2、多忙な恋人たち。



 百貨店は12月の繁忙期を迎えた。

 各階セールやらクリスマスやら年末年始の贈り物やらで大賑わいだ。

 桑谷さんとシフトをあわせる必要から解放されたので、彼と顔をあわす機会はぐんと減ったけど、以前のように売り場から働いている姿を見てるだけで満足だった。

 たまには休憩室で一緒になったし、翌日が遅番のときなどは彼が私の部屋に来た。

 まだ斎の事件も完全に終わってないところに今度のストーカー事件で、最寄の警察署の人に私は顔を覚えられてしまったようだった。

 もう、悪いことが出来ないぜ。

 楠本からのしつこいメールには業を煮やして、私から一度電話をかけた。通話になった途端に私はいきなり噛み付いたのだ。

「こおら、楠本!!てめえ男のくせにしっつこいんだよ!!」

 すると向こうは暫く絶句したらしかったが、その後おずおずとか細い声が聞こえた時は本気でびっくりした。

『・・・・・あのお・・・・すみません・・・楠本はただ今席を外してまして・・・』

 えっ!!???と思って思わず電話番号を確かめる。

 ・・・楠本孝明、間違いない、あいつの電話よね・・・。え、じゃあ、この声は誰??

「・・・・ええーっと・・・大変失礼しました。本人だと思ったもので。失礼ですが、どちら様でしょうか」

 私もしどろもどろになって言った。すると小さな声で、相手が話す。

『瀬川と申します。すみません、いきなり携帯を渡されたので私も何がなんだか・・・』

 ――――――瀬川。・・・うん?何か記憶にあるぞ、その名前。と思って思い出した。

「あああー!!楠本の嫁さん!」

 私の大声に、あっちはわあ、と叫んだらしかった。

「あ、すみません。大声で。ええと・・・正しくは、婚約者よね。楠本に携帯渡されたって言いました?」

 さっき耳に引っかかった言葉を思いだすと、彼女が受話器を持ち直したようで声が近くなった。

 優しい、春風みたいな声だと思った。

『はい。いきなり、うわ、ヤバイって言って私に携帯を渡して逃げ去りました。既に通話になってまして・・・』

 あの野郎。私がいきなり怒鳴ることは判ってたに違いない。たまたまそばにいた彼女が気の毒でならない。

「・・・それは、本当に、大変失礼しました。私は小川と言います。あのバカが戻ってきたら言ってくださいます?全部解決したから心配の必要なしって」

『そのように伝えたら判りますか?』

「はい。あ、それと、このバカ野郎!!ってついでに一発殴っといてくれる?私からだって」

 ええ!?と小さく息を呑む音がして、あたふたした声が聞こえた。

『むっ・・・無理です!すみません、出来ません!』

 ・・・・多分、真っ赤になってるんだろうなあ〜・・と想像出来た。こりゃ楠本じゃなくても苛めたくなるわ。

 すみませんって、謝ることないのに・・・。思わず笑ってしまった。

 挨拶をして電話を切る。

 次は、弘美だ。あー・・・こっちは時間かかるぜ。

 結局休み時間一杯一杯使って事の全部を弘美に説明した。友達は、ありがたい。ただし、面倒臭いことに巻き込まれた時には、疲れるぜ、その愛情が。


 売り上げは上がっていた。


 歳暮と同じ勢いで帰省の土産も出る。クリスマスのケーキの予約にうちの店の隣にお客様が並び、収拾がつかなくなって、これじゃあ営業妨害だよ、と内輪で文句を言ったりした。

 今まではクリスマスとか、あまり気にしたことがなかった。

 派遣の仕事は事務が多かったし、去年は斎が繁忙期でちゃんとクリスマスもしなかった。

 今年初めて、サービス業のなんたるかを経験したのだ。クリスマスなんて、キリストの誕生日なだけだぜ!?って思わず突っ込みたくなるくらいに、お客様は興奮して買い物をされていく。

