A


「・・・・・予想を裏切るのが好きなの」

 一瞬、滝本の目の中に何かがよぎった。だけどあたしはそれがよく判らなかった。

 すぐに滝本は表情を変えて、判った、と頷いた。

「協力するために来たんだと思っていいんだな?」

「そう。逃げるのは面倒くさいし、あたしはこの街が気に入っている」

「ああ、かなりいいところに住んでいるわけだしな」

 滝本がまたうっすらと笑った。

 その言葉で、やっぱり昨日あたしの家まで突き止めたのだな、と判った。

「あなたから逃げつつこの街で仕事をするのは大変だと判ってる。だから、来たの」

 突然、滝本はニコッと笑った。

 あたしはビックリする。・・・おや、そんな顔も出来るのか。雰囲気がガラリと変わって、爽やかな青年に化けたようだった。

 ・・・って、観察してる場合じゃないわよね。

「あたしを使いたいと思っている件の話を聞くわ」

 滝本は、両手をあわせて顔の前ですり合わせた。もういつもの柔和で読めない表情に戻っていた。

「・・・いいだろう」

 では、と立ち上がって、ドアに向かいながら言った。

「待っててくれ。資料を取ってくる。それと、悪魔の飲み物」

 ん?とあたしは聞き返す。

「悪魔の飲み物?」

ドアのところで振り返って、眼鏡の奥の目を細めて笑ったようだった。

「誉田が淹れる、ドロドロの、熱過ぎるコーヒー」

 ・・・なんつーネーミングだ。


「行き詰っている件があってね」

 あたしの前に依頼主に見せるんだろう報告書と写真が置かれた。

 あたしは椅子の上で両膝を抱えて膝の上に顎を載せた状態で聞いている。

 滝本の前には「悪魔の飲み物」(確かに不味そう)、前かがみになって写真の男を指差した。

「甲田勝、39歳、ベンチャー企業のワンマン社長だ」

 あたしは写真を眺める。ふん、負けず嫌いそうな顔した男だ。写真では犯罪者のように写るが、動いている本人を見たら格好いい男なんだろうな、と思う顔をしている。

「調査内容そのものは簡単なんだ、所謂浮気調査。妻は甲田が浮気をしている証拠が欲しい。法廷に持ち込んだら慰謝料がたんまり貰える程度の証拠が」

「うん」

「浮気はしている。それは確実だ。だけど、相手の女性の姿形が全く見えないんだ」

「うん?」

 ハッキリと判ってるのに相手が見えないてどういうことよ?

「やつは、消えるのがうまい。妻が調査依頼をしているのを知っているのかと思うくらいに綺麗に消えてしまうんだ、毎回。ヤツが宝飾品や花束を買う。それは妻の手にはいってない。夕方から消えて、早朝家に戻る。だけどその間の足取りが全く掴めない。本人は妻に仕事だと説明するが、その理由に指定している仕事場所には存在していない」

「・・・・調査してるのがばれてるんじゃないの?」

 だから、巻かれてるんじゃないの?と、当然の事と思うことを口にしたら、それはないだろう、と返って来た。

「離婚を望んでるんじゃないなら、調査されているかと思う時点で普通は大人しくなる。もしくは妻に何かしてるのかと問い詰める。離婚を望んでいるなら、男の方からここまで来たりすることもあるが、その前に、当たり前だがバレないようにこちらは動くし、バレてたら商売にならない」

 ・・・・ふーん。そういうものなのか。

「だけどそういう事もなくて、週に一度はフッと消えてしまう。自分が調査されていると思ってないのにあれだけ綺麗に消えるということは―――――――」

「・・・・ってことは?」

 滝本が微笑んだ。

「相手の女性が、ヤバイ人なんだと思う」

「―――――」

「相手が、立場のある人間か、立場のある人間を夫に持っている場合、浮気するのにも非常に気を遣うだろう。自分のことではなく相手のことを考えて、隠密にせざるを得ないのかもしれない」

「・・・成る程」

 大人の世界って、めんどくせー。そんなことまでして浮気をしたいものなんだろうか。あたしには判らない。

「・・・浮気って、そんなにいいの?」

 滝本が顔をあげて苦笑した。

「俺に聞くなよ。・・・・まあ、ここに持ち込まれる相談の8割が浮気調査だと思えば、人間て生き物は理性があっても所詮動物だってことなんだろうな」

 8割も?あれまあ・・・。

「それで?あたしはいつ出てくんの?尾行とか出来ないよ、あたし」

「勿論、君には得意なことで役に立って貰わないと。甲田の持ち物を盗んで欲しいんだ」

 サラッと言うね、それって犯罪でしょうが・・・。いいのか民間人、そんなやり方で。あたしは少々呆れた。

「・・・何を盗るの?」

「スマホ」

 あたしは滝本を見た。相変わらずの薄笑いを浮かべて、彼はゆっくりと言った。

「・・・正しくは、スマートフォンに入っている甲田のスケジュールだ。そのデータが欲しい。いつ会うかの約束やらなんやらをヤツは全てスマホ一台で管理している。盗聴も出来ないし、予想も出来なくて、今まで巻かれてた。ヤツの予定、電話の相手、自由時間がいつかを知りたいんだ。この件にばかり時間を取られるわけには行かないし、他のメンバーも忙しい」

