1、「薫さん、もしかして、嘘ですか?」@


 これからが夏本番で肌が出る服の出番だというのに、あたしの体は痣だらけだった。

 なのでその後5日間は大人しく家に引きこもっていた。

 出るのは一日一回夜にスーパーへの買出しのみ。もう熱も出なかったし、刺し傷は塞がっていた。押すと痛みを感じる程度にまでは。

 毎日、そろそろと太極拳と柔軟体操だけをして、体を伸ばし、アルコールを断っていた。そして、生業であるスリの修行。すり鉢姫の由来であるすり鉢に砂の方法は現代でも普通に使う。

 すり鉢に大盛りの砂を入れる。

 その中に人差し指と中指の2本を突っ込む。そして砂の中で自由自在に動かせるように訓練する。それだけではあるが、砂は固い上に重い。普通の人間は満足に動かすことすら出来ないのだ。

 指に力を与え、掏り取ったものをがっちり挟めなければならない。

 この訓練は、スリにとっては何よりも大事なものなのだ。

 朝に体操と訓練、夜には日常生活と買い物。そして昼間は、生きていればハワイのどこかにいるはずの親父を探すことに大半の時間を使っていた。

 パソコンと電話を駆使して。

 死亡者の問い合わせをしてみたけれどノグチ・ユヅルなんて名前はなかったし、日本大使館に掛け合ってもそんな名前の日本人登録者はいないと返事が返って来た。

 ・・・・もしかしたら、もうどこかに移動してるのかも。親父が音信不通になって6年が経っている。

 引きこもって5日目の日曜日、あたしは鉛筆を放り投げてパソコンの電源を落とした。

 ・・・あーダメだ。本当に消えやがった、あの親父。

 体の痛みは大分取れていたし、そろそろパソコンとの睨めっこも飽きてきた。ちゃんとした人間相手に喋りたい。

 椅子の上で伸びをして、自分の手入れにうつった。

 引きこもっている間ほったらかしだった自分の外見を正常な27歳女に戻そう。

 顔中の無駄毛を処理し、眉を整えて、ピーリングで古い角質を徹底的にとる。睡眠だけはガッツリ取れていたから顔色はいい。

 久しぶりに化粧もして、ジーンズに白いコットンシャツだけをさらりと羽織って昼下がりの下界へ下りて行った。

 ―――――――・・・そうだ、まだちゃんとお礼も言ってないし、岡崎さんのカフェに行こう。守君に会えるかも。今日は日曜日だから、ランチタイムに入ってるかもしれないし。

 カフェの経営は自分の天職だと語る岡崎さんは、火曜日と土曜日を休日として、後の曜日は朝から晩までお店を開けている。

 それを4人で回すのは大変ですね、と言うと、忙しい時間は決まっているし、回せるだけの規模の小さな店で、週2日休んでいるだけでもそこら辺のサラリーマンの方よりは楽なはずですよ、と笑っていた。

