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「・・・前の仕事を引きずっている。自分が捕まえた犯罪者が、俺に仕返しを企んでいるらしい」
あぐらをかいて床に座っていた。
私は目を丸くして、彼を見た。
「はい?」
片足を立てて同じく床に座った彼が、後ろの壁に頭をつけた状態で私を見下ろした。
「だから、前の仕事を―――――」
「引きずっている、それは判ったわ。えーと、そうじゃなくて、具体的にどういう事なの?」
話を引き取って強引に先にすすめる。
仕返しを企むとか私には馴染み深いんだけど・・・とか思ってる場合じゃない。
だって、彼が話しているのは正真正銘犯罪者なのだ。
「・・・犯罪って、何の罪で?」
恐る恐る聞く私をじっと見たまま、彼はぼそりと言った。
「ストーカー」
・・・ストーカー。あらまあ、何てことよ。
呆然としていると、観念したらしく、桑谷さんがゆっくり話し出した。
「27歳の時だ。俺は友達と興した調査会社で受けた仕事で、一人のストーカーを窃盗容疑で警察に引き渡した。当時はストーカーに対する法律もなかったし、女性が怯えてちゃんと被害届を出さなかったこともあって、ストーカー容疑では捕まえられなかったんだ」
黙って、頷く。部屋の端と端に座り込んで、真正面から話を聞いていた。
「警察では何かが起きないと動いて貰えない。だから女性の家族が俺らを雇った。相手の男を徹底的に調べて、弱みを握り、女性からヤツを離そうと考えたんだ」
目を伏せた桑谷さんを眺める。この5日間で少し痩せたようだった。
「成功した。やつの行動から別の軽犯罪がいくつも見つかったから、それで警察に動いて貰った。暴力行為もあったから、5年の刑期が確定した。ただ、先日、ヤツは釈放されたんだ。刑期を勤めたし、行いもいいってことで、娑婆に出てきた」
軽犯罪と言っても、5年・・・。私は唾を飲み込んだ。
・・・・5年は長いよ、人生の中で。自業自得とはいえ、失った5年間はどう影響するだろうか。
私はじっと耳を澄ます。
ため息と共に、彼が言った。
「外に出てきたやつは、まず最初に俺の以前の会社に来たらしい」
外に出れたよ、世話になった礼を言いに来たんだ、ありがとう――――――そういって、パートナーだった俺の友達に笑って言ったと聞いた。
そして、変な目つきのままぐるりと周囲を見回して言ったと。
「・・・桑谷さんは元気ですかねえ?」
パートナーは答えなかった。あいつの目を見た時、導火線に火がついたような危険を感じ取ったと言っていた。ただ、何かすればまた刑務所に逆戻りだぞとだけは伝えたと。
そしてすぐ、俺に電話をくれたんだ――――――――――
「・・・・・先日会ってくるって言ってた知人は、そのパートナーのこと?」
「そう」
「それで?」
彼は少し首を傾けた。そして、低い声で続ける。
「俺はとっくに辞めた人間だ。だけど相手にそれは通じないだろう。だから、とにかく相手の動向を探るために、会社に寝泊りして調べてたんだ」
だから、ここには帰れなかった、と言ってこっちを見た。疲れてはいるようだったけど、いつもの冷静な目だった。
「判ったの?」
「住んでいるところ、名前、外見は判った。でもこれ以上は相手が動かないとどうしようもない。俺を恨んで何かするつもりなら、万が一があるからここには来れないって思ったんだ」
座り込んだままで、私は聞いた。
「・・・で、どうするの?」
「・・・それを考えてんだ。ずっと。でもとにかくもう仕事もそんなに休めないし、出勤は守らなくちゃいけない。それで来てみたら―――――」
桑谷さんが口の端を上げて、少し笑った。
「―――――怒り狂った、君に捕まった」
憮然とした。何だその言いようは。
「・・・怒り狂ってなんてないし」
「ああ、非常に冷静だったな、確かに。冷たいくらいだった」
私は隣に転がっていたクッションを彼に投げつける。だけど残念ながらそれは彼には当たらずに、壁にぶつかって落ちる。
