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「・・・何してんの?」

「そうだった・・・」

 滝本が呟いた。

「そうだった、確かに。君はこんなことを笑いながらする子だった。あの頃からそうだった・・・」

 ・・・ん?何か、ヤツは凹んでる?

 あたしはゆっくりと近づいた。

 昨日の夜、あたしを乱れさせめちゃくちゃにした男は、参った・・・と言いながら自虐行為をしている。

 大丈夫?この人。

 そう思って見ていたら、滝本は目を手で押さえたまま話し出した。

「・・・・振り返ったら、君がいたんだ」

「え?」

「・・・・そして、俺を見て笑ってた。楽しそうに。何かを企んだ嬉しそうな顔で」


 ・・・一体、何の話だ?

 あたしは首を傾げる。

 いきなり出てきたまた違うキャラクターに困惑していた。目の前で上半身裸のままでベッドに座り、顔を両手で覆ってぶつぶつ言っている男は誰だ?

「それっていつの話?」

 取りあえず突っ込むと、滝本が手の平の間からあたしを見た。

 眼鏡がないから怪しさが消えている。何かを思い出しているような、視点が定まっていないような不安定な瞳だった。

「・・・俺が15歳、君が8歳」

「うん」

「俺は当時いろんな事で奈落の底を彷徨っていて、叔父に無理やり連れて行かれた大人ばかりの集まりにうんざりしていた」

「はあ」

「そこに、君が居た」

 その家の子供みたいだった。暇を持て余して長い髪を自分で三つ編みにしたり梳いたりして遊んでいた。

 俺は話し相手もいないからボーっと座っていて、背中に何かが当たったのを感じて振り返った。

 そしたら小さな女の子がいて、にこにこ笑って、いきなり言ったんだ。

 あなた、負け犬さんなの?って。

「・・・・・。それ、あたし?」

「そう」

 両手を顔から下ろして目を閉じていた。窓から入ってくる朝日で色の薄い黒髪が光っている。

「えーっと・・・。許して、8歳の世間知らずなもので」

 失礼な子供だ。まあ、あたしらしいけど、その言い方が。

 滝本は口元だけで笑って言った。

「別に構わない。言ってみれば、あの一言が俺を変えたんだ」

「へ?」

 俺が流石に憮然として向き直ると、女の子は首をかしげて言った。

 お父さんが、今日は戦う人間の集まりだって言ってたよ。だけどあなたは一人で離れて座ってるのね。戦うのは止めたの?

 ビックリした。

 嫌々つれて来られた怪しい会合とやらで、そんな台詞を聞くとは思ってなかったんだ。

 だけど、体がカッと熱くなったのが判った。

 前で笑う女の子の言葉で。

 そうかもしれない、と。俺は全部から逃げて、諦めているだけなのかもしれないと。

 戦うつもりなんてなかったけど、本当はこの世とは戦わないといけないのかもって。無理やりでも参加させられているなら、戦わないと飲まれるのかもって。

 これ以上、辛いのは嫌だ。次の日の朝をうんざりして迎えるのは嫌だ。

 何だか判らないけど熱を持って、凄く強く強くそう思った。


 だったら―――――

 戦うしかないのなら。

 今から変わった方がいいに違いないって。ここで、そう決めたほうがいいんだ、って。

 やたらとハッキリそう思った。

 君の名前は?て聞くと、女の子はにやりと笑って走って行った。そして遠くから、叫んだ。

 当ててみて、って。

 俺はそんな無茶な、と思って困った。するとまた遠くから女の子が叫んだ。

 教えて欲しかったら、どうしたらいいか考えて!って。

「・・・あたしだよね、それ」

「そう」

 何て子供だ。・・・記憶には全くない。だけど、その唯我独尊な感じは紛れもなくあたしだろう。

 8歳のあたし!さぞかし学校の先生は困ったんだろうなあ、と思った。こんな子供がクラスにいたら大変だろう。

「それで?」

 滝本が薄く笑った。その表情は、今現在の、彼の姿だった。

「俺が、教えてくれよ、と頼むと、あははと飛び跳ねて喜んで、一度しか言わないからね、と言って、偉そうに言うんだ」

「偉そうに?」

「そう、腰に手をあてて、ふんぞり返って」

「・・・・」

 女の子は叫んだ。のぐち、かおるだよー!!一人前になったら、あたしの名前を呼んでもいいよ!

「――――――」

「偉そうだろ?」

「・・・そうね」

 今やすっかり成長して、不安定なところなどどこを探しても見つからない不敵な男になった滝本は、男性にしては高音な声で、笑った。

「君がスるのに失敗して俺の事務所にいたとき、俺がどれだけ驚いたか判らないだろうな。いつかは探し出してあの日の仕返しをしたいと思っていた少女が、27歳の女性になって目の前に立ち、膨れて俺を睨んでいたんだ」

「・・・」

「あたしの名前は薫よ!って叫んで」

 思い出したようで、滝本はくくくくと肩を震わして笑い出した。

 そりゃ、あんたは面白かっただろうよ。こっちはちっとも覚えてないけどよ。何やらむかっ腹が立ってあたしはむっつりと黙り、腕を組んだ。

「21歳の時も会ったって言ってなかった?」

 滝本はゆっくりと笑うのをやめて、ああ、それは、と続けた。

「厳密な意味では会ってない。君は通り過ぎただけだったからな。叔父が野口さんに挨拶に行くというからついて行って、通りすがる君を見ただけだ」

 そっか。そりゃあたしの記憶にはないわね。良かった、そんな大きな何かがあったのかと思った。

「あの少女がどうなったのかが気になって行ったのに、話も出来なくて少し残念だった。そうしたら野口さんは蒸発してしまって、君への手がかりも消えた。俺は仕返しが出来ないままでこの歳まで来てしまった」

「・・・会えたわね」

「そう、会えた」

「仕返しも完了したの?」

 滝本は宙を睨んで考えて、微かに頷いた。

「・・・まあ、そうだな、一応な」

 一応って何だよ。あれだけあたしをバカにしまくってたクセに。

「それで、これからどうするの?」

 滝本はベッドから降り、ズボンを穿いてシャツを羽織り立ち上がった。そしてあたしを見下ろした。

「まず、腹ごなし。昨日の夜から何にも食べてない」

「次は?」

「風呂に入る」

「それで?」

「テレビを見る」

 え?とあたしは思わず聞き返した。何だ、テレビ。どうしてそこでテレビ?

 滝本は相変わらずあたしを見下ろしたまま、にやりと笑った。

「甲田が、落ちた。君の成果だ」

 ――――――ってことは、奥方の勝利か。それは面白そう。あたしは口元を緩めた。

「ご一緒します」

 くっく・・・と小さく笑いながら、滝本は寝室のドアを開けた。

「俺に拒否権はねえよな」



 そう、勿論、ない。





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