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「吹っ切れたでしょう?」
小さな毛糸屋さんを出て駅まで歩きながら、私は彼を振り返る。
私の後ろからついてきていた桑谷さんは、優しく笑った。
「・・・そうだな」
「挨拶は、大事よ」
「・・・俺、君の親御さんにしてないけど」
「あ、うちのはいいの。遠いわよ、沖縄は。また来年にしましょう」
「え」
「それにうちの親、いきなり来そうな気がするしね・・・」
なんせ行動的なうちの両親は、目下暇なのだ。そして金がある。ある日部屋に戻ったら両親が二人でお茶なんかしてそうだ・・・。
コートのポケットに両手を突っ込んで歩いている彼を待って、腕を絡める。
「部屋、どうする?」
うーんと唸って彼は空を見上げる。
「・・・買ってもいい。俺、仕事頑張って金稼ぐよ」
「うん?貯金は?」
彼はひょいと肩をすくめた。
そして話してくれたのは、今回ストーカーを撃退するために色々な費用がかかった現実だった。
私は知らなかったけど、フリーで動く太郎さんを雇うのは相当高いらしい。なんせ細川に証拠が残る罪を犯させて、自分たちは逃げ切らなければならないし、私を無事に守らねばならなかった。今回の事は依頼主がいるわけではないから、桑谷さんの自腹だったと。
「・・・マジ?すみません、何かめちゃ責任を感じたわ、私」
彼が苦笑した。
「何で君が謝るんだ。元々は、俺の過去に巻き込まれた被害者だろう」
そして私の手を握った。
「いいんだ。それだけの価値はあった。細川は檻の中で、君は無事で俺の妻になってくれる」
私はにっこりと大きな笑顔を見せた。
「お金はこれから、一緒に稼ぎましょう。楽勝よー、二人で働けば」
風は冷たかったけど、光が舞う中で手を繋いでいた。
もうすぐくる私の誕生日には、彼の妻になる。そしてアクセサリーが嫌いな私がただ一つだけ身につける、結婚指輪を買いに行くのだ。
式なんか挙げないけど、聖書も祭壇もないし証人も居ないけど、今ここで誓いましょう。
死が二人を分かつまで、ずっとあなたの隣で笑うわって。
今、ここで――――――――
楠本の結婚式は、桜の花びら舞う中で行われた。
元々美形のあいつがタキシードを着ると、まるで映画の中の宮廷人みたいな雰囲気になった(って私はホンモノの宮廷人を見たことなんてないけれど)。
弘美と二人でその楠本を見てげらげらと笑い転げる。
「・・・・・俺、笑われたの初めてだ」
憮然として口元を歪める極上の花婿を見て、私たちは更に笑い声を大きくする。
手をヒラヒラと振って笑いながら言った。
「今日はアンタが主役じゃないでしょーが。千尋ちゃんを見にきたのよ。それなのに王様みたいにふんぞり返って居るからさあ〜」
バカみたいにぎゃはははと笑って、周囲から顰蹙を買った私たちだった。
彼女の趣味で統一されたらしい教会の内装は、ロマンチックかつシンプルで全てが優しい雰囲気だった。
生花のいい香りに包まれたバージンロードをAラインのウェディングドレスに身を包んだ彼女が歩くのは、見ごたえがあって思わず歓声が上がる。
私より身長が高いことがイメージと違ったけど(なんせトマトでしょ)、楠本と並ぶと綺麗で完成されたカップルだった。黒くて長い髪が白い肌と赤く染まった頬に映える。
彼女の大きな瞳は澄んだ光りをたたえて、祭壇で待つ楠本をまっすぐに見詰めている。
「・・・美しいって言葉が似合うわねー、この二人」
隣で弘美が呟いた。私は頷く。白雪姫と王子様って、こんな感じだったんじゃないかしら・・・。どこから見ても絵になる完璧なカップルで、口をあけっぱなしにして見ている参列者が多かった。
まるで絵本みたいな美しすぎる式を終えて、現実感が戻ってこないままガーデンパーティーに突入した。
ワイングラスを片手に持って、色んな知り合いと談笑する。楽しい。大学の友達もそれなりに来ていて、みんな31歳の姿形になっていてそれをお互い笑い合う。
「まりと楠本は変わらないな」
ってのが一致した意見で驚いた。・・・・でも何か、成長してないって言われてるみたいだぞ。
ふん、と私が膨れていると、友達連中から解放されたばかりらしい花嫁が目の前を通りかかった。おーっと、捕まえないと!別嬪が前にいるぞ!
