1、「すみませんが、お嬢さん」@



 そして、3日後。

 あたしはIT業界の金持ちの財布その他を入れたクリアケースを繁華街の交番のポストに通りすがりに突っ込んで、そのまま繁華街の夕方の雑踏に踏み込んだ。

 カモを探す。

 今日はひたすら手元を見ていた。

 腕時計をチェックして歩く。ベルトが布製、売値せめて3万以上のもの。

 ずっと練習していた。そして、満足出きるくらいには慣れたと思って、決行の運びとなったのだ。

 一番人ごみが激しい夕方6時前。

 あたしは後ろから近づいて、自分のポケットの中に入れた松脂で指先を潤わす。

 そして目をつけた男性の後ろに近づいて同じスピードで歩く。

 信号の赤で人波が止まる。丁度いい事に女子高生の集団が賑やかに華やかに前方に居た。あたしは今度は左手をポケットに突っ込んで、消しゴムを小さく切ったものを取り出して、爪先で真ん中の女子高生の頭を狙ってゴムを弾いた。

「痛っ!!」

 女の子が頭を押さえる。

 え?どうしたの?と友達がざわめく。女の子が頭に何か当たった〜と騒ぎ出した。

 交差点で信号待ちの人々がついそっちに注目する。ターゲットもそちらを見た。あたしは人差し指で腕時計のバックルを外す。自由になったベルトの先はするりと針から外れる。そのまま親指を下ろして針がおりないようにしたら、人差し指で布ベルトをちょっと押してやる。

 あっけなく腕時計は外れ、あたしの手の中に落ちる。

 まだ女子高生は騒いでる。

 ターゲットの目がそっちを向いているのを確認して、あたしの左手親指は男の手首をぐっと押した。

 この圧迫で、しばらく腕時計をしている感覚のままでいられるのだ。

「もう〜何よ〜」

 ぶつぶつ言いながら、女子高生は頭をさすっていたけど、信号が青になったと同時に動き出した人波にその声は消されてしまった。

 あたしはにっこりと微笑んで、横断歩道は渡らずに引き返す。ターゲットは気付かずに、歩道を渡ってしまって人ごみに消えた。


 手の中にはロイヤルポロの腕時計。定価で5万てところの商品か。


 物品で手に入れた場合は、ブランド物だと引き取り屋に買い取ってもらうが、あたしは団体に属してないからそのツテはない。

 なので地味にオークションで転売するか、質屋に持っていく。

 あまり派手なブランド品だと困るのだ。アシがつく場合があるので。

 その点、今回のロイヤルポロはお手ごろ。

 あたしはホクホクと笑顔で歩いた。

 腕、落ちてなかった。あれで本当は歩いている間に出来たらいいんだけど、久しぶりなのもあって注意逸らしを使わざるを得なかった。

 まだ一流とはいえないわね、と自嘲気味に笑う。

 そんなことを考えながら、あたしは目的をもっているみたいにシャキシャキ歩いていた。

 これが人ごみの中では一番目立たないからだ。

 ビル群の真ん中で、夕日を浴びていた。

 久しぶりの腕時計すりで気持ちも高揚していた。

 だから、テンションが高かったのも、ある。

 つい、もう一件狙ってしまったのだ。いつもならしない物品すり2件目を。

 夕日が街を赤く染めて行き交う人の姿を黒く映し出す。

 あたしはそれをぼーっと見詰めていて、そしてそのまま仕事に突入した。

 前から歩いてきた男性の腕時計に目を留めた。

 バックル、布。時計、ダイヤモンドをあしらっていたのを確認。

 カモだ。

 後ろを振り返って長身の男性を視界に入れる。

 あれで、今日は止めとこう。


 あたしはくるりと方向転換をする。

 そして今度は夕日を背に歩き出した。

 前を行く長身の男性を見上げる。

 若い兄ちゃんだ。ごめんね、それ、あたしに頂戴。彼女や妻に貰った記念日のプレゼントじゃありませんように、と心の中で呟く。

 この道前方50メートル先に横断歩道があるのを知っていた。

 そこで、勝負だ。

 右手のポケット松脂、左ポケットに消しゴムの欠片を確認する。

 あたしはこっそりと男の後ろにつく。

 そして小さく深呼吸。

 肩をほぐして待機した。

 信号が変わる。人ごみが止まって集まる。あたしは素早く指を伸ばす。

 バックルに指がかかった。集中して、親指を引っ掛けて―――――――

 するりと時計が外れた感覚と同時に、あたしの右手首に圧迫を感じてハッとした。

 顔を上げると、体を横向けた為に夕日で逆光になった男の真っ黒な顔がこっちを向いていた。

 あたしの右手首は彼に捕まれているようだった。問題の腕時計は彼の手首でぶら下がって揺れている。

「・・・失礼」

 男が口が開いた。

 男性にしては少し高いその声に、つい目をあわせてしまった。

 眼鏡の奥で瞳を三日月みたいに細めて、男が言った。

「すみませんが、お嬢さん。これは私の時計なので」


 あたしは、呼吸を忘れた。

 捕まれた右手を引っ張ると、思いのほかするりと抜けて拍子抜けした。

 信号が青に変わる。人波が動き出す。

 あたしと男以外の人間がぞろぞろと動き出して、二人の場所だけ異物と化した。

 長身の男は口元に静かに笑みを浮かべたままで腕時計のバックルを直す。眼鏡の奥の瞳はあたしをじっと見詰めていた。

 あたしは通行人にぶつかられ、邪魔だよと文句を言われながら立っていた。

 無意識に唾を飲み込む。

 ・・・・バレた。

 失敗だ。

 時計をすろうとした現行犯でばれてしまった。

 何てことだ。

 じっとりと汗ばむ手を握り締めた。

 隙がなくて逃げ出せない。別に捕まえもせずに、微笑みながらあたしを見下ろす男を見詰める。

 どうする。どうする、あたし?

「・・・・すり鉢姫とは、珍しいな」

 男が口を開いた。やはり男性にしては高い声があたしの耳にハッキリと響く。

 すり鉢姫。女スリを指す造語だ。この男、一体何。

 夕日がゆっくりとビル街に沈んでいく。人の波は止まらない。

 また信号が赤に変わった。あたし達は同じ場所に立ったまま、見詰め合うばかり。

「・・・まあ、そんなに睨まないで。こっちにおいで」

 言葉使いも発音も柔らかかったけど、有無を言わさない力で再び手首をつかまれた。

 そして信号に背をむけて歩き出す。

 あたしは緊張で固くなった体をほぐそうと深呼吸をして、隣を歩く男を見上げる。

「・・・・何なんですか?」

 引きずられるのは嫌いだ。そんなわけで、あたしは背筋を伸ばして男と同じ速度で歩いた。

「興味が沸いただけだよ。大丈夫、警察に行ったりしないから。現行犯とはいえ、スリは刑も軽いしね」

 静かな声で話すのに、雑踏の中でも男の声はちゃんと聞こえた。

 ・・・・うーん。




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