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 多少高級ではあるかもしれないが、要人がお忍びでくるってほどではないんだろう、この警備程度なら。

 あたしは安心して、さっきランドリー室という部屋で見つけた従業員の制服を身に付けた。ちゃんと分類して棚に直してあり、どうみてもこれは掃除のおばさん用だろうってな制服を発見したのだ。

 そしてたまたま通りすがった本職の掃除人の格好を詳細覚え、同じように装備品を持った。

 そして、もう後は開き直り、やたらと堂々と館内を歩き回った。まず、目標を見つけないといけない。

 館内の地図を頭の中で描きながら、スポーツジム、レストラン、談話室と確認していく。

 畜生、広いな・・・。どうしろってーの、これ以上?清掃人の持ち場から大きく外れてませんように、と真剣に祈った。

 そして多少焦りだした頃、館内にお昼の12時になるらしいチャイムが鳴り響いた。

 その耳に心地よいハープの音を聞きながら、あたしは泣きそうになっていた。

 ぐったりと壁にもたれる。ううー・・・どうしたらいいんだ。甲田本人も、奥方も見つからない。

 ところがここでラッキーがあたしに振ってきた。

 うんざりして見渡したその先に、あれだけ探しまくった甲田本人が歩いてくるのが目にうつった。

 見つけられなかったけどジムにいたらしく、汗を流してそれをタオルで拭きながらこちらに向かって歩いてくる。手首にはロッカーキ−。あたしの後ろ側にはスパの入口。

 ・・・オッケー、今からバスタイムなのね。それで、汗を流したのち、昼食、と。

 あたしは背を丸めて床に落ちているゴミを拾う振りをしながら、甲田が近づいたのを見計らっていきなり振り返った。

 ドンっと甲田にぶつかる。

 あたしは男の手首だけに集中していた。甲田の左手首に巻かれたロッカーキーのバンドを、腕時計の要領でしゅるりと外す。

「あ・・・これは申し訳ありません!」

 頭は上げて、驚いている甲田氏を見詰めて申し訳なさそうな顔を作った。おお、確かにギラギラしたって感じの男性だ。

 その間にもあたしの右手は忙しく動き、さっきフロントからくすねておいた別のロッカーキーを甲田の手首にぶら下げる。

 驚いた甲田の顔に苛立たしげな表情が浮かんだ。掃除の人間にぶつかられたことを不快に思ったのだろう。

 舌打ちこそしなかったが、しそうな表情であたしを一瞥し、通り過ぎようとした。

「あ、お客様、落ちますよ」

 甲田の手首にぶら下がっただけの入れ替えたロッカーキーを、さも今気付いたかのように言った。

「あれ?」

 甲田は不思議そうに見たけど、そのままバンドを閉め直して行ってしまった。

「どうぞごゆっくり〜」

 あたしは後ろから声をかける。

 ホント、ごゆっくりどうぞ。お願いだから、あたしの仕事中戻ってこないでね。


 ここのスパには全てが揃っているから、貴重品ロッカーには一々戻らないでよくなっている。それは館内のサービス案内を読んで知っていた。

 あたしの制服のポケットには甲田のロッカーキー。

 とりあえず、難関クリア!


