1、「・・・・・予想を裏切るのが好きなの」@
大量の酒が祟って、まだ早朝に目が覚めた。
ベッドから降りて守君を踏まないようによけ、冷蔵庫から水を出してラッパ飲みした。
あー・・・今何時だろ。
守君の放り出したままの腕時計を見ると、5時半。・・・ま、一応それなりには眠ったか。
守君は毛布にくるまれていて、茶髪が少しだけかけ布団から覗いて朝日にキラキ光っていた。
この子に彼女がいないわけないと思うけど、そういえば昨日聞いてないなあ〜・・。
思わずじっと寝顔を見詰める。
・・・可愛い。
まあでもこの生真面目な青年が、彼女がいるなら他の女を自分の部屋に入れるはずはないだろう。きっと、多分。
守君、ダメだよあたしなんかに構ってちゃ。
少し苦笑して、彼の頭を撫でる。ふわふわの髪が指に柔らかかった。
あたしは少し切ない気持ちになってしまって、慌てて頭を振った。
・・・ダメダメ、あたしは犯罪者なのだ。善良な一般人と恋愛は出来ない。
洗顔をして軽く化粧をし、身支度をした。
そしてぐっすり寝ている守君をそのままにして、簡単な置手紙を残し、あたしは部屋を後にした。
さて。
朝日の下で思いっきり伸びをする。
あたしは、あの男と対決だ。
滝本と名乗った男に捕まった都心まで電車で出た。
そして目についた喫茶店で朝食を済ませ、9時になるのを待ってぶらぶらと男の調査会社へ歩いて行った。
大体の道順は覚えていた。
この会社が開くのはいつか知らないけど、入口で待ってりゃ誰かくるだろ、と思っていくと、何と、もう開いていた。
昨日はお尻で滑り降りた階段を上がって、盗撮された入口のドアを左手で押す。
開けてみると、昨日は誰もいなかった雑然とした机3つそれぞれに人が座っていた。
パッと顔を上げて微笑んだ女性と、奥二つの机に座るだるそうに顔を上げた男性と勢いよく振り返った男性。
一斉に注目を浴びて、あたしは一瞬立ち止まる。
「いらっしゃいませ」
中年の女性がニコニコして立ち上がって言った。
「依頼ですか、それとも相談で?」
あたしは曖昧に微笑んで、滝本が昨日座っていた大きな机を指差した。
「滝本・・・さん、は、いらっしゃいますか?」
女性はきょとんとした顔になり、今度は前方に座っていた男性が笑って近寄ってきた。
「あ、ボスにご用ですか?まだ来てませんけど、お待ちになりますか?」
もみ手でもしそうな勢いだった。
20代後半?愛嬌のある顔。口も手も軽そう、とあたしは前で笑う男性を見上げる。
・・・・ボスって。
どこだよここは。昨日の滝本の並べた洋名といい、外国映画かなんかにかぶれてるの、ここの人?
「待たせてもらっていいですか?」
あたしの返答に、男は更に笑顔を大きくして頷いた。
「ではこちらへどうぞ」
一つしかない別室に案内された。
窓のブラインドを上げて、明りをいれると、お茶持ってきまーすと軽く言って、出ていった。
・・・軽い。何だ、あの男。
あたしはちょっと呆れて首を捻る。
それなりに緊張してきたのに、いきなり肩透かしをくらった気分だ。
「お待たせでーす!」
同じ男が同じノリでお茶を手に入ってきた。
「ボスが来るまで俺がお相手しまーす!誉田っていいます!」
声も大きい男だ。あたしは会釈を返すだけにする。つい手首を見て腕時計をチェックしてしまった。
身長175センチほどかな。財布はジャケットの内ポケット。ぺらぺらとよく喋りそうな男。敬語とタメ語が入り混じっていて、社会人とは思えない。
「ボスのお客様ですかー?それとも個人的な知り合いってやつ?」
断りもせずに前の椅子に座って、やたらと大きな声で聞く。
「・・・・・お客さんでは、ないです」
あたしがそう言うと、彼は目を見開いて叫んだ。
「もしかして、彼女っすかー!??」
・・・・・デカイんだよ、声が。
あたしは思わず眉をしかめる。うるせー、この男。こっちは酒が抜け切ってない上に寝不足なんだってーの。
「・・・違います」
「客でもなくて、彼女でもない!?えーっと、それじゃあ〜・・・」
ぺらぺらと喋る彼から目を離して、パッと入口の方を向いたら、誉田と言った男も、え?と振り返った。
そして別に異常もないことを知ると、不思議そうな顔をして顔を元に戻す。
あたしは笑いそうになって口元を押さえた。
「えーっと・・・?何か、ありました?」
「いえ、何も」
「・・・そうっすか?」
「はい、何も」
あたしが笑っているのを、よく判らないままで見たあと、自分も笑うべきかで悩んでいるみたいだった。
その時、入口から冷たい声が振ってきた。
「―――――バカ者」
二人で同時に入口を見た。
