1、細川と太郎さん。


 全員で小さな部屋に移動する。

 居間に入って、二人のうち背が高い方の眼鏡の男性が、くるりと振り返ってにっこりと笑った。

「滝本です。宜しく、小川さん。お噂はかねがね」

 言いながら、自分の後から部屋に入った桑谷さんを面白そうに見る。

「・・・彰人を手の平で転がせる人がいるとは思いませんでしたよ」

 私もにっこりと笑顔を見せて返事をする。

「まさか。そんな恐ろしいこと出来ません」

 その間当の本人である桑谷さんは苦虫を踏み潰したような顔をしていた。

 私はじっくりと滝本と名乗った男性を観察した。

 成る程、この柔和な顔で笑う眼鏡氏が昔のパートナーで、今では調査会社の社長か。何と言うか・・・食えない外見をしている。裏がちっとも見えない笑顔に、落ち着いた声。私なら、近づかないようにするだろう。

 そして――――――――

 私はもう片方の男性の方を向く。

 中肉中背、上から下まで真っ黒な服装の、これといって特徴のない顔。

 先ほど、細川と倉庫にいた男だ。ヤツが私のストーカーだと紹介した男。

 ゆっくり微笑んで、その人は言った。

「・・・先ほどはどうも。僕のことは太郎と呼んでください」

 私はぱちくりと目を瞬いた。

 桑谷さんと滝本さんがそれを興味深げに眺めている。

「・・・太郎、さん」

「はい。苗字はありませんので聞かないで下さい。それよりも、僕はびっくりしました。何も判らずにあんなところに連れてこられて男二人に挟まれて、あなたは全く怯えてませんでしたね」

 私はつい声を出して笑った。

「ムカついてたんです」

 私の返答に男性陣が苦笑した。

 私は太郎と名乗った男を見詰めた。・・・苗字がないって、そんなバカな。あからさまに偽名だと判るし・・・太郎だって。

 桑谷さんからあの日、調査会社に協力しているこの男性のことは聞いていた。フリーランスで動く「何でも屋」で、この人が細川の動きを探ってくれてるはずだった。

 まもなく仕掛ける罠の全部を私が知っていると演技をしなければいけなくなり、それでばれると水の泡なのでと私は概要だけを教えて貰ったのだ。

 とにかく、君が襲われる様なことがあれば、その時は必ず警察の手が届くようにしてあるから、と。

 どんなことになっても守るから、と。


 私の小さな居間で円座を組み、話を始めようと桑谷さんが言うので、ちょっと待ってと言ってから台所で氷水を作った。

「腫れてきてるわ、まず冷やさせて」

 男3人が氷水に右手を突っ込んで唸る私を見ていた。

 桑谷さんがぼそりと言った。

「・・・あまり聞きたくないが、どうして右手が腫れるんだ?」

 隠していたってどうせ生田刑事からバレるだろう。私は肩をすくめて言った。

「細川を殴ったからよ」

 え?という驚いた顔をした滝本さんと、口元を歪めて笑ったらしい太郎さん、桑谷さんはやっぱりな、と首を振っていた。

 氷水を作った桶を持ったまま居間に引き返した。

「お待たせしました。どうぞ」

 私が座るのを待って、滝本さんが話し出した。案外高い声で少し意外だった。

「・・・まず最初にしなければならなかったのは、細川に近づくこと」

 そこで、ヤツの特性を考えた。

 あの男の得意技は何だ?尾行だ。

 あいつの目的は?桑谷に仕返しすること。

 元々の狙いは桑谷であって、小川まりはあくまでオマケにすぎない。

 私が口を挟んだ。

「オマケで、獲物だったんですね」

 それを聞いた滝本さんは眼鏡の奥で微笑んだ。

「・・・成る程、賢い女性だ」

 それから続ける。

「そう、あなたは獲物だった。桑谷に屈辱と悲しみを与えるには、桑谷の愛する女性を傷つけることが有効だと細川は考えた」

 桑谷さんが、呟いた。

「・・・俺は他に弱点がないからな・・・」

 ハッとして私は俯く。

 今の言葉でふつふつと体の底から喜びが沸き上がってくるのを気付かれないように、無表情を通した。

 滝本さんの話は続く。

 細川はまずうちの事務所にくることで桑谷をおびき出した。私が連絡してやって来たまだ無防備な桑谷の後をつけ、そして、郵便物や行動から今の職場が百貨店であることを知った。

 その後も細川は得意の尾行で、あなたのあとをつけまわし、調べた。太郎が細川から聞きだしたところによると、君が桑谷の恋人で結婚まで間近だっていう情報は、桑谷を見つけようとデパ地下をうろついていて、販売員のお喋りが聞こえてのことだったらしい。

「・・・マジで」

 恐るべし、販売員の噂話。お陰で私は監禁されてレイプされるところだったわけ??

