2、こうやって皆、続いていく。
秋が来た。
玉置さんは繁忙期が終わって秋の人事異動の前に百貨店を辞めたらしい。その後どうしたのかは知らない。だけど、あの病的な性格がちょっとはマシになっていて、彼女は彼女なりの幸せを見つけてくれてればいいなあ、と思う。
空が高くなってきた。風もよく吹くこの家は、今が一番過ごしやすい。私は毎日ゆっくりと家事をして、散歩がてら彼のお母さんを訪ね、デパ地下に行っては世間話をしている。
予定日は、何と私の誕生日に近いのだ。来年の1月の終わり。さて、どうなるか。それは、夫婦で賭けている。
私が身重なので、今年の正月は娘の見舞いと義理の息子との対面と娘夫婦の新居のお披露目との全部を兼ねて、うちの両親が沖縄から出てきた。
何と、桑谷さんは初顔合わせ。
だけど大して緊張もしてなくて、いつものように余裕気に笑っていた。家族ちっくな行事がすごくイメージ無かったけど、彼はすんなりと小川家に溶け込んだ。
元々我が家がユニークだったのもあるかもしれない。
母は笑顔満面で会うなり握手を求め、それを力強く握ってからじっくりと彼を観察して言った。
「想像していたのと同じだわ!私って凄い。あなたならまりを扱えるはずね!めげずに頑張って頂戴!」
そして呆気に取られる彼を父のほうに押しやり、まり〜!家見せてね〜!と入って行ってしまった。
私はそれを笑いながら見ていた。
父はゆっくりと歩いて行って、彼に会釈していた。
「やっと会えた。桑谷君、娘を貰ってくれてありがとう」
彼も穏やかに微笑み、二人は談笑していた。大人な会話だった。最後には一年の暮れだというのに男二人で経済論を話していた。まったく鬱陶しい。
そして、来たのだ。
ついに、この日が。残念ながら、私の誕生日ではなかった。それより早い、1月20日だった。
賭けは、私の勝ち。予定日より早いか遅いかの、単純な賭けだったから。2月になるかも、と言われていたのに、子供はどうやらせっかちらしい。
彼は仕事で不在だった。私は病院も近いこともあり、これが陣痛ってやつか!と自分でハッキリ判るまで病院に電話しなかった。
そしてゆっくりと、徒歩で歩いていく。痛みがない間に動かなきゃならないとあって、病院までの距離が恨めしかった。チャリにでも乗るか?と一度は真剣に考えたくらいだ。
頭の中で暴言を吐きまくる。だけど病院のベッドで診察を受けた時、普通に話してるわね、まだ、と助産師さんに言われて驚いた。
「え?これまだまだ酷くなるんですか?」
この、7分ほどの感覚で来ている有り得ない痛みが??私のうんざりした顔を見て、彼女はケラケラと笑う。
「まだまだよ〜!今はまだ途中ね。本格的になってきたら、全然笑えなくなるわよ。楽しみにね」
・・・笑えなくなるくらいのものを、一体どうやって楽しみにするんでしょうか。
うそん、そんな・・・これは一体何の罰?そう思うくらいに衝撃的な痛みだった。
そろそろお父さんを呼んで下さいね、と言われて、お父さんって、誰?とか思うくらいには痛みにパニくっていた。
だけど痛みに耐えるしかすることがない私は仕方なく、携帯を耳に押し付けて、息も切れ切れに彼に電話をかける。
どこにいてもすぐ取るから、と宣言していた通り、彼はすぐに電話に出た。
丁度えぐい痛みの波に耐えてる時で、私は声が出せずに苦しむ。
『・・・まり?大丈夫か?』
「大丈夫じゃねえよ!!」
思わず怒鳴ったら、見かねた助産師さんが私から携帯を奪い取り、そろそろですから病院にいらしてくださいね、と優しく告げていた。
分娩台に転がされた時には、もう、妊娠まで遡って後悔した私だった。
しくったああああ〜・・・・!!やっちゃったよ、私!何であの時中だし許してしまったんだ!?やめときゃよかった〜!!とか。
畜生、野郎はいいよな、あいつらは快感だけで終わるけど、女はその結果がこれなんだぞう!!とか。
きっと彼がいたら罵詈雑言浴びせていたに違いない。居なくて良かった、彼のために。
産むのは、超安産だったらしい。助産師さんも先生もそう言っていたから、多分そうなんだろう。かかった時間は30分くらい。
だけど私には3日くらいの苦しみに換算された。
私があんまりぶーぶー言うので、先生が、これこれ、と注意したのだ。
「赤ちゃんが一番頑張ってるんですよ!」
って。そんなわけあるかい!私は速攻で言い返した。
「私の方が絶対頑張ってます!!!」
だって、ヤツ(赤ちゃんのことだ)は今意識なんかねえだろうが!!私はリアルに意識があるんだぞう!!何賭けてもいいけど、出産で一番頑張るのは母親だ。絶対そうだ。
全国の、全歴史の中の、全ての母親に私は尊敬の念を送る。
人間てこんなに痛い思いして生まれてくるんだ、と判ったから。
感動なんてちっともする暇なく痛い痛いと思い続けてヘトヘトになり、このままだと死ぬかも、そう本気で思った。だけどその痛みがいきなりなくなり、無事に生まれてきたのは男の子だった。
私は全身で呼吸をしながら、胸の上に置かれた小さくて新しい命を見詰める。
「・・・君だったのね。私のお腹で連続23回転をしていたのは」
名前は、雅洋に決定。
そっと語りかける。赤ん坊はまだ見えていないらしい瞳を開いて、口を動かしていた。でも声に反応しているのが判った。これが、神秘なんだな。
うーん・・・。じっくりと眺める。・・・・彼の目。私の口。一体どうしてそんな似方を?多分性格や行動などはまだあったこともない親族の誰かにちょっとづつ譲り受けているはず。
色々考えていたら笑えてきた。
痛みもなくなっていた私は、あはははと声に出して笑う。先生が、おめでとう、と声をかけて出て行った。
傷口も綺麗で、これだったら縫わなくてもいいですね、ラッキーでしたねえ!と言っていた。ほんと、ラッキー。あそこを縫うなんていやだ。だって、人間の急所だぞ?そんなとこを麻酔なしで縫うなんて、それこそどんな拷問だ。
助産師さんが、笑顔で彼の到着を告げる。
私は名づけたばかりの小さな男の赤ちゃんに言う。
「用意はいい?―――――君の父親が来たってよ」
この子が。
周りも全部巻き込んで、笑ったり、泣いたり、苦しんで悩んだりして、新しい人生を生きていくんだな。
色んな場面で、空に手を伸ばすんだろうな。
私達はそれを見守って、そしていつか手から離すんだな。
子育ては、料理みたいだ。
仕込み20年の、鍋料理みたい。色んな具材は私達の遺伝子。それに彼本人が味をつけていく。蓋をしたり、火を弱めたりして、大切に見守るんだろう。ダシを足したり、スパイスを入れたりして。
私は笑う。
この子も笑っている。
その時ドアが開いて、彼が入ってきた―――――――――
「女神は夜明けに囁く〜小川まり奮闘記B〜」終了。
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