3、夫婦喧嘩勃発。@



 いざ、検査をしようと思ったら、何とビビッてしまった私だった。

 そして最後の望みに、もしかしたら刺激となって生理が始まるかも(妊娠してない場合よ、勿論)、と思って桑谷さんに襲い掛かり、やっと体調が治ったの、などと言いながらかなり激しいセックスをしてみたりもした。

 まあ結構なお預けを食らっていた彼のスイッチの入り方は早く、私が主導権を握っていたのは最初だけで、後はすぐまた組み敷かれてしまったのだけど。

 だけど、出血はなかった。

 そして今日は彼は出勤、私は休み。

 外は雨で、気晴らしにショッピング、ともいかない。女友達の弘美に電話もしてみたけど、現在締め切り前らしい彼女は相手が私だと判ると10秒でガーっと言い訳を喚いて電話を切った。

 ・・・優しい友達だわ、ほんと。

 あぐらをかいて縁側に座る私の前には妊娠検査棒。

 これが、結構高いと知って薬局で驚いたものだった。買うのは人生で初めてだ。元々私はあまり恋愛経験が多くないし、結婚するまではちゃんと避妊もした。

「よし」

 掛け声をかけてトイレへ向かう。

 説明書を読みながら、テキパキと検査をした。便座に座ったままで、じっと検査結果の現れる窓を見詰める。

 するすると色を変えて、検査が成功したことを示す線が現れる。そして、ハッキリと横線が浮かび上がった。

 説明書を見る。「━線が出れば陽性」・・・・出てる。ってことは、陽性。陽性ってことは・・・ビンゴ。

 もう一度検査棒を見る。ガッツリと横線。

 私は支度をしてトイレを出た。

 携帯で写真を二回撮って、紙で厳重にくるみ、検査棒を捨てた。桑谷さんには見つからないように。

 そしてまた縁側に戻った。

 雨に濡れてしっとりと輝く庭の緑たちを見詰める。キラキラと水滴をのっけて、歌っているかのように風に揺れていた。

 サアサアと雨の音が廊下にこだまする。

 それを壁にもたれて座り、ただ聞いていた。

 暗い廊下で、雨の音と私。

 そしてお腹の中には彼の子供。

 自分でも判らなかった。どういう反応が出るのか判らなかった。嬉しいのだろうか、悲しいのだろうか、これからの生活が、全部変わる。結婚よりも激しく毎日も私の体も変わっていくんだ。

 判っていて、体を重ねた。だけどいざ現実になってみると、これはこんなにもずっしりと重みをともなって背中に被さるんだ。


 キラキラと光る水滴。

 揺れる葉っぱ。

 霞む町並み。

 新しい命。

 私も、こうやって母を呆然とさせたんだろうか。



 口元に笑みが浮かんだ。

 こうやって、人類は続いていくんだな、なんて壮大なコメントが頭をかすめる。

 私は笑った。

 雨音に消されない声で、笑った。

 体は熱くなり、突然湧き上がったすごい感動で震えだすかと思った。

 私も、母とよばれる存在になるんだ。


 その後、ついでだから全部終わらせようと思って、家から一番近い産婦人科に行った。

 小さな個人経営の産科で、ゆったりとした雰囲気の可愛い病院だった。そこの院長らしい年配の男性の医者は私に機械をあてて映像を見ながら、呟くように言った。

「おおー、おお、おお、あるある、確かに袋はある」

「はい?」

 私が首を捻ると、医者は微笑んでこちらを向いた。

「まだ、初期すぎてちゃんとした卵の確認は出来ないんですよ。でも、用意はされている、という状態だね」

「・・・はあ」

「2週間後にまたいらっしゃい。その間にもし出血したりしたら、すぐ来てね。この初期段階で、まあ、流れてしまうことは自然の現象としてたくさんあるから、もしそうなってもガッカリはしないようにね」

 ・・・そうなのか。まだこの状態では妊娠した、とは認められないのか。それに流れてしまうこともあるのだと判って、驚いた。昨日すんごく激しい性行為をしたけど、やっぱりダメだった?