 呆然とする私を同情的な目で見て、咳払いをし、滝本さんは続ける。

「細川はあなたをつけていて、もう一人、あなたの後を尾けている人間がいるのに気がついた」

 滝本さんが太郎さんを指差した。

「彼です。うちの事務所の依頼で、あなたのストーカーになってもらいました」

 ・・・・・・・・まったく、気付きませんでした。

 私は凹んで長いため息をついた。

 斎の事件で自分は人を見る目がないんだと思い、今回でつけられてても気付かない女なんだと思った。

 ・・・女には第6感があるって言ったの誰よ!??

 3回ほどつけさせてもらいました、と太郎さんが頭を下げる。仕方なく、私は曖昧に微笑む。

 いい気分ではないが、少なくともそのお陰で今ここに私は居るのだと、理解していた。

「細川は気付きました。そして、彼に声をかけて来たのです」

 ――――――あの女が欲しいのか、と。

 太郎さんは十分な演技をして、日にちをかけて細川の信用を得た。

 私と桑谷さんが海へ旅行をしていた夜、細川が飲んでいた男友達ってのは、太郎さんだったらしい。

 そして、ついに細川は自分の欲求を話した。

 桑谷の女をめちゃくちゃにして、あいつを苦しめたい、と―――――

「だから太郎さんから、提案したそうです」

 桑谷の家に火を放ってやれ、と。

 既に前科もちの細川は出来ないし、警察から警告を貰っている上に、万が一見つかった時に刑務所に戻るハメになるから、それは俺がやる、と言ったらしい。これで共犯になる。

 お前は他所でその時間のアリバイを作れと。

 火事を起こして桑谷を女から離し、その間に女を襲え、と。


 そして計画は実行された。

 ただし、太郎さんは実際には火をつけずに発炎筒で煙だけを出して消防車を呼び、桑谷さんを呼び出した。

「・・・で、俺は」

 桑谷さんが話し出した。

「細川は俺の部屋から遠いところにいるのに放火があるのはおかしいと思って、本当の火事なのかと飛んで帰ったら、太郎さんが影から呼んでいた」

 消防車がきていたずらだと判る時まで自分はここにいれないが、本人の無事の確認が必要になるはずだからあなたはここに居てくれと。

 そして、自分はこれから生田刑事と共に小川さんを助けに行くから、心配するな、と。

「・・・あなたが、言うこと聞いたの?」

 驚いて私が聞いた。桑谷さんの性格ではそれは出来そうにないが。

 すると彼は、滝本さんを指差して、苦々しく言った。

「彼女を救いたかったらお前は邪魔だって、言ったんだ、こいつが電話で」

 そして私の左腕を見る。

「・・・怪我してるけどな、君は」

 私はあはははと笑った。

「細川を散々バカにしたの。意外と動きが早くて避けれなくて」

「笑い事じゃねえよ。俺がいたら、そんなことには」

 滝本さんが冷たいとも思える声で返した。

「お前がいたら、暴行罪で捕まえることが出来なかった。そしたらまた、次の機会を狙われるだけだ」

 機嫌を損ねた桑谷さんがぷいと横を向いた。

 滝本さんはそれを呆れたように見て、私を振り返り、聞いた。

「何も伝えてなかったのに、どうして判ったんですか、生田刑事がいることに」

 私は、違います、と顔の前で手を振る。

「・・・この人が」

 太郎さんを指差す。

「警察の方なんだ、と思ってました」

 そして帰り道に細川に話しかけられたところから話し出した。

 倉庫でもう一人男が出てきたときは、本気で覚悟を決めたこと。こんな暗くて静かな倉庫に警察が待機しているとは思えなかったこと。どうにか自分でこの危機をクリアするしかないと思ったこと。