ドアのところにはいつの間にやら滝本が立っていた。
黒いジャケットの中には白いシャツにノーネクタイ。昨日盗り損なった時計、砂色のパンツ、黒いローファー。少し色の薄い黒髪を真ん中で自然に分けている。
相変わらずマネキンのような外見だ。ファッション雑誌から抜け出てきたシャープな線のイラストみたいだった。
口元にはうっすらと笑みが浮かんでいるが、眼鏡の奥の目が笑っていない。その細めた瞳は真っ直ぐに誉田を見ていた。
「ボス!」
あたしの前に勝手に座っていた誉田さんが、立ち上がってまたも大きい声で叫ぶ。
あたしは椅子にゆったりと座りなおし、真っ直ぐ滝本を見た。
滝本の後ろに後の二人も来たようで、何事かと応接室とかかれたドアから覗き込んでいる。
滝本は長いため息をついた。
そして誉田さんにうんざりしたような表情を見せると、ゆっくりと言い聞かせるように言った。
「・・・・誉田、ボスとは呼ぶなと何回言わせるんだ」
「だって、その方が格好いいじゃないっすか」
誉田君、一向に気にせず。入口に来た男女が口元を緩めている。恐らく毎朝繰り返されているのだろう。この不毛な会話。
「具体的には、あなたは何なんですか?」
あたしはさらっと口を出した。
全員が一斉にあたしを見たあと、まず女性が、その後男性が、そして誉田さんが言った。
「社長です」
「所長」
「ボスです!」
そして滝本は肩を落としてだるそうに言った。
「持ち主で、責任者で、教育係。名称は何でもいいが、ボスだけは却下だ。誉田、それよりお前はまだ気付かないのか」
「はい?」
滝本が、あたしを指差した。
「彼女に、財布、スられてるぞ」
へ?とマヌケな声を出して、誉田さんは自分のジャケットを上から叩いた。そしてまた大声で叫んだ。
「あれー!?俺の財布、ねえー!」
・・・何だ、見てたのか。あたしは舌打ちをして、自分と椅子の間に挟み隠していた彼の財布を取り出した。
「お返しします」
え?と誉田さんがあたしを見詰めた。あとの男女もあたしをじっと見ている。
滝本が部屋に入ってきながら言った。
「紹介しよう。彼女は野口薫さん。すり鉢姫だ。こちらは端から湯浅、飯田、そして誉田」
湯浅さんと指された女性と飯田さんと指された男性は頷いた。誉田さんだけ意味不明って顔にかいている。こいつは新人か?
あたしと他のメンバーを見比べて、ぽかんとした表情のまま聞く。
「すり鉢姫って、何すか?」
湯浅女史があたしを興味深げに眺めながら説明する。
「女性のスリってことよ、誉田君」
そして今度は40代前後くらいの、飯田さんと呼ばれた男性が。
「・・・日本のスリは昔から、すり鉢に砂を入れたもので指を鍛えたんだ。それで、女スリのことをそう呼んだりする」
他にも呼び名はたくさんあるんだけどな、と滝本が続けた。
「このお嬢さんは昨日、俺の腕時計をスるのに失敗した。ただし腕はいい。仕事を頼むつもりなんだ、皆そのつもりでいてくれ」
頷いた男女がさっさと仕事に戻り、まだポカンとしたままの誉田さんが取り残された。
「・・・あれ?いつの間に盗ったんですか?だって、内ポケットに・・・」
滝本が入口を指差しながら言う。
「彼女が何かに引き付けられるみたいに入口を見ただろ、その時つられてお前も見た、あの瞬間だ。さっさと消えろ」
ハッとした顔で、彼は急いで出て行った。ドアをバン!としめて。それに滝本が眉をしかめたのをあたしは確かに見た。
「・・・楽しそうなメンバーね」
さっきまで誉田さんが座っていた場所に今度は滝本が座り、肩をすくめた。
「まあ、個性的であることは認める。彼らは元々俺が雇ったメンバーじゃないから、人選の責任はないんだけどな」
「じゃあ誰が?」
あたしをチラリとみて、滝本は口元だけで笑った。
「・・・一緒にこの会社を立ち上げた相棒だ。今は辞めて、違うことをしている」
ふうん。この男に相棒が。よっぽど出来た人間なんだろうか、それともこの男に耐えれなくて辞めたのかな、などとつらつら考えた。
「さて、薫さん。昨日はどうもありがとう。お陰で俺の眼鏡も財布もヒヤヒヤしただろう」
「お礼には及ばないわ」
軽口を叩くと、それをじっと見ながら滝本が言った。
「・・・君は逃げたと思っていた」
あたしはまた曖昧に微笑んだ。
「逃げれたはずだ。俺は見事にまかれた」
次は椅子にもたれて天井を眺めた。
「どうして戻ってきたんだ?」
今度は両手をヒラヒラと振ってみせた。
滝本は返事を待ってじっとしている。
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