 暇だったらしくついでに色々と話をして下さって、私は笑いながら妊娠についての理解を深めて病院を後にした。

 いいお医者さんが近くにあってよかった。私は別に大きな病院や、ブランド病院にこだわらない。こんな、小さくて、あたたかい、町のおじいちゃん先生に赤ちゃんは取り上げていただきたい。

 ふんわりとした柔らかい気持ちになって、私は雨の中歩いて家へ帰る。


 2週間後、ちゃんと決定してからお義母さんや自分の母や店長に伝えよう。

 ・・・桑谷さんには・・・どうしようか。

 彼の反応が予測出来ない。それに、まだ確定したわけでもないし・・・。ううーん・・・。ここで可愛らしく、「あなたお父さんになるのよ!」何てメールするのも私のキャラじゃないしな・・・。

 そのイメージを頭の中で展開して思わず笑ってしまった私だった。

 その後の2週間を待つのは、もうちょっと長く感じると思っていた。だけど実際には妊娠したことばかりに頭が占められることはなかったのだ。

 あのバカ女からの攻撃は、止まなかったから。



「―――――畜生」

 唇から呟きとなって怒りの感情が零れる。

 私は自分のロッカーを開けたままで、湧き上がる怒りを懸命に抑えていた。

 今度は死骸を放り込むって嫌がらせではなかった。もっと直接的だった。私はロッカーのドアを閉め、着替えもせずにそのままロッカールームを出る。

 売り場へいく為に北階段を降りながら、誰であれ出会った人に噛み付きたい衝動を抑えていた。

 制服は、着れる状態ではなかったのだ。

 白いシャツの上に着るベストとスカートには、べったりと赤い液体がつけられていた。

 匂いから水彩絵の具ではないかと思った。何かの入れ物にいれて液体をぶっかけたらしく、ロッカーの中に赤色が飛び散り、制服から滴り落ちた赤色が靴の上にも点々と落ちていた。

 そこまでやるか、って状態だ。何なんだ、ここは!?私は治安の悪い中学校に通う生徒なのか!?

 何だって、こんなこと・・・。

 非常に不機嫌なまま販売員の使命である笑顔もかなぐり捨てて店員入口から売り場へ向かう。

 途中で仲良くなっている鮮魚の人たちに挨拶をされたけど、それどころでない私は無視をして売り場へ向かった。

 後ろで皆が呆気に取られているのを感じていた。私は夫が働いているということもあったし、百貨店側の社員さんやアルバイトさん達にはいつでも丁寧に接するようにしてきた。それが、爆発寸前の顔で、ヒール音をたてて私服で出てきたものだから、皆何事かと目で追っている。

「――――――・・・小川さん?」

 ふと振り返った店長が、やってくる私に気付き、目を丸くした。

「おはようございます」

 低い私の挨拶に言葉を返せず、驚いた表情のまま見ている。

「店長、私はどうやらイジメにあっているようです」

「え?」

 カウンターに手をついて身を乗り出す私服の私を周りの店の販売員も手を止めて見ているのが判った。

「ネズミ、ゴキブリ、次は、制服を汚されました」

 福田店長は眉を顰めて、ちょっと待って、と声を小さくした。

「ネズミは偶然じゃなかったってこと?ゴキブリも入れられてたの?それに――――・・・制服が、何ですって?」

 カウンターの前に出てきてくれたので、声を潜めて3件のことを話した。

 どんどん顔を曇らせる店長が、最後は口に片手をあてて絶句した。

「・・・赤い絵の具で?」

「と、思います。あれがペンキだったら犯人を殺してやる。とにかく酷い状態で、勿論着れないし、靴もまた買いにいかないとダメなんです。それで・・・」

「制服を取りに戻るのね?」

 引き取って言ってくれた店長に、はい、と頷いた。

「靴もまた買ってきます。家が近いからそんなに遅くならないと思いますが、11時半には入れそうにはいです」

 痛ましい顔のまま、店長は頷いた。

「判りました。何だかビックリする話だけど、慌てなくていいからゆっくりしてね」

 話しているうちに少し落ち着いてきた私は、肩で息をついて、はい、と言った。

 そしてまた、今来たばかりの道を戻って家に帰った。

 代えの制服を取って、靴を買いに行かなきゃ。


 歩きながら考える。ロッカーの鍵は毎日こまめに変えるようにしていた。だから、盗み見られたわけではなさそうだ。

 と、いう事は?

 後はどんな方法がある?

