B
あたしは駅前で周囲を気にせず大爆笑。笑いすぎてお腹が痛くなり、咳き込む始末だった。
からかわれたと理解して守君はブーブー文句を垂れた後、暑い暑いと両手で顔に風を送っていた。
それでも諦めなかったらしい。
くるりとまた振り向いて、口を開いた。
「あの・・・何もしませんから、オレ」
さすがに噴出しはしなかったけど、にやけるのは止められないであたしは答える。
「それって複雑だわ〜。喜ぶべきなの、悲しむべきなの?」
「え・・・えーと・・・」
「ごめんなさい、あははは・・・困らせたいんじゃないんだけど」
咳払いをして、何とか頷いた。
「それじゃ、お世話になります。どうもありがとう」
「何もしません」
「はい了解です。安心してついていきます」
まいったな・・と頭をかく守君に、口の中で笑ったままでついて行った。
世間の大多数の人の中ではまだまだ小娘と呼ばれるあたしでも、21歳の守君よりは6歳も年上なのだ。
変にお姉さんぶってしまうのも仕方がないよね、と自分に言い訳をした。
守君は2つ隣の駅から歩いて10分ほどのアパートに一人で住んでいた。
と言ってもどうやら学生専用のアパートらしく、もう夜も11時だというのに各部屋には明りと笑い声が溢れていた。
週末前で、どの部屋も友達や先輩や彼氏や彼女を連れ込んでいるらしかった。
「騒がしくてすみません」
守君が謝るのがおかしかった。
道すがら、守君の実家は遠く、公務員のご両親から仕送りをして貰い、足りない分はバイトで稼いでいるという実情を話してくれた。
公務員のご両親に、半分とはいえ自活している息子・・・。‘ちゃんとした家’の息子さんなんだなあ、あたしとはえらい違いだ、と思った。
だからといって、あたしは自分の生活を変えたりはしないんだけど。
「お邪魔しまーす」
客が来る予定などなかったとは思うけど、守君の部屋は片付いていて綺麗だった。
多分、元々几帳面なんだろうな。真面目でしっかりして、子犬系美少年・・・。そんな男が本当に存在していいのだろうか。
「守君、明日は大学?バイト?」
唯一、バタバタした朝の名残だろう脱ぎっぱなしで放ってあったパジャマをクローゼットに突っ込みながら守君が言う。
「午後に1コマあって、夕方からバイトです」
―――――――そうか、よし。
「じゃあ寝過ごしても問題ないよね。飲もう飲もう!」
途中で買い込んだビールやチューハイの缶を一つしかない小さなテーブルに並べる。
「・・・薫さん酒強いんですねえ・・・」
「うん?それほどでもないよ?」
振り向いたあたしの目には呆れたような守君の顔。
「・・・だって。まだ飲み足りないっすか?」
あたしは缶ビールをあける手を止めて、下から守君を見上げた。
「――――――飲まないで、何するの?」
「え?」
彼は怪訝な顔をする。
「飲みもしないで、今から二人で何するの?」
しばらく間を置いて、また顔を赤くした守君がチューハイを手に取った。
「飲みましょう、薫さん!とことん付き合います!」
「よし、飲め大学生!」
あーあ、楽しい。善良な大学生をからかうのは本当に楽しいわあ。
BGMにテレビをつけて、小さな部屋をほぼ占領しているベッドにもたれて、二人でガンガン飲んだ。
恐ろしいほど下らない深夜番組につっこんでキャラキャラ笑う。
ベロベロに酔っ払った守君がトイレに立ち、あたしは窓を開けて空気の入れ替えをした。
夏前で昼間の気温はそれなりに上がっても、やはり朝晩は涼しい。酔っ払って熱くなった体を夜風が心地よく冷やしてくれる。
アパートの他の部屋も、ようやく静かになっていた。
―――――――・・・・さて。
明日・・・いや、今日には、またあの男を訪ねなきゃね。姿を消すのは止めたのだ。
かと言って、のらりくらりと逃げれる相手でもないだろう。
正面切っての対立が無理なら、懐に飛び込んでみるのも一手だよね。ヤツの言う、スリが必要な案件とやらの話を聞き、それからまた考えればいい。
もし――――――・・・と頭の中でつらつら考えていたら、ガタンっと凄い音がして、驚いて振り向く。
「・・・・守君、生きてるー?」
トイレから出たらしい守君がよろめいて頭をどこかでぶつけたらしく、いたたた・・・と言いながら部屋の入口に座り込んでいた。
「・・・あ、い。らいじょーぶ、で、す・・・」
―――――――――大丈夫じゃねえな。ちょっと飲ませすぎたか。
あたしは窓を閉めて、守君のところまで這って行く。彼はうう〜・・・と唸りながら壁に背を預けて目を閉じていた。
冷蔵庫から勝手に水を出して、でろんでろんの守君に、飲んで、と手渡した。彼は何とか目を開けて、ゆっくりと水を飲む。
アルコールに負けそうな時は、同じ量は無理でも大量の水を飲むこと。
たっぷり時間をかけてペットボトル一本分の水を何とか空にして、守君はふうと息をついた。
「・・・ありがとう、ございます・・・」
「吐きたかったら無理せず吐くんだよー」
あたしが言うと、ヒラヒラと手を振った。
気持ち悪いわけではないらしい。
「・・・あー・・・気持ちいい〜・・・」
むしろ、気持ちいいらしい。あたしが見ていると守君は暑い、と呟いていきなり服を脱ぎだした。
おやおや、と思っている内にトランクス一枚になって、かおるさーん、と呼んだ。
「はーい?」
部活、ワンダーフォーゲルって言ってたっけ?ううむ確かに、素敵なひきしまった体だわ。ついじっくりと観察してしまった。男の裸は久しぶりだ。
こんなに酔っ払ってなきゃかなりの色気をかもし出していそうな格好で、守君はゆっくりと笑った。
・・・・いいや、この笑顔だけで何でも差し出すお姉さんはきっとたくさんいるんだろう。
「・・・膝枕、して」
「うん?」
ヨロヨロと這って来て、膝を崩して座っているあたしの両太ももの上に、どん、と自分の頭を下ろして寝転がった。
「・・・・やわらか・・・」
そしてあたしが呆然として展開を見ているうちに、守君はそのまま寝てしまった。
あたしは指でぽりぽりと頬をかく。
「――――――・・・ま、確かに手は出してないよね」
これを何もしてない、と言えるかは知らないが。
スースーと軽い寝息を立てて気持ち良さ気に寝ている守君の頭を膝からおろし、頭の下にベッドから下ろした枕を突っ込んだ。かけ布団もおろしてかけてやる。
あたしは自分の鞄から洗面用具をだして、洗顔をしたり歯を磨いたりして寝る用意をした。
今、午前、1時46分。
あの男との対決に備えて、あたしも少し眠る必要がある。守君のベッドに寝転がった。
家主が床の上、は少し良心が痛むけど、あたしはかけ布団も枕もなしだし許してもらおう。
は、あ・・・。何と色々なことがあった一日だったことか。終わりには何故かあたしは守君のベッドの上。
そう考えておかしさがこみ上げてきたけど、笑う前にあたしは眠ってしまった。
コテン、と。
夢も見なかった。
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