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 あたしは微笑んだ。話している内に涙は乾いていた。

「あたしは岡崎さんのカフェで、癒されてますよ」

「うん。それは何よりの言葉だね」

「いつか、同性同士の恋愛だって普通に認められる日が来ますよ」

「・・・うん。でも、来なくったって大丈夫だ」

 あたしは首を傾げた。来なかったら、いつまでもアウトローじゃないの?って。

 岡崎さんは微かに頷いて、言いたいことは判ってるって言ったみたいだった。

 でもちゃんと口に出して、強い言葉を繋げた。

「俺が自分の気持ちを判っている、それが一番大事なんじゃないかって、最近では思うから」

 あたしはぼーっと見ていた。

 格好いいカフェの店長の、暑さで汗をかきながらの笑顔を。

 言葉が宙を漂って、ついでみたいにあたしの中に沁みこんで来た。

 自分の気持ちが判ってれば――――――――――


 例え、逆境でも、大丈夫。



 ・・・・そうなんだ。それが辛い道だとしても、辛いとは思わずに、楽しめるということ?

 岡崎さんはそうやっていくんだな。

 あたしはそう出来るかな。

 この指に頼らずに、社会を泳ぐ。そんなことが出来るのかな――――――・・・


 その後、岡崎さんが企んだ笑顔をあたしに見せ、そうだ、と手を叩いた。

「俺の特別の場所に連れて行ってあげよう!おいで、薫ちゃん」

「え?」

 あたしが呆然としている間に二人分の缶コーヒーをゴミ箱に突っ込んで、岡崎さんはあたしを引っ張って歩き出した。

「あのー・・・えーと、岡崎さん、ダメです、これ」

「ん?」

 何が、と振り返る彼に、あたしは左手で指し示す。

「お手手、繋いじゃってますけど、ヤバイです。お店の地元でこれはダメです。岡崎ファンに見つかると、あたしお店に行けなくなります」

 あたしの言葉に苦笑した。

「そんなの大丈夫だと思うけど、まあ、薫ちゃんが困るなら止めとこうかな」

「・・・どうも」

「じゃあちゃんとついて来て」

「はい」

 岡崎さんが長い足でさっさと歩いてあたしを誘導したのは、駅前で一番高いビルの屋上だった。

 あたしは知らなかったけど、ここは夏場はビアガーデンが開催され、その他の季節は空中庭園として市民に開放されているらしい。

 緑が溢れる空の中の庭園をぐるりと見回して、あたしは驚いたままで呟く。

「・・・知らなかった」

「そう、知らない人多いんだよ。ビアガーデンは宣伝するけど、他の季節はただ開けているってだけだからね。俺は商工会議で知ってるんだけど」

 ああ、そうか。この地域でお店をしているから。

「夜は10時まで勝手に入れるんだ。店が終わったあと、あまりに疲れていたり、うまくいかなかったりで凹んでると、よく来るんだよ」

 夏の午後の太陽と高層階の風を受けながら、地上を見下ろして岡崎さんは笑う。

「やっぱり高い場所に来るとスッキリするでしょう」

 あたしは頷いた。

 あたしはここよりも高層階に住んでいる。だけどベランダがないから、風を受けたりは出来ない。

 緑が揺れていて、太陽で光っていて、風が音を立てて吹いていて、遥か眼下に見えるいつもの街は今日も忙しそうに動いている。

「・・・いい所ですね」

 お、と岡崎さんの声が聞こえた。

「やっと笑ったね」

 あたしはにこにこと笑って、岡崎さんに頭を下げた。

「ありがとうございました。すみません、折角の休日を台無しにしてしまって」

「いえいえ。薫ちゃんの泣き顔なんて、ある意味貴重なものも見れたしね」

 その言い方に優しさを感じた。

 この状態が、社会に交わるということなんだろうな。誰かと仕事の話や関係ないことを話す時間が、日常の中に組みこまれるという事。

 あたしは周りを見渡す。

 今日も地上ではたくさんの人が動いてどこかに向かっている。

 選択肢が無限に広がって、いろんなところからチャンスやタイミングが顔を覗かせるんだ。

「ここから夜、街を見てるとね」

 岡崎さんが話し出した。風で言葉が飛ばされるから、近寄って、声を大きくして。

「色んな家から灯りがこぼれて、その一つ一つに俺の知らない人生があって、それが同じ時間を過ごしてるんだなあと思うと不思議な感覚になるんだよ。今日は、何人の人生と交差したんだろうって。だから店は続けていきたいね。俺はあそこでコーヒーを淹れて、他の誰かの人生と同じ時間を過ごせるんだから」