 しばらく考えて、私は一人で頷く。

「総務だ」

 ロッカーは、知らない間に隣の人の腕が当たったりしてダイヤルが変わってることに気付かずに閉めてしまった人が、翌日開けれずに困ることがある。

 そんな時は、総務に行って、マスターキーで鍵を開けて貰うのだ。遅番ならいいが、惣菜などの出勤が早いところの子でそうなると、総務は9時からしか開かないので仕事に行けず困ることになる。それで、たまに私服で店のオープン準備をしている販売員の姿も見かけた。

 だけど、そんなマスターキーが、簡単にとれるところにあるのだろうか?総務の人しか使えないだろうし、管理方法は知らないが、すぐ目につくところに置いてあるとは思えない。

 玉置だとしたら。

 あれが、あの女の、玉置の仕業だとするなら。

 メーカーの人間よりも総務には入りやすいだろうし、友達もいるかもしれない。だけど、可能なものなんだろうか・・・。

「でもまあ・・・」

 考え事がつい口を出た。

「絵の具なんて、普通の人間は持ち歩かないよね・・・」

 あの女は文具じゃなかったっけ?地下の販売員よりは手に入るよね、絵の具だって。

 私は制服を取り出し、もう面倒臭いから家で着替えて、カーディガンを羽織った。どうせ、今日はあのロッカーは使えそうもない。

 そしてまた靴を買いに行き、百貨店に戻って、総務に顔を出した。

「はい?」

 対応に出た佐々木さんという女性社員に訳を話してロッカーまで一緒に来てもらう。

「―――――・・・」

 彼女は、絶句した。

 私はそれを横に立って見ていた。

「これは・・・酷いですね」

 ええ、本当にね。うんうんと頷く。

「誰にされたか心当たりはあるんですか?」

 その質問には是非答えたいが、何せ証拠がないからうかつに百貨店側の社員の名前を口には出来ない。

「いえ。今日、いきなりです。どうやって開けたのかも判りません」

 私は忌々しく答える。そうだ、ついでに聞いてやろ。

「総務では、ロッカーのマスターキーはどうやって保管しているんですか?誰にでも取れるんでしょうか」

 すると彼女は困った顔になった。

「・・・上司の机の引きだしなんですが、場所を知っていれば持ち出すのは簡単だと思います。ロッカーを開けてくれと言われるのは日常茶飯事なので・・・」

 誰にでも取れないと、要望にこたえられないってこと?私は少し呆れる。

 それでもやはりメーカーの人間が総務の一番奥の部長席まで行くのは目立つに違いない。これは、百貨店側の人間が絡んでいると考えるのが妥当だろう。

 ここは総務で掃除しますから、と別の列の空いているロッカーを貸してくれたので、やっと私は売り場へいけた。

 時間は既に12時半過ぎだった。

「店長、済みません」

 バタバタと売り場へ行くと、大丈夫だった?と福田店長が心配そうな顔で待っていた。

 私は詳細を話す。

 総務が後を引き受けてくれたことを聞いて、そりゃそうよね、と店長は頷いた。

「お疲れ様。悪いけど私は今日時間調整で上がるのが早いから、もうお昼出させて貰うわね」

 はい、行ってらっしゃい、と店長を送り出すと、早速両隣の店の販売員が近寄ってきた。

「小川さん、何事?忘れ物したの?」

 私は少し考えて、これは使える、と思った。

 デパ地下のゴシップ伝達の早さを今回も使わせていただこう。そうすれば店食が温床になって瞬く間に百貨店に広がり、洋菓子の小川が嫌がらせを受けているらしいと皆が知るところになる。

 私は犯罪者の守口斎の元カノだったり百貨店社員の桑谷さんの妻だったりするので、それでなくても全館の販売員の中で知名度が高いのだ。

 きっと尾びれも背びれもつきまくったえげつない話になって、従業員の間に伝わるに違いない。

 すると、犯人も私に手を出しにくくなるだろう。少なくともロッカーでは。皆が何となしに私のロッカーに注目するだろうことはバカでなければすぐ判る。

 ・・・・あ、あの女はバカなんだった。

 気を取り直して、私は声を潜めた。

 そして、あますことなくされた嫌がらせを話した。皆、まあ〜とか、うわ〜とか言いながら、わくわくした顔で聞いていた。何て正直な人たちなんだ!その調子で他の人にもベラベラ話し、役に立って下さいね、と心の中で付け足す。

 ネズミにゴキブリ、そして制服。

 話を広めること、これも防御の内だ。

 くそう、犯人があの女だったら、クリーニング代と靴2セット代、必ず請求してやる。


 私の仕掛けた作戦は、3日かかった。3日で全館に広がったことに私は驚嘆した。皆どれだけ噂話が好きなのよ!って。

 私は連休で、3日後に出勤すると、出会う人出会う人に大丈夫?とか、負けちゃダメよ、あなたをやっかんでる人がいるのよ、とか、良かったら私のロッカー使う?などと言われた。

 私はそれぞれに、大丈夫です、とか、私の体に被害はありませんから〜とか、別のロッカー頂けましたんで、とか答えながら歩いた。

 男性社員とやたらと目が合うのも、男性の間でも話が広がりつつある証拠だろうと思った。





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