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「あんなになびかない人を手に入れるなんて、見かけによらず策略家なのかしら?」

 その言葉が耳に入った瞬間、私は笑顔を続ける努力を放棄した。

 何だ、この女。失礼な。

 どうして桑谷さんを手に入れる為に私が努力するって前提なのよ。そして何故初対面の人にこんなことを言われなければならないのだ。

「・・・彼に惚れられて、追いかけられて、逃げるのに疲れたから結婚の申し込みをオッケーしたんです」

 私が口を開くと玉置さんは目を見開いた。

 それを見て私は無邪気な笑顔を浮かべる。

「中々しつこい人ですよね、彼って」

 聞きたくないだろう事が判るから、言ってやった。反応をみてやろうと。

 彼女の笑顔が消えた。そしてじっと私を見る。

 私はムカついていた。だから会釈をして歩き出す。

 何だってんだ、あのバカ女。あー気分悪い。

「小川さん」

 後ろから呼ばれて振り返るとまた玉置さんだった。笑顔が復活しているけど、その目が笑っていない。

「私は3階の文具にいるの。宜しくお願いしますね」

 そして私の返事を待たずに去っていく。

 桑谷さんと結婚しているのを知っていて、敢えて旧姓で呼んだのが判った。軽く腰をゆすりながら歩いていく後姿を眺める。

 ・・・・何だってのよ、一体。


 私は何が起こっているのか知らなかった。

 だけど、実際はこの時に戦いのゴングは鳴らされていたんだった。ゆっくりと確実に近づいて私を煩わせる毎日に飲み込まれることになる。



 その夜、先に寝ていた私のベッドに入ってきた彼に愛撫で起こされた。

「・・・うん?」

 上を向かされて熱い口付けを受け、私は目を開く。その柔らかい感触は首筋を通って鎖骨を撫でた。

「・・・寝ててもいいぞ」

 長い指を使ってあちこちを触りながら彼が言う。

「・・・・」

 これで寝れるかっつーの。この人の指にかかれば、いつだって簡単にスイッチが入ってしまうのだから。体中から湧き上がる快感に流されかけながら、私は携帯を開いて時間を確認した。

 深夜1時。

 イベント前で閉店後残業だから遅くなると聞いていたので、先に寝ていたのだ。

 つい吐息が漏れるのに、何とか言葉を出す。

「・・・明日、仕事は?」

「休み。君も休みだろ?」

 何で知ってるの、私のシフト。でもすぐに考えられなくなった。彼の大きな手と熱い唇は確実に私の意識を飛ばす。

 彼のリズムは既に私の中に染み込んで、激しく柔らかく揺さぶって乱す。最初に抱かれた時以来、抵抗なんて出来ない体になってしまったのだ。

 やり方も、その間の彼の顔も。全部私を心地よくさせた。


 夜の中で、彼が、水、と言って立ち上がった。私は息も切れ切れで、ぐったりとシーツに沈み込んでいる。

「飲む?」

「・・・はい」

 何とか起き上がって、ペットボトルから直接飲む。

 くわああ〜・・・美味しい、水がやっぱり最高だわ。体中にしみこみだすその冷たい感触を楽しんでいると、部屋着の下だけはいて、彼が隣に滑り込んできた。

「・・・ねえ」

「うん?」

「玉置さんて何者?」

 ベッドの上で私に腕を回しかけていた彼が止まった。

「・・・何?」

「玉置さんて女の人、一体何?」

 ベッドライトの灯りの中で、彼は怪訝な顔をしている。

「文具の玉置か?」

「そう言ってたわね、確か」

 彼は首をすこし傾げる。それで?って聞いてるんだろう。

 私は裸のままで寝転び、掛け布団にくるまった。回されるはずだった彼の腕は途中で止まったままだ。

「今日、バックヤードでいきなり話しかけられて、喧嘩売られたわ」

「うん?喧嘩を売られた?」

 ・・・・まあ、そう言っても差し支えないだろう。

「私を小川さんと呼び、どうやって桑谷君を手に入れたの?策略家なの?って言われた」

「――――――――」

 桑谷さんが私から目を離してため息をついた。

「・・・悪気はないと思う。何かにつけ、そんな言い方をする人なんだ」

 またあの感覚が蘇った。違和感だ。何かに反応して、ちりちりと私の胸の奥で音がなる。

 私は目を瞬いて、上半身を起こす。

「同僚って言ってたっけ?」

「そう」

「あの人と、何があったの」

 彼がゴロンと寝転んだ。両手でごしごしと顔を擦っている。そして長いため息をついた。

「・・・別に、何も」

 ―――――――ものすごーく、信用ならない。この答え方。

「怒りませんから、気持ち悪いから言って。どうして私はいきなり目の敵に?」

 彼はうう〜と低い声で唸っていた。

「・・・眠いから、明日にしないか?」

「人を起こしといてその言い草はなんなのよ。ダメ、気持ち悪いから、話して。私の夢見が悪くなりそう」

 私も唸る。

 ・・・畜生、と呟きが聞こえて、彼は目を閉じたままで言った。

「・・・あっちの店で一緒だった時、何回かモーションかけられた。だけど彼女は人妻だったし、興味がなかったから相手にしなかったんだ」

 はい?今なんて?

