寄せる。何だよ、ソフィーって。
「腕時計を狙うんだから、君はそれなりに腕のあるスリなんだよな。スリは大体どこかに所属してるもんだけど、君はフリーなのか?歩いてる間に仲間が助けにくるかと思ったけど、来なかったね、キャサリン」
おいおい。何だ、この男。
「緊張の度合いからも考えて、一人で仕事をしてるらしいとは思ったんだけど。私は偶然、時計のアラームを切ろうとしたところだったんだ。君が手を伸ばした時に。アンラッキーだったね、エリザベス」
あたしはガックリと肩を落とした。
・・・・本当、あたしったらアンラッキー。そんな間の悪いとしかいいようのない瞬間だったなんて・・・。
そして変な男に捕まるし。
男は楽しそうに続ける。
「この時計なんてそう価値がないものだって判ってるだろう?練習台にでもしようと考えてたのかな、スーザン?」
「・・・何で英語名なのよ」
イライラしてつい言ってしまった。
男は嬉しそうに眉を上げて、口元の笑みを大きくした。
「和名が良かった?それは失礼、ようこ」
うう〜!!イライラする〜!!!
「そんなに睨まないでくれ。ほら、笑って、さちこ」
「薫」
「ん?」
「あたしの名前は薫よ!」
怒鳴ってから、ああ・・・・と額を叩いた。
自分から名乗ってどうするあたし!バッカじゃないの!?
滝本と名乗った男は頷いて言った。
「薫。いい名だね。宜しく、すり鉢姫の薫さん」
「・・・・帰ってもいいかしら」
「帰りたいのか?では、苗字もどうぞ」
・・・・・あああ・・・・疲れる。誰かこの男をあたしの前から消してくれ。
見事に会話の主導権を握られてしまって、どうしようもない。あの眼鏡を叩き落としたいぜ。すました顔を歪ませてみたい。
あたしが疲れて鞄を下ろすと、滝本は笑ってさらりと言った。
「実は、写真を撮ったんだ」
「え?」
あたしはパッと顔を上げる。
滝本は両肘をついて両手を合わせた上に尖った顎をのせてニコニコと笑った。眼鏡の奥で、あの感情を表さない目が三日月型に細められる。
「うちの事務所の入口にはカメラがあって、出入りの時に私の都合で写真が撮れる。・・・・世間一般では、盗撮と言う」
あたしはゆっくりと振り返った。
入口のドアの壁から、黒くて細い線が外へと垂れているのを確認した。あれが、配線か。
そして、入口の床にスイッチのようなもの。撮りたいときは、通りすがりにあれを踏むんだろう。そして、カメラを作動させる。
・・・・全く気付かなかった。畜生。
「だから」
滝本が続けて話している。
「今名乗らなくても、調べられるんだけどね。面倒を省いて貰う為に、自分で名乗って貰えると有難い」
性質の悪いのに捕まってしまった。あの雑踏で何としても逃げるべきだったのだ。多少暴れてでも。
「――――――野口」
滝本が笑顔を消した。
あたしはやけっぱちで答えた。写真を撮られていたら、どうでも調べはつく。こちとら普通に暮らしているこの町の市民なのだ。簡単に調べはつくんだろう。実際に撮られているかどうかを確かめようとは思わなかった。この男は、きっとやる。ゆらりとした雰囲気の中に、鋼鉄の刃を仕舞っているような男だと思った。そしてそれを隠そうともしていない。
「野口、薫?」
滝本が少し首を傾げた。何かを考えているらしい、と思ったら、立ち上がって机をこちらに回ってきた。
「野口譲さんの娘さんか?」
「え?」
親父の名前が出てきて驚いた。
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