 本当に好きなんだなあ、接客や、自分の料理やコーヒーでお客さんが喜ぶ顔をみるのが、とあたしは思ったんだった。

 あたしは土日祝日が関係ない人間だし、日曜日もよく利用している。

 そんなわけで気軽にカフェに向かった。

「いらっしゃいませ」

 ドアベルに気付いて顔を上げた岡崎さんと守君が同時に声を出した。

「こんにちわ」

 あたしの挨拶に、守君は固まって、岡崎さんは一瞬で凝固した守君をじーっと露骨に観察していた。

 うん?とあたしは首を傾げる。

 ハッとしたように守君は目を瞬かせ、一呼吸おいてから声を出した。

「・・・いらっしゃいませ、薫さん」

「お久しぶりです。この前はごめんねー、ボロボロのところ見せちゃって。ビックリしたでしょう」

 あたしは言いながらいつもの席が空いているのを確認してカウンターへ歩み寄る。

 守君はあたしの後ろをついて来ながら言った。

「もう大丈夫なんですか?」

「ハイ、お陰様で。迎えに来てくれた方が病院に連れて行ってくれたしね」

 すらすらと嘘を吐く。

「治ったのなら良かったです」

 守君の言うのを聞いた岡崎さんがあたしの前に水とおしぼりを置きながら口を出した。

「薫ちゃん体調悪かったの?」

 自分の仕事を忘れていたのに気付いたらしい守君が、店長すみませんと謝る。

「あー・・・はい。一週間前、久しぶりに高熱を出しまして。駅前でへばっていたのを守君に見つかっちゃいまして」

 あははと笑うと、笑い事じゃないレベルでしたよ、あれ、と守君に突っ込まれた。

 また岡崎さんが興味深そうに守君を見ている。

「グラタンランチお願いしまーす」

 はい、と笑顔と返事を返し、岡崎さんが動き出す。守君も店内にいる他の2名の客の世話をしに行った。

 あたしはほーっとため息をついた。

 ・・・なごむー・・・。ああ、癒される。コーヒーの香りと水の沸く音。大きなピクチャーウィンドウから見える人の行き交いと、店内に飾られた色とりどりの植物や花。ここは本当にあたしのオアシスだああ〜・・・。

 肘をつき顎をのせてカウンターの観葉植物を眺めて放心していると、ポケットの中でケータイが振動した。

 ディスプレイを見ると知らない番号。しかもやたらと数字が多い。

 少し考えたけど、ま、あたしに用がある人なんだろうと席を立って通話ボタンを押した。

「はい、もしもし?」

 カフェの外に向かって歩きながらケータイを耳に押し付けると、ガサガサした恐ろしく低い声が英語を話した。

『・・・Can I speak to Kaoru, please』(カオルは居ますか?)

 思わず立ち止まってケータイを見詰める。そしてまた耳に押し当てた。コホンと空咳をしてから話す。

「This is Kaoru speaking」(私ですが)

 話しながら歩いてカフェを出た。

 何だ?あたしは多分、怪訝な顔をしていたはずだ。振り返ったら、店の中で岡崎さんも守君もあたしを見ていた。

 だけどその後、しばらく話した正体不明のオジサンが実は親父の知り合いだと判ってからはテンションが上がった。

 君がユヅルの事を探していると大使館の友人から聞いた。ユヅルの電話番号を教えるが、他言無用だ、と言う。

 一体何がどうなっているの、と聞くと、ユヅルから、自分には娘がいて、いつか自分の所在を尋ねてくるかもしれない。その時はこの番号を教えてやってくれ、と言われていたと。

 もう何年もそんな話はなかったから、娘がいるのも忘れていた、と笑っていた。

 親父はハワイでも商売を続けていたんだな、と判った。

 ある程度の規模の組織にいるのだろう。だから、大使館の職員を抱きこめるのだ、と。

 ・・・・何がアシ洗うだよ、あのタヌキ。

 番号をきき、礼を言って電話を切った。


 あたしが店内に戻ると、ランチが丁度出来ていた。

「わーい、お腹すいた。頂きまーす!」

 あたしは喜んで両手を合わせてお辞儀をする。

 岡崎さんはニコニコと優しく笑って、どうぞ、と言った。

「薫ちゃん、英語も話せるんだね。何でも出来そうだもんね」

 いつの間にか他の客が帰っていて手が空いたらしい岡崎さんが、カウンターの中のバーに腰をかけながら言った。

「大学で語学を専攻しましたから」

 あたしは適当に言って、あ、そうだ、と岡崎さんを見た。

「ビール貰えますか?いいことがあったんで、前祝です」

 昼間からビールはあまり飲まないが、今日は久しぶりの下界だし、親父もみつかったし、これくらいは許されるだろう。

「はい。電話から戻ってから嬉しそうだもんね。いい事があったのは、良かった」

 長くて綺麗な指で完璧な泡を作って岡崎さんが生ビールを入れてくれる。

「ほんと、嬉しそうですね」

 テーブルの片付けを終わらせたらしい守君もやってくる。

 そしてカウンターに入ってお皿を洗い出した。

 あたしはビールをぐぐっと飲んで、きゃー美味しい、と手でカウンターを叩いた。

「臥せっている間禁酒してたんで、ビールも久しぶりー」

 グラタンも美味い。ビールは最高。目の前には美形が二人。うーん・・・生きててよかった、あたし。

「何があったの、薫ちゃん」

 岡崎さんが聞くから、あたしはグラタンを口に放り込みながらにやりと笑った。

「うちの親父・・・えー、父が見つかったんです」

 親父と発言したのをちゃんと聞いていたらしい岡崎さんが苦笑する。

「お父さん?」



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