「でも」

 細川がナイフを取り出した時に、この男性が一歩後ろに下がって、そして―――――

「ウィンクしたんです。何かの合図に違いないと思えるほどハッキリと」

 だから、警察がこの場にいるのだと判ったのだ。そして、この男こそがそうなんだと思った。実際には、それは勘違いだったけど。

「だから、細川を取り抑えるのを待ってもらおうと思って、言ったんです。まだ、駄目よって」

 切り付けられてはいたが、味方がいるとハッキリしたことで力が沸いた。

 そして私は隙を作って殴り倒すことに成功した。

 そのくだりを話している間、男3人はただじっと聞いていた。

 やがてまた長いため息を吐いて、手で髪の毛をかき回しつつ、桑谷さんが言った。

「―――――・・・つまり。君はナイフを突きつけるストーカーを挑発もした挙句、暴言も吐き――――」

 滝本さんがあとを継いだ。

「更に犯人を殴り飛ばして―――――」

 太郎さんまでが繋げた。面白そうな顔をしていた。

「しれっとした顔をしてここに戻ってきて、目の前で笑っている」

 私は均等に男どもを眺めて、頷いた。

「そうね」

 何となく、男性陣が脱力したのが判った。

「・・・強いね」

 太郎さんが面白そうな顔のまま言った。

「逸材だぜ、彰人」

 滝本さんが元パートナーの肩を叩く。桑谷さんが疲れた顔で言った。

「まさしく、あらゆる意味でな」

 ・・・・どういう意味でよそれ。詳しく聞くわ、あとで必ず。私は心の中で拳を握り締める。

「本当はナイフを出した時点で取り押さえるつもりだったんですが、この人がどんどん細川を怒らせるので間に合わなかったんです」

 太郎さんがそう言って桑谷さんに向き直った。すみません、と。桑谷さんは不機嫌な顔のままで首を振る。

「彼女ならしそうなことでした。まさか、と思いましたけど。仕方ないです」

 滝本さんが、くくくと笑った。

 既に時刻は夜の9時。さんざんな帰宅時間で晩ご飯もまだ。細川は警察にいるし、私はまた事情聴取に呼ばれるだろうから、今夜はこれで、と男性二人にはお引取り願った。

 玄関で再び頭を下げて見送り、居間に戻ってきてペタンと床に座り込んだ。

 ・・・・・あああ〜・・・疲れた・・・。

 でもとにかく終わったのだ。細川の変態野郎は現行犯で捕まった。出所してから間もない再犯で、刑期は更に延びるかもしれない。

 これから警察でしなきゃならない色々なことを思うとうんざりしたけど、とりあえず繁忙期に入る前に桑谷さんとのべったり生活から離れられると思うと嬉しかった。

 とにかく、そこが。


「――――――怪我させて悪かった」

 桑谷さんが後ろから言った。声からして、かなりの凹み具合とみた。

 私は振り返って、眉をしかめる。

「もう、しつこいわよ。生田刑事はちゃんと助けようとしてくれたのを私が止めたんだから、もういいでしょ。大事なのは――――」

 自分の胸を指差す。

「今、私が生きてここにいることでしょう?」

 彼は辛そうな目を両手で隠して顔をごしごしと擦ったあと、うん、と頷いた。

「あのバカ野郎には指一本だって触れられてない。切り傷だけで、これはまた治る。もうストーカーは居ない。私たちは元に戻る」

 箇条書きで言うと、一々頷いていたけど、最後のところでぴたりと止まった。

「・・・・元に戻る、とは?」

 声に慎重さが聞き取れた。

「うん?私はここに住む。あなたは気が向いた時にここに来るけど、基本的には自分の部屋で暮らす。これから繁忙期だし、年明けるまでは頻繁には無理だと思うけどね」

 私が言うと、彼は居間の入口のドアにもたれ掛った。そしてゆっくりと口を開く。

「―――――ここに二人で住むのは駄目なのか?」

「狭いから、ヤダ」

 私は即答した。そして手振りで私の小さな1DKの部屋を示す。この1ヶ月、一緒に居て判ったけど、彼と二人でいるにはこの空間では私には狭すぎる。ハッキリ言って気が狂いそうだった。

 彼は私の返事に首を傾げて、唇を人差し指で撫でた。

「・・・もっと大きい部屋を借りたら?もしくは、買うか」

 私は立ち上がって、彼の元へ。

 上げると痛む左腕は下ろしたまま右腕を彼の首筋に巻きつけて抱きしめた。

「・・・それは、結婚してからの話。まだ私が貰った半年はあと2ヶ月もあるのよ」

 壊れ物を扱うかのようにそっと抱きしめ返して、彼が耳元で言った。

「君を離したくないんだ」

「・・・私を手に入れたければ、今は我慢して頂戴。焦りは禁物よ」

 黙ったままで抱きしめていた。

 お互いの鼓動の音が聞こえるようだった。

 やがて顔を上げて彼が言った。

「・・・・判った、俺、部屋に戻るよ」

 静かな目をしていたけど、口元は笑っていた。

 私はにっこりと笑って、彼から身を離し、でも、帰る前に、と言葉を出した。

「ご飯作ってくれない?めちゃくちゃお腹空いてるんだけど」

 彼の口元の笑みが更に広がった。

「・・・畏まりました」

 そして私が恐る恐るお風呂に入ってる間に(傷をお湯につけないようにかなりの努力が必要だった)、彼は美味しい晩ご飯を大量に作ってくれた。

 一緒に食べて、少し名残惜しそうにしていたけど、キスだけをして、彼は荷物をまとめて自分の部屋に帰っていった。


 私は一人になった自分の部屋で缶ビールを開ける。

 あぐらをかいて、グラスに慎重にビールをつぎ、小さく呟いた。

「この人生に、乾杯」


 そして気が済むまで、一人で飲んだ。何本も空き缶が転がっていく。にっこりと上機嫌のままで、たまにケラケラと笑いながら飲んだ。

 飲んだくれて居間でそのまま毛布に包まって、朝まで寝ていた。

 一人で。


 くしゃみするのも、自由だった。







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