1、「誰にも言いません」
翌日。
ビール効果でかその後はちゃんと眠れたので、朝の日課のエクササイズも済ませた後、癒しが必要だとあたしは岡崎さんのカフェに行った。
朝の8時半。いつもより1時間くらい早い時間帯だから、席空いてないかも、と思いながらカフェのドアを開ける。
店内の涼しい風が吹きつけて、一瞬呼吸が楽になった気がした。
「あ、薫さん。おはようございまーす!」
ラプンツェル姫こと朱里ちゃんが、あたしに笑顔と挨拶をくれる。
あたしもにっこりと笑って挨拶を返す。
「おはようです、今日も素敵ね、ラプンツェル」
カウンターの中で岡崎さんが眩しい笑顔と共に会釈をしてくれていた。
残念ながらあたしの定位置であるカウンターの端っこは塞がっていたので、外に向いて座る窓際のカウンターへ足をむけた。
「薫さん、おはようございます」
久しぶりに顔をみたフリーターの由美ちゃんが、あたしにおしぼりと水を持ってきてくれた。
金髪に染めた髪の毛を頭の上でお団子にするいつものスタイルで、お久しぶりですと笑う。
今日は守君は学校かな、と思いながらモーニングを注文すると、由美ちゃんが体を寄せてきてあたしに囁いた。
「薫さん、守君と何かありました?」
「へ?」
あたしは怪訝な顔で振り返った。
気がつくと、ラプンツェルも岡崎さんもあたしをじっと見ているようだった。
忙しいはずの朝のカフェで、店員が全員手を止めてあたしに注目している。
・・・ダメだろ、それ。心の中で突っ込みつつ、由美ちゃんに笑顔を向けた。
「何の話でしょう?」
由美ちゃんはちらりとカウンターの中の岡崎さんを振り返った。岡崎さんは悔しそうにいつもあたしが座る場所に座っているサラリーマンを見ていた。
・・・あたしがあそこに座ってれば、話を聞くのは岡崎さんだったのね、と判った。
「守君、一昨日の夕方バイトに来た時からずっとそわそわしっ放しで、どうしたのって聞いても上の空なんです。それで昨日、朱里ちゃんが聞くと、薫さん来ましたかって聞いたとかで」
ただ常連ってだけのハズの女の人の名前を出して挙動不審の守君を、皆は好奇心丸出しで心配(?)したらしいが、そこから守君は何も教えてくれなかった、と声を潜めて由美ちゃんが言った。
お目目がキラキラしている。
あたしは、さあ?と微笑んで、モーニングを催促した。
「今日はこれから約束があるので」
「あ、はい、すぐ用意します」
由美ちゃんはカウンターに飛んでいく。注文を伝えながら、岡崎さんにダメだった〜っと言ってるんだろう事が簡単に予測出来た。
守君、挙動不審・・・・。
あれ?何でだろう。あたしが書いた手紙には、「泊めてくれてありがとう。飲ませすぎてごめんね。今日も学校とバイト頑張って」としか書いてない。
・・・おかしくないよね?普通のことよね?どの辺に、挙動不審になるようなことがあった?
一人で頭を捻っていた。・・・判らない。もしかして、裸のまま放り出してきたのがマズかった?純な青年はその点何か誤解している恐れもあるよね。
腹の底から笑いがこみ上げてきた。
挙動不審の守君。
・・・・・・ぷっ。
手で口元を押さえて肩を震わせていたら、今度はラプンツェルがすっ飛んできた。
「気になります!教えて下さい、薫さん!」
「あははははは」
つい声が出てしまった。
朝の騒がしいカフェだったからそんなに目立たずに済んだけど、あたしの爆笑をカフェスタッフだけはジリジリと見詰めていた。
コーヒーの素敵な香りと腹の底からの笑い。何ていい所なんだ、ここは!あの正体不明の怪しい滝本から受けたストレスが、一気に吹っ飛んだ。
「薫さーん!」
ラプンツェルがジタバタと催促するのを、あたしはレジの方を指差す。
「姫、お客さん帰るみたいだよ」
彼女は悔しそうに唸ってから、レジに向かった。
あーあ、楽しい。しかし、このメンバーにどう言ったらいいんだろうか。まんま説明じゃ面白くないしな・・・。
「お待たせしました」
今度は何と岡崎店長が自ら来た。・・・・どんだけよ、この店。
「ありがとうございまーす」
目の前に置かれた幸せなモーニングを見詰めて岡崎さんを無視すると、何とイケメン店長は身を屈めてあたしの耳元で囁いた。
「・・・焦らさないで、教えて薫ちゃん」
肩のあたりに岡崎さんの艶のある黒髪が来て、流石に照れた。うわお、贅沢な朝だわ、今日は。いくらあたしでも、これは胸キュンだ!
