A



 汗をかいていたし、シャワーを浴びて身支度をした。全身黒にしたのは少しでも目立たないようにだ。

 茶色のタンクトップの上に黒い袖なしのパーカーを羽織り、黒いズボンと黒いスニーカーを履く。

 髪の毛はくくってうなじでまとめた。

 袋に入れた粉砕済みの機械をボディバッグに入れて、出発。

 目的地は滝本の部屋。

 あたしは電車に乗って、温かい夏の休日の夜を楽しむために繰り出す人たちを眺めた。

 うーん・・・つい、カモを探してしまう。癖だ、こりゃ仕方がない。

 夏で薄着になると人は解放的になるけど、その分肌に触れる危険性が出てくるからスリにはあまり喜ばしくない季節だ。

 だからあたしは夏場はほとんど稼ぎがない。秋から春にかけて、約2000万を稼ぐのだ。

 だけどこれからはどうなるか判らない。

 滝本という人物に出会ってしまったからだ。

 見張られるのは嫌だし、逃げ切れるとも思えない。

 ・・・・まあ、いいか。最終的には親父のところに逃げるか、他の国に行こう。

 考えるのは諦めて窓の外の夜景を見つめる。

 職業が職業だから、あたしは人との深い付き合いがない。最近岡崎カフェのメンバーや滝本の調査会社の人たちと接していて、久しぶりに社会の歯車であることを認識していた。

 大学を卒業後、予定通り疎遠にした女の子や男の子達を思い出す。一緒につるんでいるうちは、確かにあたしも世間に馴染んでいたのだった。

 寂しいわけではない。

 だけど、物足りないのかも。

 あたしには、何かが。

 ちりちりと胸の奥が不安定な音を立てる。

 ・・・満足していたのに。あたしの気楽な生活に。でも、きっとあの状態にはもう戻れないんだろう。

 都心に電車は滑り込む。

 あたしは頭を振って、下車のために立ち上がった。

 どうなるか判らないのは、いつでも一緒だ。遠い未来も、1時間後も。



 記憶通りに歩いて行って、簡単に滝本のマンションまで辿り着けた。

 窓にはまだ灯りはなし。帰宅はずっと先の話だろう。まだ9時を過ぎたところだった。

 甲田の件が終わったとしても、他の案件が大量にあるんだろうと思う。

 あたしは空き巣ではないから、ドアを開けることなんて出来ない。どうやってあの家に入ろうかと考えていて、滝本の言葉を思い出した。

 隣のビルに飛び移れるって――――・・・・・

 隣接して建っている隣もマンションだった。あたしはそのマンションに入っていき、4階まで階段で上がる。そして廊下の端から滝本の部屋があるだろう方向を覗いた。

 ベランダに、確かに短い梯子のようなものが置いてあるのが判った。

 うーん・・・。身を乗り出して、距離を測る。

 これくらいなら・・・飛べば届くと思う。まあ、失敗して落ちたら、今度は死んでしまう高さだけど。

 あたしは苦笑して、膝の屈伸をした。

 体の痛みはそれほどはない。何かに追いかけられているわけでもないし、時間がかかっても大丈夫な今なら、出来るだろう。

 オッケー。

 ボディバッグを滝本のベランダに放り投げた。荷物の処理完了。次は、あたし本体の移動だ。

 マンションの廊下の手すりに登った。バランスをとってその上に立ち上がる。あっちから飛べるんだから、逆も可能だろう。あの男ほど体は長くないけど、こっちには軽い体と素晴らしい運動神経があるのだ。

 せーの。

 頭の中で唱えて、あたしは夜の中をとんだ。

 指一本でもかかれば自分の体は持ち上げられる。

 ふわりと体を浮かせて、左手ががっちりと滝本の部屋のベランダのてすりを掴んだ。

 ・・・よし。ぶら下がった状態でとりあえず息をつき、それからよいしょとよじ登った。

「ははは。ざまーみろ」

 一人で呟く。

 ベランダで鞄を背負いなおして、窓が開くかを確かめた。だけど、そこはやはり施錠されている。

 磁石を取り出した。だけど滝本は鍵を二つ付けていて時間がかかる上に面倒臭かった。

 はい、プランB。

 あたしは持参したハンマーを取り出して、ベランダのガラスにハンドタオルを押し付けて、一部分叩き割った。

 どうせあの男の窓だ。

 慎重に割ったガラスに手を突っ込んで、鍵を開けた。

 ゆっくりと部屋に入る。

 埃を払って暗闇の中を見渡した。

 片付いたダークトーンでまとめられた部屋だった。装飾品はほとんどないシンプルな部屋だったが、居心地は悪くなさそう。

 あたしは大きな椅子に腰掛けて、ヤツの帰りを待つことにした。


 暑さもあって暗闇の中にいたので、うとうとしてしまってた。

 廊下に響く足音に気付いてハッとする。壁の時計は10時40分を過ぎていた。

 鍵が差し込まれて回る音。あたしは椅子の上で足をあげて座り、ドアノブが下がるのを見ていた。

 ドアが開く。長身のシルエットが廊下の電灯の下に浮かび上がった。

 無言で玄関に入った滝本は、片手でドアの施錠を済ませ、もう片方の手で電気のスイッチを押してから、動きを止めた。

「―――――――誰かいるのか」

 声が低かった。あたしは椅子から立ち上がって玄関の明かりが届く位置まで移動した。

「ハロー」

 ふう、と止めていたらしい息をはいて滝本がドアに寄りかかった。手をヒラヒラと振るあたしを眼鏡の奥から見詰めた。

「・・・すり鉢姫。どうやって入ったんだ?」

 あたしはにっこりと笑った。

「ベランダの窓を壊したの」

「器物破損か」

「勿論、怒らないわよね?あなたはあたしを盗聴も盗撮もしてたんだから」

 居間の入口にたったままで、玄関の滝本まで粉砕した機材が入った袋を放った。

 ガシャン、と音を立てて足元に落ちたそれを、滝本が確認して苦笑した。

「・・・見事に壊してくれたんだな。これも結構高いんだぜ」

 ふん、と鼻で笑ってやった。

 やれやれといいながら滝本が靴を脱いで上がり、歩いてきた。

 あたしの横を通り抜けて居間に入り、電気をつける。

「まったく、何てお嬢さんだ」

 割られた窓ガラスを避けて、カーテンを閉めた。

「これではクーラーが効かない」

「それはお気の毒様」

 振り返ってマジマジとあたしを見てから、ため息をついて玄関の横の小部屋に行き、ガムテープとダンボールを持ってきた。

 もう一度カーテンを開けて、あたしが見ている前で窓ガラスの補修をする。

 そして立ち上がり、壁のクーラーのスイッチを押した。

「仕事を増やしてくれてありがとう」

「いえそんな。お礼には及ばないわ」

 また滝本があたしをじっと見た。少し首をかしげて、何か考えているらしい。

「何か?」

「・・・・雰囲気が変わった」

 あたしから視線を外して台所に行き、スコッチをグラスについで一気飲みした。

「何があったんだ?君は前と雰囲気が違うな。・・・というより、俺に対する反応が」

 素顔モードに変わったらしい。あの一気飲みは外面を外す儀式なのだろうか。

「盗聴してたんでしょうが。なら知ってるはずよね」

「してない」



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