「千尋ちゃん、おめでとう!!」
酔った勢いもあって、いきなり声をかけると、彼女は驚いて小さく飛び上がった。
見る見るうちに赤くなる。・・・・・あら〜、可愛い。私は思わずそれをじっと観察する。彼女は慌てた様子で両手を絡み合わせながら、べらべらと喋りだした。
「・・・ああっ・・・すみません!あのあの、ただ驚いてしまって・・・だってもう、うち・・でなくて私・・・あれ?わああ・・何言ってんだろ・・・」
くくくくと思わず笑ってしまう。私は笑いながら、何とか言葉を出した。
「ごめんね、こちらこそ。そしていつかの電話でいきなり怒鳴ったのも、本当にすみません。小川です。本日はお招きありがとうございます。とても素敵なお式でした」
無事に結婚して戸籍上は桑谷まりになった私だけど、仕事の関係もあってプライベートでは未だに小川まりで通している。
百貨店では通りすがりに色々な人が祝福してくれて、結婚を公表した日は色んなメーカーさんから頂き物を山のように貰ったんだった。
彼女は、あ、という声を出して、まだ真っ赤なままふんわりと微笑んだ。
「彼から・・・お話はいろいろ聞いてます。仲間さんにそっくりな女友達がいるんだって。二人とも、本当にお綺麗です」
でた、仲間さん。笑える。ちゃんと私も綺麗だなんて、いい子だわ。
私は彼女に近づいて、少し声を潜めてから言った。
「・・・楠本を怒ってやったのよ。あなたをトマトって呼ぶだなんて、失礼にもほどがあるって。ちゃんとやり返さなきゃ駄目よ?あの男には食ってかかるくらいで丁度いいんだから」
すると更に真っ赤になった花嫁は、頬を押さえたままでふふっと笑った。
「大丈夫です。あの・・・私、実は初めて楠本さんにそう呼ばれた時に、彼にもあだ名をつけ返したんです。心の中で、ですけど」
その言い方に、芯の強さを感じた。しかもこのイントネーションは関西弁?柔らかくて耳に心地よい。
「あだ名?・・・うどの大木とか、バカ営業とか、そんなの?」
いえ、と小さく手を振って、私の耳元に顔を近づけた。彼女の柔らかで繊細ないい香りが私を包む。
「・・・・・きゅうり、です・・・」
「――――――――」
パッと振り返って彼女を見た。
花嫁は頬を真っ赤に染めて、キラキラした黒目で弾けるような笑顔をしていた。
――――――――きゅうり。・・・・楠本が、きゅうり。あのイケメンの、背も態度も知能レベルも高い男が、きゅうり!!!あの緑色したぶつぶつでひょろひょろの!!!
「あはははははははは!!!!」
大爆笑してしまった。花嫁と二人で身をよじって笑っていた。周りが何事かと見詰める中、涙がでるほど笑っていたら、噂の本人が怪訝な顔してやってきた。
「・・・・おい、まりっぺ。俺の奥さんに一体何吹き込んだんだ?」
あふれ出してくる笑いをどうにかかみ殺して、私は楠本の肩をバンバンと叩く。
「あんた、覚悟しといた方がいいわよ!彼女はいつでもあんたの2歩先を行っている」
「あん?」
眉を寄せる楠本にまだ笑ったままの彼女を引き渡した。顔を見合わせた二人は微笑んで手を取って、親族の方へ向かう。
弘美が駆け寄ってくるのが見えた。
早速、この話をしなくっちゃ。またも笑い出しそうになる顔を両手で挟んで私も歩き出す。
季節は春で、私の周りにはいつも笑い声が溢れていた。
私は恋人から夫へ昇格した男性の手を今日もしっかりと握る。
そしてこの素晴らしい人生を今日も心から楽しむのだ。
過去から黒い手が伸びてきたって大丈夫。また戦って必ず勝ってやる。
いつだって目の前には―――――――――
光りに満ち溢れた、未来がのびるだけ・・・・・。
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