 あたしは片手で瞼を押さえた。

 あ〜・・・眠くなってきた。集中力が切れてきたんだな。寝不足だし。面倒臭い、しかも危ない話を聞いて、頭がショートしたようだった。

 手で一応口元を隠して欠伸をした。

 あたしも「悪魔の飲み物」必要かしら。・・・・いや、ここを出たらいつものカフェに行こう。そして岡崎さんの淹れたスペシャルを――――・・・

 と考えていたら、昨夜聞いた岡崎さんの秘密を思い出して、そのついでに笑い転げる守君も思い出して、つい笑ってしまった。

「・・・余裕だな」

「あ?」

 滝本の声で我に返った。やば、あたしったらトリップしてたわ。

 前の席に座った滝本は前かがみで膝に両腕をおいてこちらを見ていた。朝日を浴びて少し茶色の入った髪が光る。

「欠伸をして一人で笑ってる。余裕だな、君は」

 全然別の事を思い出し笑いしていたなんて言えねーよな。あたしはコホンと空咳をする。

「いつから始めればいい?」

「いつからなら君の準備は整うんだ?」

 聞き返されて、考えた。

「明後日」

 滝本は少し首を傾けて、判った、と言った。

「こちらも準備しておく。明後日の朝、10時にまたここへ来てくれ」

「了解」

 あたしはよいしょ、と立ち上がって、ドアに向かう。その時ふと興味が沸いて、振り返って滝本を見た。

「・・・ねえ、バイセクシャルって知ってる?」

 彼は椅子に座ったまま体をひねって振り返った。

「何だ?」

「男も女も愛せる人、知ってる?あなたどう思う?」

「・・・言葉としては知っている。特に何とも思わない」

 あたしはドアに手をかけた状態で更に聞く。

「本当に?何とも?」

 眉を顰めて滝本が言った。

「・・・何が言いたいんだ?敢えて言うなら彼らは特殊な人間だってことだけだ。それはそれでしんどいだろうな、とかな。俺は、野郎に興味はない」

 あたしはつい笑う。・・・野郎に興味はない、だって。女にも大して興味なさげじゃんかよ。

「じゃ、明後日」

 あたしがドアを開けるのと同時に、また滝本の高めの声が聞こえた。

「すり鉢姫、出来れば、俺の免許証返してくれないか?車に乗れない」

 ・・・あれだけ法律違反おかしてるくせに、何が車に乗れない、だよ。あたしは振り返って、ふんわりと微笑んだ。

「ダメよ。切り札は、いつでも必要なんだから」

 そしてドアを閉めた。

 飯田さんて男の人も誉田さんも居なかった。

 湯浅女史が会釈するのにあたしも返し、事務所を出た。


 岡崎さんのカフェに行くのは非常に魅力的な案ではあったけど、取りあえず酷すぎる眠気を解消しようと思って、自分の家に戻ることにした。

 高層マンションは金額も高いだけあって、入口にも守衛もどきの管理人がいるし、住人の許可なしには入れない。

 だけど、あたしの仕掛けた罠は発動していた。

 ドアの上辺に挟んだ髪の毛が消えている。ドアを開けたところにまいていた小麦粉に足跡の一部がくっきりと残っていた。

「・・・不法侵入までしたってか」

 くそう、あの男。一体どうやって入ったんだよ。一応だったのに、まさにやられてるんだもんな・・・。

 あーあ、鍵取り替えなきゃダメだ。今までは普通に暮らしてたけど、これからは犯罪者である自覚を持てってことなんだな。畜生。

 その足で電話に直行して鍵屋に夕方来て貰う手配をし、あたしは自分の大きなベッドに寝転がった。

 そして、すぐに眠りに落ちた。

 鍵屋が来てインターフォンを鳴らすまで、ひたすら眠っていた。

 結局、岡崎さんのカフェには行かなかった。今日はエクササイズもしてないし、明後日のスパイもどきになる為に集中力を高めておく必要があったから。財布ではないものを盗るなら、イメージトレーニングもしておかなきゃ。

 満月が出ていて、部屋はローソクの灯りだけにして、あたしはまた逆立ちをしている。

 ラベンダーのお香を焚いていて、逆立ちのままつらつらと考え事をしていた。

 そういえば、カモは男ばっかだけど、あたしの生活に男が入ってきたのは随分久しぶりだなあ〜・・・と思った。

 大学時代は、自活生活になるまでは遊んでいた。たいていのことはやってきたし、男の子と付き合ったりもした。

 だけど、それだってやっぱり夢中になって恋愛したとはいえない。あたしには実生活を明かせない理由が横たわり、善良であろうがなかろうが、とにかく一般市民とはあまり深く関われない。スリだって身分を隠して結婚している人も普通にいるだろうけど、あたしはそんな器用なこと出来そうにない。

 可愛い年下君と怪しい年上の男。

 ビジュアルはどちらも素敵。美形というのではないが、個性が発揮されていて、何というか、魅力的なのだ。年下は生真面目なのが玉に瑕。年上は全てが怪しくて癖がありすぎるのが難点。

 うわあ〜、カモとしてでなく、男性を見たのが久しぶりなのかも〜。

 あたしはつい笑ってしまった。

 逆立ちをやめて真っ直ぐに立つ。次は、筋トレだ。

 そういえば、滝本は親父のことを知っていた。親父にヤツのことを聞いてみるほうがいいかもしれない。そしたら、何か情報が得られるかもしれない・・・。

 情報、もしくは、弱み。

 明日は一日、滝本の後を付回すつもりでいた。あっちにはあたしの全部がばれてるのに、あたしは何も知らないなんて、ムカつく。

 せめてお相子に、住んでいるところくらいは知っておきたい。

 この件が終わったら・・・・。あたしは伸びをして、背中の筋肉に意識を集中する。

 親父を捕まえる努力をしなきゃ。

 ・・・・まだ、死んでなければ、だけど。




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