「人妻?あの人結婚してるの?」

「・・・してた、だ。もう離婚してる。同じ売り場の吉田さんて社員がダンナだった」

「そんな環境にいて、あなたにモーションを?」

「そう」

「恋愛ジャンキーが何かなの、彼女?」

 私の言葉に少しだけ笑った。

「・・・自分になびかない男がいるってことに我慢ならなかったんだろうと思う。玉置さんは美人だし、4年前はもっと綺麗だった。社員の間でも有名で、あっちこっちで名前を聞いた」

 その場合の名前ってのは、浮名ってことだろうな。私はぽりぽりと頬を指でかいた。

「よくダンナさん我慢出来たわね」

「出来なかったから離婚したんだろうな」

 ほお、成る程。それは頷ける。

「俺の異動が決まったとき、ホッとしたのは事実だ。玉置さんから逃げ回るのに疲れてもいたし。それがこの異動でこっちへ来るって聞いたけど、もう4年も前の話だし、会った時も普通だったから・・・まさか、地下に喧嘩売りに行くとは」

 私は裸のままでベッドを抜け出して、テキパキと部屋着を着た。とろけていた両足を叱咤して真っ直ぐに立つ。

「・・・・寝ないのか?」

 彼が私を目で追いながらそう聞く。

「目が覚めちゃった。月見するの。いいから、寝てください」

 返事も待たずに寝室を出て、ぺたぺたと足音を立てながら台所に行く。

 お茶を出してコップに注ぎ、電気もつけずに縁側に行った。ガラス戸を通して月明かりの下庭を見る。

 流石に外に出るのは寒いので、廊下にあぐらをかいて座り、お茶を飲んだ。

 ・・・・宜しくね、と言った彼女の声を思い出した。

 デパ地下と3階はほとんど出会いなんてないぞ、一体何を宜しくされたんだろう、私は。下手したら一度も会わずに済む他の階の人間に挨拶されてもどうしようもないしな・・・。

 しかし、桑谷さんが逃げ回るなんて珍しい。

 彼は何事にもハッキリと対処しているし、迷惑なら迷惑だと突っぱねそうなのに。

 と、そこまで考えて、ああ、そうか、とようやく思い当たった。

 最初に彼女の話題を出したのは店食だ。

 あの時に、そのまま続くかと思った話題を彼が黙殺で止めたのだった。それを私は変に思って、その感触が残ってるのか。違和感の正体はその時の彼の態度だ。

 ・・・話したくない人だった、んだろう。

 ってことは・・・ってこと、は。

「何も無いはずがない」

 低い呟きになってもれてしまった。その自分の言葉にハッとする。思わず片手で口元を押さえた。

 彼に聞こえたとは思わないけど、やつは油断ならない男なのだ。

 壁に耳あり障子に目ありを地でいくというか。

 お茶を飲み干して音をたてないように床へ置く。

 まだ寒い夜、私は月の少しの灯りで白く光る木蓮の花をみていた。

 ・・・・面倒くせー。

 それが正直な感想だ。

 ああ・・・面倒臭い。何か、こういうの久しぶり。大学のときにつるんでいた友達の楠本がいい男過ぎて数々の女難に巻き込まれ、私もその余波を受けたものだったけど、それを思い出した。

 誤解した女達と、誤解はしてないけれどヤツの傍にいることがムカつくって理由で私に様々な攻撃をかましたバカ女達を。

 うわあ〜・・・玉置さんがそれほどバカじゃありませんように。

 つーか、あんな美人なんだから特に男には困らないだろう。だって実際に浮名を流しまくっていたらしいし。ということは、こんな癖のつよい所帯持ちの男を今更狙うとは思えない。

 そこまで考えて、ようやく私は落ち着いた。

 うん、と一人で頷く。

 そしてお茶をまた飲んで、廊下の端につんでおいてある毛布をまきつけて壁にもたれた。

 静かな夜の中、暗い廊下で庭の花や植物の影をみていた。

 色んな考えが浮かんでは消えていく。その内に、うとうととして私は眠ってしまったらしい。

 何せ寝込みを襲われて激しい運動をした後だし、時間もすでに2時を回っているはずだった。

 廊下で毛布に包まって寝てしまった私を桑谷さんが抱き上げてベッドに運んでくれたことには気付かなかった。

 それほど深い眠りに落ちていた。







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