くくく・・と小さく笑って、桑谷さんはクッションを玄関の方に投げた。
「・・・じゃあ、そのバカが何かしてまた捕まるまで一緒にはいられないの?」
むっつりと私が言う。結婚なんかしてたら、新婚早々寂しい妻になるとこだったのね、私。何てことだ!早速弘美に言わなくちゃ。
彼は両手を上げて、肩をすくめた。
「まさか、そんなの俺はごめんだ」
「じゃあ?」
「パートナーにヤツを見張って貰ってる。変わったことがあればすぐ知らせてくれるはずだ。ヤツの部屋の入口にカメラ、携帯は傍聴する。時間があればたまにつけてみるとも言ってたな。暫くやってみて何も起こらなければ、それはそれで仕方ないから、こっちも気にしない」
・・・・・・それって、犯罪じゃん。私は呆れて口が開きっぱなしになる。うわあ〜・・・世の中の人って、結構知らない間に盗聴とか盗撮とかされてるのかも・・・。
元犯罪者だったその男は余計なことをしたせいで、また見張られるハメになったわけで。でもまだ何もしてないのに、そんなプライバシーの侵害・・。
ぞっとした。出来れば知りたくない世界を覗いてしまった。
「・・・だから、今晩から戻るつもりでいたんだ」
その声にハッと我に返った。目を細めて、彼がにやりと笑った。
「ここに」
「・・・私は何も聞いてなかったけど・・・」
今晩帰るつもりだなんて。それだったらメールででも知らせてくれた良かったのに・・・そしたらあんな強行突破なんて―――――――――
口を開けたままで考えていたら、すくっと立った彼が2歩で部屋を横切って私の前に膝をついた。
その早い動きに、ボーっとした頭はついていけなかった。
「・・・・俺はストレスがいっぱいなんだ。怒った顔でなくて、笑顔を見せてくれないか」
私の左頬に当てられた彼の手から石鹸の匂いがした。魚を扱うので、仕事が終わるとかなり強力な石鹸で手を洗っているのを知っている。
笑うどころか何も反応が出来なくて、無表情のまま彼を見詰める。
「―――――え?」
至近距離で私を見ていた彼が、やれやれと呟いてまたため息をついた。
「・・・・今晩は、突然来て、抱きしめ、気が済むまで君を味わおうと思ってたのに」
「そんな勝手な」
ゆっくりと顔を近づけて、目を開けたままで桑谷さんがキスをした。唇を押し当てて、舌で舐める。あまりにも丁寧なやり方だったので、私はつい拒絶するのを忘れてしまっていた。
少しだけ唇を離して彼は言う。
「・・・男なんて勝手な生き物だって、確か君が言ったはずだな」
声が笑っていた。その声に微かな色気を感じ取ってぐぐっと体が熱くなるのが判ったけど、私はそれを無視した。
ここで丸め込まれてはいけない。ダメよ、いや、ほんと。何とか体をよじって逃げようとする。
「今晩はダメ」
「どうして?」
すぐに腰に回ってきた左手で捕まえられてしまった。強く引き寄せられて、私は動きを封じられてしまう。
「・・・イライラしてるから」
「嫌なのか?」
「そう」
「ふーん?」
問いかけながら彼は、私の首筋から鎖骨にかけて熱い唇と舌でなぞる。その感触に、つい体が震えた。
「・・・なら、その反応はなんだ?」
「気のせいでしょ」
くっくっく、と低い声で彼が笑う。
大きな手が腰からお尻を撫で、胸元を探る。Tシャツの上から揉まれるだけで体から力が抜けてしまいそうだった。
壁際に追い詰められて身動きの取れない私は悔しくて、せめて声を出さないようにと息を止めた。
顔を上げて私の表情を見た彼が、満足げな声で呟いた。
「・・・いいから、黙って抱かれてくれ」
そして、5日間の空白を埋めるかのような勢いで、私を襲った。
晩ご飯も食べずに3回も意識を飛ばされた後でぐったりして転がる私の隣で、彼は笑う。缶ビールを飲みながら、ああ、やっと満足したって。
大丈夫?なんて軽い口調で聞きやがる。
・・・・全く、男なんて勝手な生き物だ。
そして―――――――女はなんてゲンキンなんだろうか・・・。
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