 これからは急がないといけない。

 あたしはパッと清掃カートから新しいタオルを3つと洗剤を引っつかむと、ガンガン男性更衣室へ入って行った。

 そして甲田の貴重品ロッカーを開ける。

 質の良い財布に心惹かれたけど、自分を叱咤してスマホだけを手にとった。

 奥方が調べてくれたらしい暗証番号をタッチパネルで入力すると、確かにオープン画面が出てきた。ポケットに入れておいた滝本がよこした機械とスマホを繋ぐ。

 画面がダウンロード中と出ているのを確認して、機械をそのままにロッカーを閉め、そこらへんを洗剤とタオルで拭きだした。

 ついでだから丁寧に掃除する。

 利用する客が来るたびに、愛想よく微笑み清掃中です、ご迷惑おかけします、と繰り返す。

 時計で10分が過ぎたのを確認してロッカーを開けると、ダウンロード終了と文字が光っていた。

「よし」

 思わず声を出して機械を回収する。全てを元通りにしたあと、ついいつもの癖でタオルでスマホと周辺を拭き、あたしの指紋を拭き取った。

 そして笑みを浮かべ会釈を繰り返しながら、出来る限りのスピードでランドリールームへ戻る。

 隅に隠しておいたあたしの服に手早く着替え、ボディバッグに機械一式を仕舞う。

 長居は無用だ!制服はそのままランドリーケースに突っ込んで、するりと部屋を抜け出した。

 ドキドキとうるさい心臓をなだめて、あたしはさっと従業員ドアから施設の中へ出た。

 大丈夫、見咎められなかった。

 ふう、と小さく息をついて、フロントの前を通り過ぎながら実にさりげなく甲田のロッカーキーを落とした。上手いこと影の中に転がったから、しばらくは見つからないだろう。

 甲田が自分のロッカーキーじゃないと気付けば、頭を捻りながらフロントに来るだろうと予想していた。

 スタスタと歩いて、そのまま2階のレストスペースまで階段で上がる。

 従業員の出入り口では帰りは鞄の中をチェックされていた。備品などの持ち出しがないか確かめる為だろう。そして客用の入口は防犯カメラと警備員。ここを利用しそうにない格好のあたしが車も寄せず連れもないままに出て行くと、怪しまれそうな雰囲気だった。

 客の番号なんて聞かれたら面倒臭い。

 さっき館内を歩き回っている時に、脱出はここからだな、と目をつけていた所があったのだ。

 煌びやかな女性トイレの隣に設えられているパウダールーム。ここの一番奥の部屋は窓があって、それを乗り越えたら有刺鉄線の塀、それをクリアすると裏の山に逃げられる、と判った。

 今が昼食時なのがタイミングよく、パウダールームには2人しか見当たらず、奥のブースは空いていた。

 あたしは続くラッキーに感謝しつつ、一番奥のブースに入り、目隠し扉を閉める。

 滝本が寄越した機械からデータチップを抜き取り、服の中に縫い付けたポケットに仕舞った。

 そしてボディバッグを担ぎ、窓を開ける。二階の窓から下界を見下ろした。

 ・・・・有刺鉄線まで1メートル落下、そこから地面まで3メートル落下ってとこかな。

 目で高さを測って、そろそろと窓から身を乗り出した。あたしの体がやっと通れるほどの小窓だった。

 バッグが引っかかって、うまく抜けれずイライラする。

 ダメダメ、深呼吸よ、薫。落ち着いて。

 力をいれて窓から体を抜き、窓枠にお尻をのせて体を固定した。

 ・・・・よし。難しいのが、ここからだ。

 あたしは呼吸を繰り返して緊張を解いた。

 山からの緑の匂いの風が降りてきて顔に当たる。成功するイメージトレーニングを3回ほど頭の中で描いた。

 大丈夫・・・大丈夫・・・あたしは綺麗に宙返りをして、あそこに落ちる。大丈夫・・・大丈夫・・・。

 助走できないのが本気で辛かった。窓枠を蹴るだけでどこまで飛べるか・・・。

 手の平の汗をズボンでふいて、呼吸を止めた。

 そして空だけを見て、窓枠を両足で蹴って、空中に飛び出す。

 ・・・届かないか!?有刺鉄線が間近に迫るのを視界の端にみて、無理やり体を捻った。

 空中で一回転をし、有刺鉄線で胸下を掠って、あたしの体は草原に落下した。

「・・・・・いったああああ〜・・・・・」

 体が打ち付けられた衝撃で動けずに、しばらくじっと転がっていた。

 草が顔をサラサラと撫でる。

 あたしは痛みと戦いながら、ゆっくりと体を起こした。

 ・・・・何とか、脱出は、成功・・・・。だけど――――――

 右手の平にぬるりとした生暖かい感触があった。

 ・・・畜生、有刺鉄線、あとちょっとで避け切れなかった・・・。右胸の下に刺さり、体重と重力で無理やり落ちたんだった。約5メートルの距離を落下。そりゃあ痛いわ・・・。

 骨を折ったりはしてないのが不幸中の幸いね。打った場所のあちこちを確かめる。

 機材の入ったボディバッグの重みが計算に入ってなかった。あたしの体重だけだったら、見事にジャンプ出来てたはずだ。

「・・・いってぇ・・・」

 よろよろと立ち上がった。とにかく、ここを立ち去らねば。

 ・・・もう、刺した上に、全身打撲だよ・・・。出血のせいで出てきた汗を腕でぬぐって、あたしは少し離れた草原に隠れて座り込む。多分、建物からは見えないって位置に。

 服を持ち上げ、バッグからウェットティッシュと絆創膏を出して、とりあえずの処置をした。血がついた服はしまって、替えのTシャツを出す。

 汗をかいた時用に持って来ていた物だったけど、役に立った・・・。

 そして鎮痛剤を口に放り込む。これは生理痛用に持ってたもんだけど、ちゃんと鎮痛剤として役に立って貰うぜ。

 暫くじっとしていた。

 30分ほど寝転んでいて、薬が効いてきたのを確認してそろそろと動き出す。

 畜生、滝本のバカ野郎!善良なスリをこき使いやがって。あの野郎〜!

 荒い呼吸のまま、遠回りして山道に出て、時間をかけてゆっくりと公道まで降りた。




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