 色んなことを考えるんだなあ〜・・・と思って、風にむけて目を閉じている男性の横顔を眺めた。

「・・・あたしには少し難しいです」

 声を出すと、岡崎さんは目を開けた。

「だけど、ウキウキする話だと思いました」

 語っちゃったね〜、と照れながら頭をかいていた。

「ねえ、岡崎さん」

「はい?」

「今年の夏は、ここのビアガーデンに来ませんか?守君もラプンツェル姫も由美ちゃんも、皆で。お店の後」

 あたしの提案に微笑んだ。

「うーん、それはいいかも。でも店の後だと終わってるから、休みの日にしよう。明後日皆の予定聞いとくよ。薫ちゃんは火曜と土曜ならいつがいい?」

「あたしは暇人ですから、いつでも大丈夫です。そちらの都合で!」

「はい了解」

 飲み会の約束をしてしまった。あたしはつい笑う。飲み会、だって・・・あたしが、飲み会!

 肌焼けちゃいますね、と地上に降りて、あたしは改めて岡崎さんに頭を下げた。

「ありがとうございました。吹っ切れそうです」

 岡崎さんは格好良くニコリと笑って頷き、じゃあ、と手をあげた。

「皆の予定聞いとくから、近々店に寄ってね」

「はい」

 駅のほうへ歩く岡崎さんを見送った。

 その後姿が改札に消えたのを見てからあたしも歩き出す。

 心が軽くなっていた。すっぴんで長時間外にいちゃったよ・・・絶対焼けてる、とか思う余裕が出てきていた。

 素晴らしい。いいところで素敵な人に出会った。


 ゆっくりと家に帰った。

 シャワーを浴びて、今更だけど美白の処置もしてみた。

 台所で軽いおつまみ程度のものを作って、冷蔵庫から日本酒を出す。

 そして窓際にクッションも運び、それに座って暮れて行く空と街を見ていた。

 段々地上に光りが灯っていく。

 地平線は真っ赤に染まり、その上に紺から黒までのグラデーションが出来ている。

 車のテールランプがキラキラと動いていた。

 ・・・・この下に、生きている人たちの何万の人生が・・・。

 よく冷えた酒が喉を転がる。蒲鉾を口に放り込んで、窓ガラスに額をひっつけて、地上を見ていた。

 暗くなって、光りの存在が増す。

 あたしは電気もつけずに夜の中に混じる。

 どんどん減っていく日本酒に幻をみているような気持ちになり、頭の中で滝本の言葉が蘇る。

 振り返ったら、君がいたんだ。そして、嬉しそうに笑っていた。

 おどおどとした目を申し訳なさそうにあげて見回していた少年。自分の気配を消そうと頑張っているように見えたから、あたしはそれにイライラしてちょっかいをかけたんだった。


 のぐち、かおるだよー!

 叫んだ、小さなあたし。

 あたしの名前は薫よ!

 叫んだ、この前のあたし。


 ふつふつと笑いがこみ上げてきた。

「うふふふ・・・・」

 あたしはひっくり返る。クッションを抱きしめて笑いだした。

「あはははは」

 何て女だ。でもあいつを驚かせることが出来るなんて、世界にあたしだけじゃない?

 ちょっとそれって凄くない?


 くふふふふ・・・・とクッションに顔を埋めて笑った。

 そしてそのまま転がっていて、あたしは眠ってしまった。

 夢の中に出てきたのは眼鏡をかけてない滝本の瞳と岡崎さんの横顔。そして、まだ小さかった頃の、親父の姿だった。




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