 6連勤目で、売り上げはいつもの3倍って日が続いていて、私はぐったりと店員食堂のテーブルに突っ伏していた。

 ・・・ヘビーだぜ。ああ疲れた。これが、桑谷さんの言ってた繁忙期。確かにこんな状態でストーカーのバカ野郎の相手なんか出来ない・・・。

 うだうだしていると、隣の席に誰かきた気配を感じたから起き上がった。

「お疲れさん、ダレてるなー」

 桑谷さんだった。うーん・・・・一昨日見たんだけど、今まで忙しすぎてなんか久しぶりな感じが・・・。

「お疲れ様です。・・・どうですか、鮮魚は」

 首を回して肩を叩いた彼が言った。

「うちはマーケットだから、クリスマスはあんまり関係ないしな。年末年始だな、目が回るようなのは。大変そうだな、洋菓子は」

 彼が食べている間に私がベラベラ喋る。時間帯が微妙で、店員食堂は空いていたから、小声で話していた。

「そういえば」

 私が指差す。

「髪、伸びましたね。切ったの9月だったから、そうか、3ヶ月経ちましたもんね」

 桑谷さんの髪はまた伸びていて、首筋にかかっている。それを触って、彼はうーん、と言った。

「長い時は切りにいかなくてよかったから、それが楽だったなー。短くすると、頻繁に散髪しなきゃなんねーのか」

「やっぱり正月前には切らないとね」

 私が言うと、きょとんとした顔で彼が振り向いた。

「どうして?」

 ・・・どうしてって・・・。

「正月だから、でしょ?実家に帰ったりしないんですか?」

 言ってしまってからハッとした。桑谷さんの実家の話、初めてだ。流れとは言え、思わず聞いてしまった・・・。

 何となく居心地悪げにした私には気付かずに、桑谷さんはさらりと答えた。

「別に帰らねーなあ。そういえば、百貨店に転職してから盆暮れがないから、一度も帰ってない」

「ええ!?」

「・・・何」

「一度も?」

 うん、と頷く彼を呆れてみた。

 実家、あるにはあるんだ。ってことは、お母さんとか祖父母とかがいるんだろう。1回も帰ってないって、そんな・・・なんて薄情な息子だろうか。

「・・・・お母様、いらっしゃるんですか?」

 彼が食べながら答える。

「母は、居る。死んだとは聞いてない」

 ・・・いやいや、その返事もどうよ。

「息子さんには会いたいんじゃないんですか?」

 すると桑谷さんは私をチラリとみて、また食事に戻った。

「俺がどんどん親父に似てくるから、顔を見てるのが辛いと言ってた。23歳の時だけど」

 ああ・・・と私は理解した。

 3代続いた男性の自殺の呪いを受けたのは、彼だけではなかったのか、と。お母さんも、それで苦しんだのだと。

 私はゆっくりと微笑んだ。

「・・・もう呪いは解いたじゃないですか。この1月は、帰ってみたらどうですか?」

 しばらく黙っていたけど、私が時間を気にして腕時計を見た時に小さく、そうするって呟きが聞こえた。

 立ち上がりながら私も言った。

「私も1月3日はお休み貰ってるから、実家に帰るね。それで、5日の夜に戻るから。まだ先の話だけど」

 彼が私を見上げた。

「・・・実家って、どこ?」

 声は小さくて低かった。

 私は止まって彼を見下ろす。そうだ、まだ知らないのか。私たちはまだ、お互いの環境について本当に何も知らないのだ。

 ゆっくりと口を開いた。

「沖縄」

 教えて貰えるとは思ってなかったのだろう、それかそんなに意外な場所だったか、桑谷さんの目が見開かれた。

 お先です、と言って私は売り場に戻る。

 クリスマスまで後3日。ここはまさしく、戦場だ。


 怒涛のようなクリスマスから年末だった。

 札が舞い、ケーキが舞い、販売員が走り、商品は次々に品切れを起し、しかし幸運なことにクレームは一件もなく、無事に迎えた大晦日の夜だった。

 私は夜の11時によろよろと自分の部屋に戻った。

 今日までの年末の売り場から、明日からの新しい年の売り場へ替えなきゃならなかったのだ。そして福袋。大量の福袋を作って並べ、いつもの年末ならテレビを見て酒を飲んでる時間もまだ百貨店で働いていた。

 ・・・奴隷のようだったわ・・・。

 もう紅白も終わりかけている。冷え切った部屋の暖房を全部入れて、とりあえずと部屋着に着替えた。

 あー・・・もう、お風呂だけ入って寝ようかなあ・・・。去年はまだ派遣で事務をしていたから、1年後まさかこんなことになってるとは思いもしなかった。

 ・・・あと45分で、今年が終わってしまう。

 ゆらりと立ち上がってお風呂の支度をしに行った。

 今はまだ考えない。それよりも、明日は朝番で8時には出勤しなくちゃなんない。風邪ひかないようにしなくっちゃ。

 ここ3日間、桑谷さんの姿は見えるけど、声をかわしてもなければ笑顔をみてすらいなかった。

 うーん・・・これで今年が終わっちゃうのは何か、ちょっと寂しい感じがする・・・とか思いつつも、こっちが仕事終わっても百貨店の社員さんは12時までかかるかもと聞いていた。あの広大な百貨店の全てを新年のお正月バージョンに変えなきゃならないのだから。

 それで先に帰ってきたのだ。

「・・・・仕方ない、よね」

 呟いてお風呂へ向かう。明日、彼も出勤のはずだ。明日こそはまともに話せますように。

 そんな祈りで、私の激動の一年は終わった。

 何と言うか、本当にあらゆる意味で記憶に残る一年だった。


 眠りに落ちる前に浮かんだのはあの人の姿だけ。実は、そんな自分を可愛く思ったりもしたのだが、それは誰にも内緒だ。





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