B



「え?」

 グラスにまた少しだけスコッチを注ぎ、滝本はあたしを見ずに言った。

「聞こえただろ。してねぇよ、盗聴も盗撮も」

 あたしは驚いて、滝本を凝視した。

 では、あれは何だったのだ。何のために設置していたのだ。探すのにもそれなりに手間取った。きっちり見つかりにくいように隠されていたのに。

「・・・どういうこと?」

 彼は飲み干したグラスを置いて、腰をシンクに預けてこちらを見た。

「いつか使うかもしれない、そう思って設置したんだ。今のところ君は大した脅威ではないし、大体病人だった。俺も暇じゃないから、たかがスリ一匹の日常をそうそう覗いてばかりもいられない」

 一々ムカついた。

 大した脅威でない、もそれはそうだけどナメられた感が否めないし、たかがスリ一匹はあからさまに失礼じゃんかよ!・・・・ま、確かにスリ一匹ではあるんだけど!

 あたしが不機嫌に唸ると、全く気にしてないらしい滝本が、それで?と聞いた。

「何があったのかと聞いている」

 あたしは低い声で言った。

「思い出したのよ、あんたのこと」

 滝本が顔を上げた。無表情で。

 しばらくじっと見ていて、ゆっくり頷いた。

「・・・・思い出したか」

「どうして言わなかったの、会ったことがあるって?」

 ヒョイと肩をすくめて手をぶらぶらと振る。

「完全に忘れていただろうし、名前を言っても気付かなかったから、いいかなと思った。大体あの頃の俺と今の俺は似ても似つかない」

 おお、自分でもそう思うのか。あたしは少し可笑しくなった。別人と言ってまず間違いナシの成長をとげてるもんね、この男。

「大分変わったわね」

「そっちは変わらないな」

 すぐ続けて滝本が言った。

「8歳と21歳の時、それと今目の前に立つ野口薫。変わらない。じゃじゃ馬で、楽しそうで、やたらと偉そうなところが」

 褒めてないってそれ、と思ったけど、あたしは文句を言わず耳に引っかかったことを聞いた。

「8歳は覚えてるけど、21の時もあった?」

 クーラーが効いて来て、汗で湿ったあたしの腕を冷やしたから、問いかけながら手でさすった。

 滝本は居間を横切り調節パネルでクーラーの温度を上げながら言った。

「・・・・そう。君は気付かなかったんだろう。男ばかりたくさんいたからな」

 ふうん・・・。何があったっけ?21歳の時って、親父が日本を出た歳だよね。会合みたいなの、あったかな?

 あたしが考えていると、滝本が腕を組んで、さて、と言った。

「盗聴盗撮の文句も言った、実は知り合いだったことも思い出した、もういいなら帰ってくれないか?俺は疲れてるんだ」

 あたしはにっこりと微笑んで滝本に近づいた。

「嫌よ」

「――――――」

「まだ、帰らない。あたしは今まで好きなことをやりまくってきたのよ。あなたの都合なんて気にしない」

 はあ〜・・・と長いため息が聞こえた。腰に手をあてて首を回している。

「・・・何がしたいんだ?何でもいいからさっさと済ませろ」

「その二重人格なんとかならないの?一体どれがあなたの素顔なの?おどおどしていた消極的で自信のない男の子はどこに消えたの?」

 さっきまであたしが座っていた大きな椅子に腰掛けて、滝本は額に片手をあてていた。目を閉じて、だるそうに口を開く。

「・・・全部俺だ。成長してこうなった」

「こんな怪しいオジサンに」

 ふ、と口元で笑った。

「・・・ガッカリさせたなら申し訳ない」

「結婚してるの?」

 手をどけて、呆れた顔であたしを見、部屋を指し示した。

「しているように見えるか?」

「恋人はいる?」

「いない」

「何が楽しくて生きてるの?」

「仕事」

「つまんない男」

「それは失礼」

 淡々と問答をして、怪訝そうな目であたしを見た。あたしは滝本に近づいてもう一つの椅子を正面に運び、それに座った。ダレてもたれる滝本と目線が同じ高さになる。

 じーっと見ていたら、一度細めた瞳の色が、変わりだしたのが判った。

「・・・何を考えてる」

 あたしは笑顔のままで滝本の口元を眺めた。

 彼は動かない。

 あたしも彼の口元から目を離さない。

「・・・おい」

「キス、しないの?」

 あたしの言葉に首を傾げた。相変わらずダルそうだ。さっきのスコッチは空腹にいれたのだろうと思った。

「して欲しかったのか?」

 やっと口元から目を離した。ムカつく男だ。あたしの望みは伝わっていたはず。だから、自分だってあんな目をしていたんだろうに。

 あたしは乗り出していた身を引いて、肩をすくめた。

「興味がないなら結構。お願いしてまでは、別に――――――」

 素早く滝本が腰をあげてあたしが座る椅子に両手をついて閉じ込め、黙ったままで唇を奪った。


 一度、フレンチキス。

 次は、少し深くなった。

 そして呼吸の休憩を入れたあとのそれは、大人の独占欲丸出しの深くて長くて意識を奪うような激しいものだった。

 初めは、うひゃあ!などと心の中で思う余裕があたしにもあった。

 だけど深く激しくなるにつれ、意識はとび、体はとろけて、あたしという存在そのものまでがあやふやになっていくようだった。

 まさか、こんな。

 手で首筋を固定され、角度を変えて舌で嬲る。呼吸が浅くてクラクラする。椅子に座ってなかったら崩れ落ちるところだ。

 荒い息をしながらやっと唇を離した男が、掠れた声で言った。

「・・・結婚、は、してねえな。恋人は?」

「・・・いない。―――――だけど」

 あたしも荒い息の下で何とか言葉を出す。

「けど?」

 目を開けて間近の滝本の顔を見た。眼鏡の奥の瞳は細めていて色が見えない。それなのに、獲物を発見した猛獣のような気配が彼の全身から匂い立っていた。

 もの凄く、男だった。

 その気配や、表情や、あたしの体に食い込む指の強さなんかが。

「つい最近、年下の男の子に抱かれたわ」

 彼は眼鏡を外して机に置いた。

 瞳の中で暗い影が揺れ、口元は厳しく引き締められていた。

「―――――忘れろ」

 覆い被さって、舌を絡め唾液を混ぜる。高い声は低められ、掠れてざらざらしていた。

「その経験は、忘れろ」

 あたしの体に手をまわし、体が宙に浮いた、と思ったらそのまま運ばれた。

 あたしを乱暴にベッドに転がして、手早く服を脱ぐ。

「外は優しく、中は激しく、だったっけ?」

 呟きながら彼の両手が体を這い回る。触れられたところが次々と熱を持ってうずいた。

 経験はあった。だけど、こんな経験は初めてだった。

 大学生の時に何人かの男の子と遊んだりデートしたり体をあわせたのが、いかに子供の遊びの延長だったのかが判った。

 口付けで意識が飛ぶとは思わなかった。

 我を忘れるなんて、AVの中で大げさに言ってるだけだと思っていた。

 あまりの快楽に羞恥心は吹き飛ぶ。

 名前を呼んで縋ろうとして、下の名前を知らなかったことに気付いたけど、熱さに翻弄されていて訊ねることも出来なかった。

 膝を手で押して持ち上げ彼が押し入る。彼の意のままに自由に操られ、その激しさに泣いた。

 痛かったわけではない。だけど強烈な快感はそれ自体が鋭利な刃物のようだった。

 いつ終わったのか覚えていない。あたしは痙攣して、柔らかくて幸せな夢の中に落ちて行った。




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