「岡崎さん、ファンの女性が怒りますよ」
あたしは店内を見回してこちらをチラチラと見ているOLさん達を確認した。
岡崎さんは身を起こして笑った。
「どうやったら教えてくれるかな、と思って。うちの守君をあれだけ動揺させた女性客は薫ちゃんが初めてだよ」
・・・・うーん。このイケメンが、現在は男性と付き合っているのか・・・。
勿体無い。
ついしげしげと見詰めてしまった。爽やかさと色っぽさが混じった恵まれた外見の岡崎さんは、悩殺スマイルであたしを見ている。
超勿体無い。
あたしはにっこりと微笑んで、耳貸して下さい、と岡崎さんに言った。
岡崎さんは瞳を煌かせてまた長身の体を折り、あたしの口元に耳を寄せた。OLさん達は悔しく見ているんだろうなあ、と思った。うひゃひゃ、やり〜!
つい笑いそうになるのをぐっとこらえる。
両手で口元を覆い、こっそりと囁いた。
「・・・木曜日、守君に晩ご飯付き合ってもらったんです」
「うん」
「その時、あたしが飲ませ過ぎてべろべろに酔っ払った守君が、岡崎さんの秘密を喋っちゃったんです」
ぴしっと音がしたみたいに、岡崎さんが固まった。
意味は通じたんだな。
あたしは岡崎さんの耳元から離れて、岡崎さんの肩をポンポンと叩いた。
「それを気にしてるんだと思いますよ、守君。でも大丈夫、誰にも言いません」
忙しく動きながら、ラプンツェル姫と由美ちゃんがこちらを気にしているのがよく判った。
首尾よく店長は聞き出したみたいだけど、何で固まっているの?などと思っているんだろう。
体を起こして、コホンと咳払いをした岡崎さんは顔が引きつっていた。
「・・・えー・・・。それは、どうも」
あたしはまた笑いをかみ殺すのに苦労した。
「あたし、別にいいと思うよ。友達にもいるもん。女同士も、男同士も」
それは嘘だが、それくらいの優しい嘘は構わないだろう。岡崎さんの性癖をとやかく言うつもりがないのは本当なのだから。
その嘘は岡崎さんには効いたようだ。
あからさまにホッとした表情で、綺麗に色っぽく微笑んだ。
「・・・そうなんだ?それを聞くと嬉しいね。薫ちゃんに引かれると、傷つく」
「相変わらず素敵ですよ、岡崎さんは」
あはは、と笑って、岡崎さんは一礼した。
「済みません、お邪魔しました。仕事に戻ります」
「あ・・・岡崎さん、守君を責めないで上げて下さい。飲ませまくったあたしに責任があります」
あたしの言葉に岡崎さんはまた爽やかにあははと笑った。
「怒ったりしませんのでご安心を。元々俺が口を滑らせたのが原因でしょ」
端から見たらきっと、やたらと爽やかな会話をしているようにみえることだろう。実際は中身はゲイの話なのだけど。
「ごゆっくりどうぞ」
「はい」
多分、守君の部屋に行って泊めてもらい、裸の彼をほったらかしにしてきた、と言った方が彼らは喜んだだろう。だけどそれはまた次のお楽しみだ。
あたしはまだ笑いが止まらないままで、外を向いてご飯を食べる。
ああ、何て楽しい場所なんだろう。
壁の時計を見上げた。・・・9時前。
食べたら、ちゃんと気を引き締めないと。あたしは今日、ただのスリではなくなるんだ。失敗したら、確実に警察行きなことをする。
いつまでもニタニタ笑ってられない。
うし!と気合を入れて、美味しいコーヒーを流し込んだ。
背中に視線を感じる。あのOLさん達が出て行く前に、あたしが逃げることにしようっと。
伝票を持って、席を立った。
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